「どうして、剣を持ってこなかった?」
含み笑うような問いに、ユリエルは「貴方だって」と返した。きっと互いに相手を完全に信じる自信はなかっただろう。そうであってもらいたい。
「信じる事にしたのですよ。これで死んだら呪ってやろうと」
「まぁ、俺も同じようなものだな。もしも君が俺を殺しても、俺は恨まない事にした。それだけのことをした」
「貴方だけの責任ではありませんよ。この出会いは……神が起こした残酷な仕打ちです」
「そうだとしても、出会えたことに悔いはない。交えた心と言葉に、恨みはない」
以前から思っていた。彼は時々欲しい言葉をくれる。与えられる愛情が嬉しくて、与えたいと願う。与えられているだろうか。
「傷はもう、癒えたか?」
その言葉に、ユリエルの胸は痛んだ。思わず見上げた瞳はとても静かだった。
「あの傷は、ジョシュがつけたものだったんだな」
「……私が憎いなら、貴方は剣を持ってくるべきでしたよ」
「正直に言えば、失った直後ならそうしただろう。タニス王都で会った時ならそうしたかもしれない。だが、今は痛んでも憎しみにはならない。俺はもう、大切な者を失う苦しみを味わいたくはない」
大きくて少し硬い手がふわりと髪を撫でる。それは心地よく、胸が痛んだ。
「私が、手を下したのです。私は、彼を……」
「強かっただろ? あいつは俺にも引けをとらないからな」
「全力でした。だからこそ、私も全力で彼に応じました。彼は最後まで誇り高い騎士でした」
その言葉に、ルーカスは深く頷いた。
「すみません」
「それはいいんだ。戦なのだから。だがユリエル、一つ聞きたい。どうして父王を殺した?」
凛とした声が問う。それは王の声だった。有無を言わせず、従える声。だがユリエルも王だ。それに易々と答えるほど心は弱くない。言葉を選び、嘘にならないように考える。そして、口を開いた。
「あの人は国の全てを家臣に任せて、王としての職務を放棄した。その結果、国内は腐り始めている。私はそこから治療しなければならないのです。溜まった膿を手段を選ばずかきださなければならない。そこに、古い病巣は邪魔なだけでした」
「……そうか」
軽蔑されたわけではなく、受け入れられたことに驚きを隠せない。ユリエルは安堵したように、少しだけ力が抜けた。
「苦しくはないか?」
「父を殺した罪悪感ならありません。あれは母を苦しめた。母が弱音を吐かない事をいいことに、存在すらないように扱った。私はその仕打ちを一度だって許していない」
「母親が、大切だったんだな」
「あれほどに、凛として聡明な女性を他に知りません。王としての私を育てた人です」
母がいなければ、あの人が教えてくれなければ、ユリエルはとっくに潰されていた。頼る者のない状況でも強くあれたのは母の教えがあったから。誇りだったから。
「ユリエルにとって、母が生きる糧だったのだな」
「そうかもしれませんね」
温かく微笑んでくれるこの人が、今後の支えになってくれるだろうか。そうであってもらいたいと願う。
だがそのためにはこの争いを止めなければ。このまま戦争を続けるわけにはいかない。だが、それには大きな問題があった。
「ルーカス」
「どうした?」
「どうして、私の親書に応えてくれなかったのですか?」
ユリエルは射るような目でルーカスを見た。最初に送ったあの親書に彼が応えてくれていたら、ラインバールの戦いは起こらなかった。
だがその言葉に、ルーカスは訝しそうに首をひねる。そして同じように射るような瞳が、ユリエルへと向けられた。
「何の事だ? 俺は開戦を受け入れる旨の親書しか受けていない。それにユリエル、君こそどうして俺の親書に応えてくれなかった?」
「何の事ですか? 私はルルエからの宣戦布告しか受け取っていません」
互いの瞳が、大きく見開かれる。ユリエルの心臓は嫌な音を立てて鳴っていた。そして、こみ上げる怒りに震え、立ち上がった。
「ユリエル!」
走りだそうとしたユリエルの腕をルーカスが掴んだ。だがユリエルは振り返り、止めるルーカスを睨み付けた。
「離せ! あの毒虫共、今すぐに殺してくれる! よりにもよって王の親書を盗んだんだぞ! そのせいで、どれだけの兵が死んだと思う。どれだけの者が悲しむと思う。どれだけの憎しみが生まれると思う! 血の一滴も流さぬ愚か者が温かな場所で幸せに暮らし、国の為に戦った者が不幸を背負うなどあってなるものか!」
「落ち着け、ユリエル! それだけはしてはいけない!」
掴まれた腕が強く引かれ、暴れても敵わぬ力で抱きとめられる。それでも、怒りに染まった心はなかなか治まらなかった。
「ユリエル、証拠も無しに酷い仕打ちをすればその後どれ程の善政を敷こうが、君は暴君と言われてしまう。一時の感情に呑まれて虐殺などすれば、人の信頼は失われる。お前の治世は始まったばかりなんだぞ」
「では、これを許せと言うのか!」
荒れる心のままに怒気を含む声をルーカスに向ける。だが、返ってくるのはどこまでも静かな金の瞳だった。その瞳にはユリエルと同じくらい、怒気や憎しみが含まれていた。
「証拠を見つけ、裁く。王の親書を盗み、国の道筋を歪めた行いは間違いなく謀反だ。それを証明し、堂々と裁く」
「親書を、探すのですか?」
静かな問いに、ルーカスはただ頷いた。
「どういった内容だったんだ、ユリエル」
「平和的に両国の関係を改善させていきたい。その為の話し合いが持てるなら、捕虜とした兵を引き渡し、ジョシュ将軍の遺体を引き渡す」
「概ね同じような内容だな。俺は、両国の関係改善のための話し合いを求めた。捕虜の引き渡しに関しては、見受け代を払う事で納得してもらうつもりでいた」
「私と貴方の願いは同じだったのに、真逆の事をしているなんて。これで、引っ掛かりが取れました」
ユリエルは納得できなかったのだ。エトワールがルーカスだと分かっても、ならばどうして親書に応えてくれなかったのか。その一点が大きく彼にそぐわなくて不安だった。
だが、これで納得だ。そもそも彼は親書の存在を知らなかったのだから。
「俺もだ。お前が戦没者の慰霊碑に残した言葉を見て、この王とならば話ができると思っていた。だが、答えは返ってこない。平和的な解決などできないのだろうと思ったんだ」
「ルーカス、一度開いた幕は簡単に閉じられない。止める事はできますか?」
「……今は難しい。だが、方法がないわけではない。その為には失われた親書か、それに準ずる物を見つけ、犯人と結び付けなければ」
鋭い瞳で言うルーカスは、決してユリエルには見せない目をする。憎悪よりも更に深く憎い、そんな目だった。
「ユリエル、そちらはどうだ?」
「こちらも難しいですね。止める理由が無ければなりません。私は正直、今の家臣団とは折り合いが悪い。それでなくても弟のシリルに玉座を譲れと言われています。理由もなく、戦果も上げずに停戦などすれば何を言われるか」
「互いに立場は苦しいか」
深い溜息は苦労と心労の現れだろうか。苦々しい顔をするルーカスに、ユリエルは微笑んだ。
「時間をください」
「それは俺も同じだ。だが、どうする?」
「戦いを続けます。ただ、表面的に。被害を最小限に抑えられるように互いに協力し、策を知ったうえで動けば騙せる。そこで時間を稼ぎつつ、裏で動いてもらいます」
「スリリングな話だな。バレたら命はないだろう」
「その時は私も同罪。共に手を取って逃げてみますか?」
溜息をつくルーカスに、ユリエルは鋭い瞳で笑う。冗談っぽく言ったが本気だった。
「叶えたい夢がある。君と、何の気兼ねもなく会い、共にいられる未来を」
「えぇ、是非とも叶えたい未来です。その為にはどんな手でも使う」
「悟られないように」
「たとえ信頼している部下でも、易々とは教えられない」
不敵な笑みを浮かべた二人は、しっかりと向き合って頷き合う。そして、今後の話を軽く確かめ合うのだった。