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10話 天使(1)

▼レヴィン


 突然、誰かが扉を強く叩いた。それに驚いて三人は視線を向ける。レヴィンが剣を構えて戸口へと近づき、ヒューイはシリルの側についた。息を整え、レヴィンが一気に扉を開ける。だがそこに人の姿はなかった。

 ただ誰かがいたことは誰の目からも明らかだ。扉には手紙が一通、ナイフで止められていた。


「レヴィンさん」

「誰もいないが、誰かいた。そして、何かまずいことが起こったのかもしれない」


 手紙を丁寧に外して中を確かめるレヴィンの表情が、見る間に変わっていく。良くないことが起こっている事は誰の目からも明らかだった。


「レヴィンさん」

「ドラール村に賊の影あり。急ぎ救援を願う」


 淡々と手紙に添えられた言葉を読み上げたレヴィンに表情はない。そしてヒューイの顔は見る間に青ざめた。目が見開かれ、体が震える。わなわなと震える唇を、シリルは見上げた。


「俺の村が……」


 呟いた次の瞬間には、ヒューイは動こうとしていた。剣を手に駆け出そうとするその腕を体の全部でシリルは引き留めた。


「ダメですヒューイさん! 一人で行くなんて無謀すぎます!」

「ならどうする! 弟や村人を見殺しにするのか! そんなこと……税を掠める奸賊と変わらないじゃないか!」


 その気持ちは痛いほどに伝わってくる。シリルだってなんとかしたい。けれどこんな時、シリルは出来る事がない。兄のように自身で動く力もない。


「確かに、無駄死にになりかねないか。シリル、連絡の取れる相手っている?」


 レヴィンの視線がシリルに向かうが、シリルには手の打ちようがない。アビーは緊急の事態に気づいていないだろうし、他に連絡が取れる相手なんて知らない。

 今からラインバール砦へ早馬を走らせようか。それで果たして間に合うのか。

 だからといってシリルが出ていっても足手まといだ。実践に出られるほどの実力なんて無いのは自分がよく分かっている。では、誰か。

 シリルの視線がレヴィンへと向く。そして彼の側へと行って、その手を握った。


「レヴィンさん、ヒューイさんに力を貸してください」

「シリル、何を?」


 綺麗な眉根が寄る。明らかに怪訝で、そして拒む顔だ。けれどシリルも曲げはしない。今ここで多くの村人を助けられるくらい強い人は、この人以外いないから。


「レヴィンさん、ヒューイさんと一緒に村に行って、賊を捕縛……いえ、排除してください。生死は問いません。村人の安全を第一に考えてください」

「シリル、バカな事を言うと怒るよ? 俺は絶対にシリルの側を離れない」

「行って下さい」

「シリル!」


 聞いた事が無いほどに切迫した強い声だった。綺麗な眉がより強く寄り、紫の瞳がすがめられる。その意味はシリルだって分かっているつもりだ。

 レヴィンはシリルの護衛。彼が離れて一人になったら、何が起こってもシリルでは太刀打ちできない。多少の抵抗は出来るけれど、あくまでも多少だ。そして今ここは、シリルにとって敵のまっただ中だ。

 それでも譲れなかった。早くしなければ村人は虐殺されてしまう。弱っている人々はきっと逃げる事だって難しい。


「レヴィン・ミレット、命令です! 貴方は僕の部下です。僕の命令に従わなければなりません」

「シリル」


 苦しげに、そしてとても傷ついた顔が見つめる。クシャリと歪んだ表情を見るのは、シリルにとっても辛かった。こんな顔をさせたくはないんだ。

 大きな手が震えながら握られる。とても苦しげな声が、それでも言いつのった。


「この夜襲がブノワの考えなら、狙いはお前なんだぞ。分かってるのか?」

「分かっています」

「分かってない! お前の守りである俺が側を離れたら、襲われた時に誰もお前を助けないんだぞ! 殺されるかもしれないんだぞ」

「分かっています」

「分かっているなら!」

「傷つけられても、あいつは僕を殺せません。王の血縁者を、しかも公務中に殺せばどうなるか。あいつもバカじゃないなら分かっています。だから、僕は殺されません」


 これがシリルにできる精一杯の覚悟だった。痛いのも嫌だし、苦しいのも嫌だ。けれど、それでも貫くものがある。決して意志は曲げない。


「お願いです、行って下さい。僕は大丈夫です。貴方に笑顔で会いたいから、決して負けません。少し痣ができたり、血を流しても負けないから」


 それでもレヴィンは何かを言おうとした。けれどシリルがその前に瞳を吊り上げ、そして無言のまま剣を差し出した。音がしそうなほどに奥歯を噛みしめたレヴィンは無言のまま抵抗したけれど、最後には受け取ってくれた。


「十分、気をつけてくれ」

「はい」

「無駄な抵抗をするな」

「善処します」


 善処なんて言葉を選んだから、レヴィンはまた瞳を吊り上げた。でもシリルはそれに笑みを浮かべた。大丈夫という気持ちをたっぷりと込めた笑みだった。

 無言のまま踵を返したレヴィンの後を、ヒューイが追っていく。扉が閉じて、場はとても静かになった。

 カチンと扉に鍵をかける。手元には護身用の剣を握りしめた。不安は胸を埋めていく。途端に縋りたい気持ちにもなる。けれどそれではダメなんだ。覚悟をしたのは本当で、この選択を間違いなんて思っていない。

 兄は一人で全てを決めてきた。自分の足であらゆる事を乗り越えてきた。不安だっただろう、苦しかっただろう。けれどそれを決して、シリルに見せはしなかった。その強さが欲しい。負けない心が欲しい。こんなことで不安に押しつぶされるようでは、兄の背もレヴィンの背も追えない。

 周囲はすっかり静かになった。沈黙がとても長くて、怖い。その時廊下で物音がして、シリルは椅子から立ち上がり戸口を見た。ガチャッとノブが回る。喉がゴクリと鳴った。それでも鍵のかかった扉は開くことはない。


 ガチャッ……ガチャガチャガチャガチャ!


 開かない事に苛立ったような激しい音と共にノブが忙しく回り、扉が押される。シリルはそこから目が離せなかった。ギュッと剣を握りしめる。

 意識が一点に集中していた。だから、背後はがら空きだった。


「っ!」


 突然後ろから殴られた。誰か分からないまま、シリルは前へ倒れる。ズキズキと痛む頭、沈む意識。その最後の視線に、複数の足だけが見えた気がした。

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