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2話 悲劇の前夜(1)

▼ルルエ


 ルルエの兵が続々とラインバール平原にある砦に集まってくる。ここは国境の平原であり、長年どちらの国にも属さぬままであった。周囲を森と山が囲うすり鉢のような平原。両国が面している部分だけが平地となっていて、それぞれに砦と壁がある。

 ここの覇権を奪った国は進軍において圧倒的に有利であった。

 地形として、攻め込むにはこの平原を制するほかにない。森は霊山の麓にあたり、神域として戦を持ち込む事も切り倒す事もできない区域。この森と霊山が国を東西に二分している。長年、両国の王はこの禁忌を侵す事をせず、平原の覇権を奪い合っていた。


「本隊はラインバール平原の奪取を優先する。船団五百は港を警戒しろ。海上からの侵入を許すな」

「相手の船団にそれほどの注意を払う必要はあるのでしょうか?」


 ルーカスの言葉に、まだ若い兵が怪訝な顔で言う。若いが身なりは立派で、それなりの地位にある事が伺えた。


「ガレスの言う事も分かる。だが、奴らの船団は腕が立つ。何より頭がいいからな。こちらに気を回している間に国内に入られることは避けたい」


 キエフに兵を送りこめなかったのはひとえに海賊崩れの船団が原因だ。奴らは海を良く知っている。これを軽視する事はできなかった。もしも国内に入られれば内側から仕掛けられる。それは面白い状況ではない。


「そんな悠長に構えていいのかい、陛下。奴等、戦う気満々でしょ。このまま総力戦になると正直勝敗が見えないよ」


 窓際に腰を下ろしている小柄な少年が呑気に言う。当初そこに人はいなかった。敵方の偵察に行っていたのだが、いつの間にか戻ってきたらしい。


「ヨハン、様子はどうだった?」

「戦力としてはこちらと同じくらい。大型の兵器も見えたかな。僕もあまり詳しくは探れなかったよ、怖くてさ」


 溜息をついた少年は軽い身のこなしで窓際を離れる。癖のある黒髪が跳ねながら揺れ、大きな猫のような緑の瞳が輝く。小柄で、装備らしいものはつけていない。革の胸当てに、グローブにブーツ姿。腰には武器を引っ掛ける為のベルトがあるばかりだ。


「それにしても、タニスがここまで馬鹿だったとは思わなかった。こちらの親書を一切無視するなんて、礼を欠いている」


 ガレスと呼ばれた赤髪の若い騎士が腕を組んで憤慨するのを、ルーカスは苦笑して見る。だが、その心は深く沈んでいた。

 ルーカスは親書を二通出した。最初の物は話し合いの場を持ち、平和的に両国の関係を改善したいという内容だった。キエフと王都の間に立つ戦没者の慰霊碑を見て、ユリエル王とは話ができると思ったのだ。

 だが結局、それに対する答えは返ってこなかった。それどころか、親書を託した者も帰ってこなかった。


「あちらも、このままでは済ませられないのだろう。やられたまま話し合いなどできないということだ。あちらがその気なら、こちらも戦わねばならない。俺には望む未来がある」


 両国の憎しみの連鎖を切る。一度は一つとなった国ならば、同じようにできるはずだ。何よりこのまま両国が憎み合い、争いあうことに何の意味があるというのか。悲劇が憎しみを生み、新たな憎しみを作り出すだけだ。なんとしても、この憎しみの連鎖を断つ。これが、ルーカスが王となった時に誓った事だった。

 同じ心を、タニス新王ユリエルも持っていると感じたが、読み間違ったのかもしれない。憎しみと悲しみの連鎖を止めるのは互いの理解だとルーカスは思っている。許す心があれば違うもので繋がれる。既に両国は多くの血を流した。もう、両成敗でいいはずなんだ。


「二つの国の溝を埋めるのは、理解と許す心。だが、タニスはそれを拒絶した。ならば戦って、弱らせてからだ。こちらが優位に立てればあちらも聞く耳を持つだろう」


 金の瞳が強く光る。それに、その場にいる三人の人物も深く頷いた。


「ガレス、前線を任せる。だが、無理に追うな。タニスは強い」

「了解、陛下。俺の力を存分に使ってくれ」

「ヨハン、森を抜けてタニス陣営の懐に入れ。大型の攻城兵器を破壊し、陣中を混乱させてもらいたい」

「任せてよ」

「キア、君は砦に残り後方の支援を。もしも砦が被害を受け、侵入された時には退陣の合図を送ってくれ」

「畏まりました」


 淡い金髪を揺らした一番年若い少年が丁寧に頭を下げる。

 ルーカスは皆を一度見回し、一つ頷いた。それに、他の三人も強い意志を込めて頷くのであった。



▼タニス


 その頃、タニスでも軍事会議が行われていた。

 メンバーはグリフィス、クレメンス、レヴィン、ロアール、ファルハード、そしてヴィオだった。

 現在、グリフィスとクレメンスが率いる部隊だけで五万はいる。元々ここに駐留している兵の中でここに残りたい者だけを残したのだが、それでも結構な数が残った。ロアールの弟がいる第三部隊は全員が残っている。

 軍神と呼ばれるグリフィスがいる事で士気は高く、ある意味熱狂的な状態でもある今、気持ちとしては申し分ない状態だ。

 国内の兵もかなりの数がラインバールへと志願したが、とりあえず聖ローレンス砦で待機してもらった。物資の輸送、戦えなくなった者との交代要員として下がってもらったのだ。

 クレメンスの元には智将を自負する者が多く集まったようで、その知識を学びたいとあれこれやっている。戦力としては弱いが、砦の運営や兵器の改良、軍略を詰める作業では役立っている。


「さて、見晴らしのいいこの平原では下手な小細工もありませんが、それでも何もせずに力おしというのは芸がない。明日の作戦としては、先に話した通りです」


 ユリエルの言葉に、集まった者は頷いた。その表情は心なしか引き締まっている。


「クレメンス、攻城兵器の指揮と全体の指揮を頼みます。後方はロアール。前線には私とグリフィスが立ちます。レヴィンとファルハードは森を通って敵の武器庫と兵糧庫を爆破してください」


 既に決まっている作戦の最終確認をする。引き締まった表情で頷く者もいれば、未だに渋い顔をする者もいる。特にロアールは嫌な顔をする。戦いの場に居る事を嫌う彼としてはいい状況ではないのだろう。だが、一番人が傷つく場所でこそ医師は力を発揮する。


「ロアール」

「分かってる。俺の個人的な感情で迷惑はかけないさ。それに、助かる命を一つでも多く救うのが医者の職務だ」

「僕は、何をするの?」


 呼ばれたもののこれといった作戦を伝えられていないヴィオは戸惑った顔をする。それに彼らは陸上戦は好まない。それを理解して、ユリエルは頷いた。


「マリアンヌ港の守りを引き続きお願いしたいのと、物資の輸送路を確保しておいてほしいのです。陸路に問題があった場合や、急ぐときには船を使いたい。ただ、無理をしないでください。今回はタニス海軍も海上を警戒している。お前達に大きな負荷をかけたくありません」

「うん、わかった。でも、もう少しできるよ。大変だったら、頼って」


 心配そうな顔で言ったヴィオがユリエルを見る。子犬のような表情に苦笑し、ユリエルは頷いた。


「有難う、ヴィオ。後方を取られないようにするだけで気持ちが楽になります。港から再び国内を脅かされる事だけは避けたいので、お願いしますね」

「うん、わかった。それじゃ、先に戻るね」

「お願いします」


 そう言うと、ヴィオはその場を離れていく。それを見送ってのち、ユリエルは表情を引き締めて一同を見回した。


「明日は決戦。今夜は自由に、思うままに過ごしなさい。解散!」


 ユリエルの言わんとしている事は皆に確かに伝わったのだろう。今ここに居る人間が明日もいるとは限らない。だから、思い残す事のないようにすごせという事だった。

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