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4話 戦の後(2)

 その夜、タニス側はようやく落ち着いた。負傷兵の手当ても終わり、死んだ者の弔いも済ませた。

 既に深夜に近い時間。ユリエルは砦の中庭が見える場所に腰を下ろしていた。


「風邪引くぞ、ユリエル坊ちゃん」

「ロアール」


 投げ込まれるように上着が飛んでくる。それを受け取って、ユリエルは薄く笑った。ここで彼を待っていたのだ。


「兵達の様子は?」

「数人、峠を越えてくれた」

「レヴィンの容態は?」

「ありゃ簡単には死なないよ。多少熱があるが、明日には引いているだろう。今はシリル様が傍についてる。甲斐甲斐しいもんだよ」


 ユリエルの隣にどっかりと座るロアールは、ぼんやりと空を見ている。ユリエルも空を見ていた。憎らしいくらい綺麗な月を。


「あいつの事、知ってたのか?」

「本人に聞いてはいません。ですが、なんとなくは」

「ならいいか。分かってんなら何も言わない」


 ロアールが何を言いたいのか、ユリエルは分かっていた。ロアールも察したように、それ以上は言わない。その代り、ニッカと笑った。


「それにしても、シリル様は強くなったな。逃げないそうだ」

「大切な者を見つけたのですよ。ロアール、すみませんがあの子に剣を教えてあげてくれませんか?」

「俺、甘やかさないけれど?」

「当然です。命がかかっているのですから甘やかすなんてことしないでください」


 ユリエルの言葉は重い。それは、戦う事の非情さを知っているからだ。敵は剣を持たない人間に対しては寛容だ。下手な事をしなければ命まで奪われることはない。だが、剣を持った人間に対しては決して優しくはない。


 彼が、そんな非情な人間ではないと信じてはいるが。


 この期に及んでまだ彼を信じている。逢瀬を重ねた彼はそんな非情な人間ではない。慈悲深く、愛情深く、優しく包容力のある人だ。だから……。


「まぁ、俺のやり方についてくるってなら教えるさ。それが、シリル様がここにいる自分に課した条件ならな」

「大丈夫ですよ。あの子は強いから」


 溜息をつきつつ苦笑したロアールに、ユリエルも笑う。急速に強くなるシリルはきっと、持ち前の頑固さと芯の強さで乗り越えていく。そう、ユリエルは確信している。


「それにしても、まったく似てないと思っていたがやっぱ兄弟は似るもんだな」

「ん?」

「覚えてるかい? 貴方が俺に剣を教えてほしいと言った時の事を」

「覚えていますよ」

「今のシリル様は、あの時の貴方と同じ目をしている。ちょっと気力負けしそうな程、強くて強引な目だ。まるで歴戦の騎士のようでおっかないよ」


 その言葉に、ユリエルは苦笑した。

 覚えている。母が死に、城の中に味方はいなかった。強くならなければならなかった。そうでなければ城の中で死ぬのだと分かった。戦う力を、殺せる力を持たなかければ殺されるのは自分のほうだったのだ。


「平気か、ユリエル坊ちゃん」


 不意に声をかけられる。その声に、ユリエルは弾かれるように視線を向ける。ロアールは視線を合わせようとはしない。あえて、見ないようにしているのだろう。


「今の貴方は母親の墓前に立っていた時よりも酷い顔だ。何か、あったのか?」

「私の心配は無用です」

「……了解しました、陛下」


 ロアールという人物は人の深くを見る観察眼を持っている。ユリエルは追及を拒絶した。そしてロアールもそれを察して下がってくれた。


「では、これで失礼します。シリル殿下の事は明日から」

「頼みます」


 それだけを残して、ロアールは一礼して下がっていく。ユリエルもその背を見送って、席を立った。


 ユリエルは王の寝室へと戻った。ここはエトワールの使っていた部屋。薄い服に着替え、体をベッドに埋める。僅かだが、香りが残っているように思えた。昨夜までここで彼は眠っていたのだろうか。


「っ!」


 こみ上げてくる嗚咽を抑えられなかった。涙が頬を伝った。声を大きく上げて泣くことはできなくて、枕に顔を埋めた。だがそれでも、僅かに漏れる声は心のままに痛かった。

 もう、彼との道は交わらないのだろうか。もう、寄り添う事はないのだろうか。幸せな時間は、場所は、戻ってこないのだろうか。あの人は、本当に遠い世界の人になってしまったのだろうか。

 僅かに残って、明日には消えてしまうかもしれない残り香だけがユリエルの傍にあった。



▼ルーカス


 ルーカスはラインバール平原からさほど離れていない場所に野営を張っていた。一番大きなテントにはルーカスとガレス、そしてキアがいる。体勢を整えればこのまま戦う事はできるだろう。だが、ルーカスはあえてそれをせずリゴット砦へと下がる事を提案した。


「頑張ればもう一戦できるよ、陛下!」

「頑張る必要はないと判断なさったのです。リゴット砦まで下がって態勢を整える事を考えれば、当然です」

「けど、追撃されないとも限らないだろ。それは痛手になるぞ」

「それはない」


 重いルーカスの言葉に、ガレスとキアは視線を向ける。ルーカスは先程から顔を伏せ、深く考え込んでいる。不審に思われたのかもしれない。


「陛下、何をお考えです?」


 キアの言葉に、ルーカスは苦笑して首を横に振った。言えるわけがない。敵国の王を、心より愛してしまった。全てを知った今もその想いに変わりがないなんて。


「タニスも痛手は同じだ。態勢を整えるのにそれなりに時間もかかるだろう。追撃の心配はしなくていい。一度しっかりと、こちらも立て直す」

「まぁ、陛下がそう言うなら」

「タニスは強いからね。僕が当たったタニスの密偵、あれは只者じゃないよ」


 戸口で声がして、ルーカスは弾かれたように視線を向けた。そこには包帯を巻いたヨハンが苦笑して立っていた。


「ヨハン、休んでいなくていいのか」

「もう十分。深い傷はなかったしね。ごめん、陛下。役立たずで」


 駆け寄ってヨハンの手を引いたルーカスは柔らかなラグの上に座らせる。それに、ヨハンは申し訳なさそうに笑った。


「お前、ボロボロにやられてたけどさ。そんなに強いのがいたの?」

「グリフィス将軍に見逃してもらったガレスに言われたくない。……強かったよ、怖いくらい。多分、僕も見逃されたんだと思うけれど」

「ガレス、グリフィス将軍はどうだった?」


 ルーカスの問いに、ガレスは腕を組んで考える。そして、ポンと自分の膝を叩いた。


「無理! あれは化物だよ。戦場で手ほどき受けてる感じだった。実力違いすぎる」

「タニス王とも斬り合ったのですよね? 王はどうですか?」


 キアが話を向けるのを、ルーカスは心臓が痛い思いで聞いた。たった一撃だったが、ぶつかったあの衝撃はまだ手に残っている。


「あの人、別の意味で怖いよ。なんていうかな……気迫とか覚悟とか、そういうのが怖い。自分の事なんて庇わない感じだし、剣も鋭いし」


 ルーカスは黙り込んだ。逢瀬を重ねた相手が、想いを繋いだ相手が、まさか敵国の王だなんて。裏切られた気持ちがないわけではない。だがそれ以上に、これまでの関係が作り物だったのかと苦しくなる。


「陛下?」

「あ……」


 深く考え込んでしまって、呼ばれている事に気付かなかったルーカスを幼馴染たちが心配そうに見ている。それに、ルーカスはぎこちなく笑った。


「疲れているのですよ、陛下。今日の所はこれでお暇します」

「……すまない」


 キアに促されるように他の二人も席を外してくれる。それを見送り、ルーカスは簡易の寝台に横になり頭から毛布をかぶった。

 頭の中は常に「彼が何故……」という想いで一杯だった。

 おそらく、あちらも知らなかったんだ。出会いは偶然だったはずだ。ただ偶然に知り合って、情を交わし、溺れてしまった。

 本気だったんだ、深く刻む程に。戦いを乗り切る目的にするくらい。だからこそ、こんなに苦しい。


「彼も」


 苦しんでいるだろうか。同じ気持ちで、いてくれているだろうか。今頃、想って涙を流してくれているだろうか?

 そうだとしたら幸せだ。たとえ叶えられない想いでも、心まで離れていないと思える。

 こんなにも絶望的なのに、それでも想いを捨てられない。思えば胸が温かく、熱く、苦しく思う。続けていくことはできない。だが、一目だけでも会いたい。

 外に目を向ける。そこには綺麗な月が浮かんでいた。出会ったあの日と同じ、綺麗な月が。

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