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3話 真実(1)

▼ユリエル


 翌日は雲の無い晴天だった。ただ風は強い。その中、ユリエルは敵陣をしっかりと見据え、最終的な打ち合わせを行っていた。


「ファルハード、足に自信のある者を集めてレヴィンと共に森を突っ切り、敵陣の武器庫、及び兵糧庫を爆破してください。無理はしなくていい。相手の戦意を下げる事が目的です」

「了解だぜ、陛下」

「敵の伏兵がいるかもしれません。その時には無理をせずに引き上げるか、緊急信号を送りなさい。助けに行きます」


 神域の森に兵を伏すことはないだろう。だが、あちらもタニスの陣中に人を送り込む可能性はある。そういう者と鉢合わせになる可能性はあった。


「私は先頭に立ちます。グリフィスは今回、序盤は陣中に残ってください。クレメンスは周囲をよく見て作戦通りに。機を見誤ると自軍の被害が甚大です」

「心得ております、陛下」


 今回の戦いにおいて一番の鍵を握るクレメンスが恭しく礼をする。それに、ユリエルはしっかりと頷いた。


「物資の輸送、兵の補充などはヴィオにお願いしました。後方の心配はとりあえずしなくていい。ロアール、負傷兵の手当てを優先してください。傷の深い者を早めに聖ローレンス砦まで下げていい」

「了解、陛下」


 ロアールも頷き、砦の中に作った救護所に引っ込んでいく。それを見送り、ユリエルは外を睨んだ。


「あちらも準備はできているようです。全員、生きて戻りなさい」


 最後の命令は、ユリエルの願いだった。

 外に張った本陣テントの背後には石造りの城壁と砦。その扉が僅かに開いて、小柄な少年が駆けてくる。そして、ユリエルの前に立って一つ頭を下げた。


「兄上、ご無事で」

「えぇ、分かっています。シリルもしっかり見ていなさい」


 戦えないシリルには砦の守りを頼んだ。見えている場所で近しい者が危険に晒される恐怖を、それでもシリルは受け入れた。強い瞳がしっかりとユリエルを見た。


「ほら、レヴィンにも挨拶をしてあげなさい。彼も危険な役回りです」


 それを聞いたシリルが血相を変えて走っていく。その後ろ姿を、ユリエルは温かな笑みで見送った。幼い少年の恋路はまだ始まったばかりだ。

 ふと、自分の胸にも溢れるものがあった。今どこで何をしているのか分からない人。どうか元気であればいい。この戦いを治めたら、再び出会える事を願っている。その為には生きていなければ。

 ユリエルは深く自らに誓い、前へ出る。そして、黒い波にも見える兵達を見据えた。



▼レヴィン


 その頃、レヴィンはシリルに捕まっていた。しかも、ファルハードとアルクースの目の前で強く抱きしめるように捕まっている。


「あの……シリル?」

「待っています、レヴィンさん。ちゃんと無事に帰ってきてください。怪我とか、気を付けてください」

「あぁ、うん」


 なんというか、凄い目で見られている気がする。レヴィンは向けられる視線の痛さを感じていた。ニヤニヤしながら見ているファルハードなんて後で尻を蹴とばしてやりたいくらいだ。


「愛されてるねー、レヴィン将軍」

「ファルハード」


 後で偶然を装って襲ってやる。

 心に決めて、レヴィンはとりあえずシリルを落ち着かせる事を考えた。こういう時に遊び人の根性が役に立つ。まずは笑みを浮かべて、視線を合わせて、頭を撫でるのがいい。


「大丈夫、帰ってくるよ。心配しないで待っておいで」

「待っています。貴方に何かあったら、僕は兄上でも許しません」


 こういう所が予想外でちょっと心を掴まれそうになる。あの怖い兄に立ち向かおうっていうのだから。少し笑って、レヴィンは強く頷いた。

 やっと安心して離れてくれたシリルを砦に返した後、レヴィンはファルハードを睨み付ける。素知らぬ顔をすれば許したのに、いちいちビビるのがまた気に食わない。


「ほんと、愛されてるよねレヴィン。ちょっと妬けるかな」

「アル……」


 アルクースにまでそんな事を言われるとちょっと悲しくなる。だが、それに続いたのは冷やかしではない、温かな言葉だった。


「いいじゃないか。これで、絶対に死ねない理由ができた。シリル殿下に感謝しないとね」


 それは、確かにそうだ。死ねないどころかあの子を守る為には勝たなければという意識まで生まれる。そう、ここを突破されれば後方のシリルが危険に晒される。それだけは絶対にできない。


「おっ、表情しまったなレヴィン将軍。いい顔してるぜ」


 気の引き締まったレヴィンを見て、ファルハードがニッと笑う。普段なら腹も立ったが、この時はまったくそんな気が起こらなかった。



▼ルーカス


「ヨハン、森を通ってタニス本陣の奇襲。ガレスは先陣を任せる」

「了解です」


 敵陣と自陣の図を前にしてルーカスは言う。二人の信頼できる仲間はそれに頷いてくれた。


「ガレス、十分に気を付けてくれ。敵は強い」

「それはいいけれど、陛下は?」

「俺は少し見ている。どうも一筋縄ではいかないような気がする。妙な動きがあればすぐに知らせるから、無暗に突進するな」


 ルーカスの言葉にガレスは妙な顔をする。だがそれにも納得ができる。今までルーカスは、常に戦いの先頭に立っていたのだから。


「陛下、僕はどうすればいい? 敵陣の大型兵器の破壊は了解してるけれど、他は?」


 不敵に笑ったヨハンの言葉にルーカスは瞳を細める。そして、迷いながらも口を開いた。


「タニス国王ユリエル・ハーディング、敵将グリフィス・ヒューイット、クレメンス・デューリーは生かしておけば災いとなる。この三名については早めに討ち取りたい。そして、王子シリル・ハーディングについては絶対に殺すな。彼を殺せばタニス平定は困難だ」


 タニス王家の血が絶えればルルエに向かう憎悪はとんでもないものになる。どんな者が王となるかもわからない。そんな面倒御免被る。


「グリフィス将軍か、一度戦ってみたかったんだよな。戦場で黒衣を見たら帰ってこられないって噂だしな」


 ガレスは楽しそうにそう言って拳を握る。その様子に、ルーカスは苦笑した。


「二人とも、生きて帰ってこい。無駄死には許さないぞ」


 ルーカスの言葉に、二人はしばし沈黙し、その後とてもいい笑顔で頷いてくれた。



▼ユリエル


 開戦のファンファーレが鳴る。ユリエルはわざと目立つ格好で前線に立った。白馬に乗り、白い甲冑を纏う。頭を覆う物はつけず、額を守るティアラだけを付けた。その姿は神々しく、戦の天使が舞い降りたようだった。


「全体の統率を乱すな! どんなに絶望的でも生き残る事を考えろ!」


 ユリエルが飛ばす檄に、騎兵も歩兵も鬨の声を上げて応えた。

 ユリエルの隊は騎兵ばかりだった。だが、その数はそう多くはない。後方を行くグリフィスは逆に大勢の歩兵を従えている。見ればルルエは定石通り、騎兵で固めている。


「クレメンス、合図を忘れないように。私の事は捨て置いていい」

「分かった、とは言い難いのですが。ご安心ください、必ずや期待に添いましょう」


 それぞれが位置につく。ユリエルは前線に、グリフィスは本陣に。既に動き出している別動隊は、とっくに森の中を進んでいるだろう。


 互いのラッパが鳴り、太陽が僅かに翳った。それを合図にしたように、二つの国は土豪を上げて雪崩れ込む。ラインバール平原は敵味方入り乱れての乱戦となった。

 ユリエルはその最前線に立ち、一瞬のうちに存在を示した。前方から槍を構えた兵を剣の一撃で討ち果たし、横から突き立てられた槍の先を切り落として落馬させ、そのまま止めを刺す。ユリエルは騎乗しても槍は使わない。愛用の剣一本で戦場を渡る。

 ユリエルは周囲を見回した。前線は予定通り、タニス軍が押していた。どんどん前線を引き上げていく。それを確認し、更に前線を上げるべく乱戦の中へと身を躍らせる。幾人もの敵を切り捨て、味方の死を近くに感じて、白い衣服を赤く染めて、ユリエルは単騎敵陣に切り込んだ。

 無謀にも見えるが、そこはユリエルの力量だ。上手く馬を操る。そうして何十人目かのルルエ兵を地に伏せた時、不意に力強い馬蹄が聞こえた。それは明らかに、これまでの者とは違った。


「たぁ!」


 ルルエ本陣を切り開くように現れたのは、目にも鮮やかな赤い装備の青年だった。まだ若いその将兵は槍を突きだす。ユリエルはそれを弾き、逆に相手の腕を狙った。だがそれは上手くかわされてしまった。

 二頭の馬は馬首を返して向かい合った。戦場がそこだけ切り取られたように二人の周囲が自然と開く。赤い騎士はユリエルをマジマジと見て、軽く口笛を吹く。感心したようだった。


「俺の一撃を弾いた奴なんて久しぶりだな。あんた、何者だ?」

「人に名を尋ねる時はまず名乗るのが礼儀ではありませんか?」


 凛と通る声が戦場に響く。この騒音の中でもユリエルの声ははっきりと届く。赤い騎士は目を丸くし、その後は愉快そうに笑った。


「ルルエ国、第三騎士団長ガレス・ヴィヴァース。あんたの名を聞き、堂々と戦いを挑みたい!」


 何とも気持ちのいい青年だとユリエルは笑った。真っ直ぐで堂々として、強く頼もしい。不正を許さぬ強い意志もあるだろう。そんな彼を見て、ユリエルは綺麗な微笑みを浮かべ、宣言通り名乗りを上げた。


「タニス国王、ユリエル・ハーディングと申します」

「……!」


 優雅に礼をしたユリエルに、ガレスは目をパチクリとした。おそらく、上手く飲みこめなかったのだろう。だが徐々に状況が理解できてきたのか、口をパクパクさせて指を指した。


「あんたが、タニス王!」

「さぁ、死合いましょうか」


 優雅な仕草で剣を構えたユリエルに、ガレスは気圧されるように槍を構える。その表情には明らかな恐れが浮かんでいるように見えた。

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