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2話 悲劇の前夜(2)

▼レヴィン


 その頃、レヴィンは部屋で待っていた人物に生まれて初めて素っ頓狂な悲鳴を上げていた。


「シリル! どうして、王都にいるんじゃ!」

「あの、来ちゃいました」

「来ちゃいましたって……」


 大抵の事には動じないレヴィンだったが、これには床に力なく崩れ落ちた。扉を開けていきなりこれだ。中にいたシリルは苦笑したが、悪びれる様子はない。何がどうなっているのか分からない状態だ。


「ユリエル様が知ったら怒るよ」

「それは平気です。兄上の許可は取りましたし、そもそも僕は王都から離れる方がいいと言われていましたから」


 苦笑したシリルの言葉に、レヴィンは鋭い視線を向けた。

 ユリエルが王として即位した事で、現在政権を担っている重臣たちが荒れているのは知っていた。奴らにとってユリエルは扱いづらく、敵対の図が出来上がっている。そうした者がシリルを支持しているのも知っている。おそらく王都を離れるようにユリエルが言ったのは、こうした者の手からシリルを守る為だ。

 だからって、どうしてわざわざここに連れてきたんだ。こんな力のない子を戦場に、しかも最前線に。いくらこの子が望んだ事でも。人不足……というわけでもあるまい。


「もしや!」


 ふと思った事があって、レヴィンは血の気が引けて走り出した。向かったのはユリエルの部屋。主の部屋にこんな時間に、しかも無断で入れば普通は首が飛ぶだろう。だがこの時のレヴィンは色んな悪い可能性が浮かんで気が立っていた。

 ノックも無しに扉を乱暴に開け、眠っているユリエルの上に馬乗りになる。抵抗される前に細い腕をつかみ上げ、レヴィンは彼を睨み付けた。


「何事です」

「どうしてシリルがここにいる。答えによっちゃこのまま犯すぞ」

「やれるものならやってみろ」


 低い怒気を含む声は怖い。ユリエルの瞳が氷のような冷気を含む。だが、それ以上の怒気をもってレヴィンはユリエルを見ていた。


「シリルがどうしてここにいる」

「王都に一人残していくよりも安全だからです。それに、あの子の望みでもありました」

「だからって危険なんだぞ! 力のない奴がいるべき場所じゃないのは、あんただって分かっているはずだ!」

「では、彼の気持ちは無視すると?」


 冷静で冷たい声が問う。それに、レヴィンは声を詰まらせた。シリルがどんな気持ちでいるかなんて考えたことがない。思い出したのは、嬉しそうにレヴィンを迎えたあの笑顔だった。


「考えていないようですね。あの子は貴方を前線で見送り、迎えたいと望みました。誰でもない、貴方を」


 その言葉に、胸が僅かに痛む。こんな風に誰かに思われた事などないから、考えた事がなかった。


「王都奪還の時、よほど歯がゆい思いをしたのでしょうね。いくら王都に置くのが危険だからって、私がここにあの子を置くのを良しとすると思いますか? 聖ローレンス砦にいるように言ったのに、あの子はここまで来ると言った。危険だと言っても聞きはしませんでした。何故だと思います」

「それは」

「何も知らないまま、離れた場所で不安を抱える事が苦しいと言ったのですよ。何もできずとも、送り出し、迎えたいと。お前はそんなあの子の健気さを理解していないのですか?」


 途端に募るのは、罪悪感のようなものだった。聖ローレンス砦を離れる前夜、確かにシリルはそんな事を言っていた。何もできなくても傍にはいたい。そんな気持ちを汲んでやる余裕が、レヴィンにはなかったのかもしれない。

 ユリエルは溜息をつく。レヴィンも、ユリエルの上からどいた。


「戻りなさい。そして、シリルと向き合ってきなさい。お前にとってもシリルにとっても、大切な事だと思いますよ」


 レヴィンは頷いて、素直に部屋を出て行く。このお叱りは明日の働きで帳消しにしてもらう。それだけを心に誓って、レヴィンは自室へと戻っていった。


 部屋に戻ると、シリルは落ち込んだ顔でベッドの上に座っていた。悪い事をした子供のようだ。悪いのはシリルではなく、レヴィンだというのに。


「シリル」

「ごめんなさい。迷惑……ですよね。こんな子供が、貴方みたいな大人の傍にいたいと願っても分不相応で。力もないから、心配ばかりかけるし」


 シリルは自分の力の無さを自覚している。同時に、歯がゆくも感じている。それを、レヴィンは知っていた。

 落ち込むシリルの前に膝をついて、落ちている手に躊躇いながら触れる。新緑の瞳は、今にも濡れてしまいそうだった。


「僕、明日になったら聖ローレンス砦に戻ります。王都にはいないようにと言われていますから」


 不器用に泣き笑って、そのままどこかに行ってしまいそうなシリルをレヴィンは抱き寄せた。強く、離さないように。


「ごめん、考えなしは俺の方だ。俺はただ、戦場の危険を知っている。巻き込まれたらと思うと怖くなったんだ。シリルが邪魔な訳じゃない」


 ここが落ちれば、シリルの身柄はどうなるのか。殺されるか、捕虜となるか。どちらにしてもいい扱いは受けないだろう。その時、レヴィンはきっと傍にいられない。もしも生きているなら、彼を攫いに行っているはずだ。それができないなら、もうこの世にいないだろう。


「戦場には出ません。僕に戦う力がない事は分かっています。僕は、兄上のように強くありませんから」

「それで、いいんだよ。あの人みたいに強くならなくていい。あの人みたいに、一人で生き抜こうとしなくていい。守りがいがないしね」


 ユリエルは仲間を必要としている。それは確かだ。けれどその心には誰も入れていない。最後には一人で生きていこうとしているように思う。それはとても強いけれど、苦しくて寂しい道だ。

 シリルにはそんな道いらない。愛される王子であってもらいたい。


「明日はここにいるんだよ。守る理由にもなるし、生きる張り合いが出るしね」


 この砦にシリルがいるなら、守らなければならない。この砦ごと、この場所とこの子を。


「あの、今日はここに泊めてもらってもいいですか?」

「部屋の用意くらいあるだろ?」

「あの、兄上が。これがレヴィンへの褒美だって」


 あの兄貴、自分の弟を男の部屋に泊めさせるのか!


 なんだか最後まで謀られた気がする。しかも、とても嫌な感じで。

 それでも、レヴィンは曖昧に笑って頷いた。何をするでもないけれど、他人の温もりはこういう夜にはいいと思えたのだ。


「しょうがないな。じゃあ、隣においで」


 招いた小さな体はとても温かくて柔らかい。だからといって変な気を起こしたりはしない。戦いの前夜、興奮しきった昂ぶりを鎮め、優しい眠りに連れて行ってくれそうだった。

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