目次
ブックマーク
応援する
1
コメント
シェア
通報

2話 悲劇の前夜(3)

▼戦士の夜


 戦いの前夜ともなると戦士の昂ぶりは仕方のない事。それはグリフィスほどの猛将でも同じこと。眠れなくて、剣を片手に修練場へと出る。そして、素振りをしていた。


「そんなに頑張ると明日に響くぞ」

「ロアール先生」


 背後で声がした。そこには酒を片手にしたロアールがいる。汗を軽く拭いて剣を置くと、グリフィスはそちらへ向かう。


「お前はよく戦場に出る気になるな」


 苦笑して迎えたロアールに、グリフィスも同じように苦笑する。


「何を言うのです。貴方だって昔は戦場で剣を握っていた。それは綺麗な、戦場の舞姫と呼ばれるほどの使い手だったのに」

「何年前の話をしてるんだよ、お前は。俺は戦場が怖くなって逃げだした、駄目人間だ」


 酒を飲み、遠い過去のような口ぶりで言うロアールに向かって、グリフィスは力なく笑う。彼の心が既に戦場にない事は知っている。だがそれでも、その才は失うのが惜しいものだった。

 ロアールはかつて一万の兵を率いる将兵だった。華麗で的確な戦い方は、まるで剣舞を舞うような姿だった。まさに正確無比な剣。

 だがそんな彼がある日、突然と剣を置いてしまった。そして、軍医になったのだ。たまたまそちらの才能もあったから今があるが、そうでなければ何をしていたのか。


「どうして、剣を置いたのですか」


 グリフィスの問いに、ロアールは口を閉ざして考えた。遠くを見る目は、決してグリフィスを見ようとはしない。だが、逃げる様子もない。とても不思議な存在に思えた。逃げないけれど、近づかせない。掴みどころがなかった。


「グリフィス、お前は家族を殺された子供の顔を、見たことがあるか?」

「それは……」


 不意の問いに、グリフィスの表情は曇る。グリフィスにも覚えがある。仲間を、友を、家族を殺された人の顔は鬼のようだ。本当にこのまま殺されるかもしれないと思えるくらいの、憎しみの顔だ。


「俺は、生きてる人間が好きなんだ。人ってのは生きて笑ってる姿が一番綺麗でいいんだよ。俺はその為に戦っていると思っていた。だが……そうじゃないんだよな」

「言いたい事は、分かります」


 戦は人が死ぬ。笑う人間もいる。だが、泣く人間もいる。憎しみが生まれる。この先に笑って暮らせる世界があるというけれど、時々それが見えなくなる。奪い尽くし、殺しつくすまで終われない。そんな思いを抱いた事がグリフィスにはあった。


「グリフィス、お前は何の為に戦う? 利権を貪る狸どもと戦って、若い王を立てるその先に、本当に未来は見えるのか?」


 ロアールは絶望したのだろう。終わりの見えない戦いの日々に疲弊し、見ていた未来を見失ったのだろう。ならば、剣を置いた理由も頷ける。

 だがグリフィスは違った。まだ大きすぎて見えない未来を捉えるのは容易ではないが、ユリエルという王を通してならば見えるように思えた。


「俺は、笑って剣を置いて暮らせる世界を見ています」

「くると思うのか?」

「信じなければ何も得られないと思いますが? 俺は、信じる事にしたのです。ユリエル様はそれを叶えるために力を尽くしている。支えるのが、俺の役目です」


 信念は貫かなければ叶わない。叶えなければならないのだ、犠牲になった全ての者の為にも、自分の為にも。これまでを無駄にはできない。

 ロアールが深く瞳を閉じる。そして、ぽつりと呟いた。


「俺は今でも覚えている。たった十二の子供が、母親の墓前で涙を流す事もできずに黙っていた。倒れてしまいそうな程幼いのに、倒れないと意地になっていた姿を」

「それは……」


 ユリエルの幼い頃の話はグリフィスも知っている。ロアールはユリエルの剣の師だ。ユリエルの今の剣は、ロアールのそれを引き継いでいる。


「あの姿を見ると、俺は可哀想に見えた。人はあいつを強いと言うが、俺には今でも強がりに見える。グリフィス、あいつの強さは脆さがある。大きすぎる期待を背負い、毒を抱えたまま無茶をする。一人にするなよ」

「勿論、一人になどしません」


 誓うように言うと、ロアールは頷いて背を向ける。ひらひらと手を振って、その場を後にしてしまう。

 残されたグリフィスは頭をかいて剣を納め、自室へと戻っていった。



▼ルーカス&ユリエル


 遠く、ルーカスは空を見ていた。薄い雲が月を隠し、その姿を見る事ができない。それはまるで今の心のように思えた。

 一人の室内はとても静かで寂しく、人恋しい。ルーカスは布団に潜り込み、手繰り寄せるように抱きしめる。自分一人の体温が虚しい。傍にいて欲しい人の姿はない。あるのは影だけ。思い描く幻像だけ。


「リューヌ」


 君はこの空をどう見る。悲しく思うだろうか。俺には、心を映したように思える。戦など君は嫌うだろう。それを今、行おうとしている。軽蔑するだろうか。

 次に会う時、どんな顔をしていいか分からない。だがそれも、明日生きていればの話だが。


 そんな事を考えながら、ルーカスはぶつりと思考を止めた。これに何の意味もないと分かっている。こんな事を今思っても彼が傍にいてくれるわけでもなく、苦しくなるばかりだ。

 諦めて瞳を閉じる。けれどこの日、なかなか眠りは訪れなかった。


§


 ユリエルもまた、眠れぬ夜を過ごしていた。レヴィンに起こされ、すっかり眠れる気がしなくなっていた。

 仕方なく窓際に移動し、空を見る。けれどそこに月はなかった。


「今夜は、月が出ていませんね」


 彼は今、どこにいるだろう。同じように空を眺めているだろうか。


「エトワール」


 貴方の知らない所で、貴方の知らない私はどんどんこの手を血に染める。敵も味方もなく。この穢れを、どう洗えばいい? どんなに飾っても、偽っても、どんどん貴方に似合わぬ者になっていく。

 ユリエルは考えるのを止めて、布団の中に潜り込んだ。眠りなど訪れないだろうが、それでも起きている意味がなかった。ならば、少しでも体を休める事にしたのだ。

この作品に、最初のコメントを書いてみませんか?