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18話 毒虫(2)

 王都より北には深い森がある。長閑な原野では放牧の羊や馬が草を食み、静かな時間が流れている。

 ここには五年程前までシャスタ族が住んでいた。だが反乱の後はそれを治めたユリエルの直轄地となっていた。そして数週間前からは再び、シャスタ族がこの地に住まう事となった。


「よぉ、殿下……じゃなくて、陛下か。大丈夫か?」


 出迎えたファルハードは力なく笑うユリエルを見て酷く心配そうな顔で問いかける。それに、ユリエルは苦笑した。


「大丈夫ですよ」

「本当か? 随分よれてっけど」

「まぁ、多少はね。ですが、大したことはありません」


 こう言うより他になかった。


「それよりも、様子はどうですか? 他の者は?」


 村の様子を見てもこれといって不自由をしているようには見えない。皆明るく、笑顔が美しく見える。だがどこかで不安を感じているかもしれない。城の中に缶詰めになっていては分からない事が多いから。

 だが、ファルハードはニッと笑う。そして、赤い瞳を周囲へと向けた。


「見ての通り、皆元気さ。畑に家畜にって大忙しだ。年寄りなんざこの地に戻ってこられたのは奇跡のようだって、あんたを拝み倒す勢いだぜ」

「それは勘弁してほしいですね」


 苦笑したが、ホッとした。どうにか彼らとの約束は果たせたようだった。

 直轄地であるここをユリエルがどうしようと他に文句は言わせないつもりだった。戴冠の儀式後、真っ先に行ったのが彼らにこの地を返す事。国の為に尽力してくれた彼等への当然の感謝だった。

 ただ、何もなしに返すという事にはならなかった。他から大いに文句が出た。その結果、この地を与える対価を貰う事となってしまった。


「すみません、ファルハード。本来ならば税など納めさせるつもりはなかったのに、力が及びませんでした」


 力なく謝罪すると、ファルハードは目を丸くして次にはニッカと笑って背中をバンと叩いた。


「んな事気にすんな。むしろ安い対価だって。ここで育てた馬を二年に一度納めるなんざ朝飯前だ。しかも最初の三年は猶予するって事だし、馬も数頭貰ったしな。もっと取ってもいいんだぜ?」


 逆に心配そうにされて、ユリエルは苦笑する。それでも、こう言ってくれたことで少し気持ちが楽になった。

 その時、森から帰ったらしいアルクースがこちらへと歩いてくる。その表情はほんの少し険しいものだった。


「疲れてるね、陛下。大丈夫?」

「そんなに辛そうに見えますかね?」

「心労が溜まっている感じ。気も乱れてる。よほど無理してる感じだ」


 言って、アルクースはユリエルの両手を取る。そしてスッと瞳を閉じた。

 体が徐々に軽くなる感じがした。重い頭もスッキリとして、靄が晴れる思いだ。それは徐々に全身へと流れ、アルクースが瞳を開ける頃には本当に楽になった。


「これは……」

「僕は預言者だよ。シャスタ族の預言者は大地の気を読み穢れを流す。当然その力は人間相手でもできる。乱れた気を整えて、循環を促してみたから」

「有難うございます。毎日でもお願いしたいくらいですね」


 本心からそう思えるくらいに楽になった。素直に笑ったユリエルは、そのまま二人に促されるようにファルハードの家へと招かれた。


 彼の家は移動式住居のままだった。家などはまだ建設途中らしい。森に負担のない程度の伐採しか行わない彼らの家は一軒建つのに数か月かかるらしい。気の長い話だ。

 温かく柔らかなラグの上に腰を下ろしたユリエルの前に、見慣れない飲み物が置かれる。緑色の、少し粘性のある飲み物だ。だが香りは果物の果汁のような匂いがする。二人も同じ物を前にしているので、ユリエルは思い切って飲みこんだ。

 喉にどろりとした感触はあるが、味は悪くない。おそらく植物の葉を細かく擦ったものに、果物の果汁を加えているのだろう。不思議と体の中を通り過ぎて、すっきりとした。


「美味しいですね、これ」


 思わず呟いた言葉を聞いて、アルクースの表情はとても険しいものになった。それはファルハードも同じで、酷く気遣わしい様子だ。


「どうしました?」

「これ、普通は不味いんだぜ、陛下」

「え?」

「……毒、盛られてない?」


 アルクースの複雑な表情に、ユリエルは驚いたように目を丸くする。そして次には苦笑だ。肯定はしないが、否定もしなかった。


「陛下、笑い事じゃない。これが美味しいって事は毒を盛られている可能性があるんだよ。これは解毒の薬草で作ったもの。様子見て、なんだか弱ってるみたいだったから試したんだ。すぐに犯人を」

「毒なら盛られていますよ。水、食べ物などね。ですが、既に私にはあまり効果がない。それに、犯人捜しなどしても無駄です。一人を罰してもまたすぐに違う誰かが同じことをする。根本を断つことが出来なければ同じです」


 静かにもう一口飲みこむ。やはり旨いと感じるのは、体が無意識に欲しているからだろう。

 アルクースの表情がとても険しく、心配そうに歪む。そしてどこかへ行ったかと思うとすぐに布袋一杯の薬草を渡された。


「これ、原料の薬草。細かくちぎってサラダに入れてもいいし、茶に浮かべてもいい。水に溶けやすい成分だからちぎって付け込んだ水を飲んでも効果ある」

「有難うございます」

「……ねぇ、陛下。俺達にできる事はない? なんだっていい、陛下の為ならやるから遠慮しないで」


 気づかわしいアルクースの表情は本心からの心配を感じる。これはきっと、嘘偽りないだろう。その心だけでユリエルは嬉しくて笑った。最初は複雑に思えた関係も今はとても温かなものに変ったのかもしれない。


「アルクースの言う通りだぜ、陛下。そりゃ、最初はちょっと感情的だったけどよ、今は違う。俺はあんた自身が気に入った。だから、あんた個人の味方になるんだ。困った事があったら遠慮せずに使えよ。他の奴等も、あんたには感謝してる」

「有難うございます。ですが、できればそうならないようにするのが王の務め。貴方達の力を借りなくていいように頑張ります」


 とは言え、問題はそう楽ではない。国内の事も、国外の事も。


「ルルエ側との和平交渉、してるんだろ?」

「戴冠の後すぐに親書を送りました。平和的な話し合いによって両国の関係を正常化できるようにしたいという内容で。ですが、答えは返ってきていません」


 送ってからまだ数週間。あちらに届いたか、届かないかといった感じだろう。返信を待つのはどこか気が焦り、不安にさせられる。

 今回の事は、両成敗でかたをつけたいと思っている。最初に仕掛けたのはタニスだ。それに、一度王都を占拠されはしたが被害は最小限。犠牲となった者の遺族にはユリエルとグリフィスで弔問し、合葬が行われ慰霊の碑が建てられた。

 ルルエだって同じくらいの犠牲だっただろう。戦を仕掛けるも大した功績は得られなかっただろうし、ジョシュ将軍を失った。だが、捕虜としたルルエ兵は聖ローレンス砦に匿い、そこで治療して現在は元気だ。

 親書を受けてくれるのなら無条件で捕虜を解放し、ジョシュ将軍の遺体を返還、もしくはあちらの要望通りにするという内容だった。


「まぁ、焦っても仕方がない。今夜は美味い料理でもてなすから、思う存分食ってくれよ!」

「それは何よりの楽しみですね。久しぶりに大いに食べられます」


 ユリエルは素直な表情で笑い、彼らの心遣いに心から感謝した。

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