「とある噂をタニスの者から聞いた。タニス王が送った親書は二通ある。一通目は和平交渉を行いたいという内容の物。これを持ってきたのが、メモにある男らしい」
「和平交渉、って。それって、どういう意味だよ……」
青ざめたヨハンに震えが走る。それに、ルーカスも息をついた。怒りに猫のような目が光るのが分かる。その気持ちは、嬉しいものだ。
「あちらも、平和的に両国の関係を修復するつもりだったということだ。だが何者かが、それを阻んだ。これも噂だが、俺が送った最初の親書も届いていないらしい」
「じゃあ、なに? お互い最初に送った親書が届いてなくて、今戦ってるって事?」
「そうなる」
「……最悪だ。それって、今の戦い全部がしなくてよかったことになるじゃん! 命張る事もなくて、仲間が死ぬ事もなかったって事だろ!」
「……そうなる」
ヨハンの怒りは深く激しい。そしてそれは、ルーカスも同じだ。そして、ユリエルも。
「この人物がどこに行き、どこで消息を絶ったのか。それを行った人物が誰で、どこに繋がっているのかを探してくれ」
「そんなの探る必要ないよ。絶対教皇の周辺だ」
「そうだとしても証拠がない。親書か、親書を預かった使者の痕跡が必要なんだ」
「何、するつもり?」
「教皇の不信任を通す。その為には、王命に背き国家を危険に晒した証拠がいる。確かな物的な証拠と裏付けが必要だ」
「!」
ヨハンが息を呑むのが分かった。それだけ、事は大きな事だった。
§
「教皇の不信任?」
二人で今後の話をした時、ルーカスはユリエルにこの案を話した。それは、ルーカスにとっても命がけの覚悟だった。
「王と教皇の立場は非情に拮抗している。王は教皇と共に国を支える二柱だと位置づけられている。だから、この両名が不仲な場合とある条件を満たせば王は教皇を退位させ、新たな教皇を置く事ができる」
それは確かな国の法であり、王の権限だ。だが、一度しか使えない諸刃の剣でもあった。
「なぜ、すぐに使わないのです?」
不思議そうに首を傾げるユリエルに、ルーカスは苦笑する。そしてもう少し詳しく話をした。
「王と国に対し、明らかな損害、謀反となる行いが認められた時に、大臣及び十名の枢機卿の半数以上が不適切だと判断した場合のみ、教皇を決める選挙が行われる。この選挙で王は新たな教皇候補を出し、現教皇とどちらが適任か、国民に問う事となる。王が立てた教皇が選任されればいいが、負ければまずい」
「何がです?」
「逆の事が行われる可能性が大きいからだ」
ルーカスの言う事を正しく理解したのか、ユリエルのジェードの瞳が大きく見開かれた。
「王が教皇の適性を問う選挙を行い、それでも国民の信頼を得た時には、教皇は王の退位を国民に問う事ができる。条件は先の選挙に勝つ事。そして、王位を継ぐ者がいること」
「貴方に兄弟はいないでしょ? 従兄弟のジョシュ将軍も」
そこまで言って、ユリエルは口を噤んだ。気にしているのだろうが問題はそこではない。ルーカスは苦笑した。
「ジョシュの息子がいる。今年一歳だ」
「一歳の子を王に据えるつもりなのですか!」
驚いた顔で言うユリエルだが、ルーカスは容易に想像ができた。幼ければ御し易い。教皇が後ろ盾となって国をいいようにするだろう。そうなれば、この国は最悪な軍事国家となる。
「そうならない為にも、明らかな謀反の証拠が欲しい。親書、もしくは親書を運んだ者の明らかな証拠がいる」
「親書は既に処分されている可能性がありますが、身に着けている物ならまだ残っているかもしれませんね」
そう言うと、ユリエルはニッと笑った。
「お守りを探してください。翡翠の、旅人のお守りです」
「それは」
見覚えがある。リューヌと名乗った彼がつけていたのも、確か翡翠のお守りだった。
「私のお守りを渡しました。あのお守りには、留めや装飾にタニス王家の家紋が小さく彫り込まれています。翡翠自体にもありますから間違いがありません。それを持っているのは、王家の命を受けた使者のみです」
ユリエルの言葉にルーカスは頷き、まずはその使者を探す事から始める事としたのだった。
§
ヨハンは不安そうな顔をしている。だが、ルーカスはやるつもりだった。困難でも、不可能ではない。そう信じている。
「使者を見つけて、その使者を襲って親書を隠した人物が教皇と結びついている。その証拠を求めるわけ?」
「そうだ。それに、それを見つけて民に知らせればとりあえずの停戦が可能かもしれない。交渉次第では、タニスとの関係をとりあえず取り持てる」
「そんな都合よくいくの?」
「信じるしかない。だが、同じように和平を望んだ心がタニス王にもあるのなら、願いは同じはずだ」
ルーカスの言葉にヨハンは少し考えて静かに頷く。そして早速、夜の闇に消えていった。