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17話 初恋(2)

▼レヴィン


 シリルとは距離を置く。そう決めたはずなのに、胸の内はすっきりとしない。気持ちを変えようと町に出てみたが、あまり効果はなかった。上辺だけの関係がとても虚しく思えて興が乗らないのだ。


「らしくない」


 与えられた部屋に戻って酒を煽るが、これも美味しくは感じない。胸のどこかに穴が開いたような虚しさがある。この不可思議な感覚に苛々してしまう。

 そもそも、シリルとはそういう関係ではない。子犬のように慕われて、それが少し嬉しかったりしただけだ。とても素直に接してくれるから、どこか癒されただけなのだ。

 それだけのはずだ。


 トントンっと、不意に扉がノックされる。気怠くて、レヴィンは動く気になれずベッドに横になる。けれど次にかけられた声に、体は正直に反応した。


「起きていますか?」

「!」


 思わず上半身を上げて扉を凝視した。その声を間違うわけがない。手が、ほんの僅か伸びて落ちた。

 開けるわけにはいかない。距離を置くのが互いの為だと思ったはずだ。


「僕と話しをしてください。お願いします」

「……」


 息を潜めているのに、その声はここにレヴィンがいると確信しているようだった。

 長い沈黙が支配する。扉の前の気配は消えない。開けるべきか、声をかけるべきか、それとも沈黙を守るか。レヴィンは迷っていた。


「明日の夜、噴水の傍で待っています」


 それだけを残し、気配が遠ざかっていく。そうして完全に消えてしまってから、ようやくレヴィンは息をついた。

 また胸に、例の痛みが走る。純粋な子に穢れた自分が近づいた報いなのだろうか。そんな事を思うようになっていた。


「ふぅ」


 レヴィンの部屋から見下ろすそこに、噴水のある庭がある。この城で噴水のある場所はここだけ。間違えようもない。

 行くわけがない。行って、なんて言えばいい? 言い訳をするか? それとも剣を差しだして、罪の清算を彼に任せるか? それもできないだろう。そんな事、あの子にさせられない。

 レヴィンの心は定まらないまま、夜は静かに更けていった。



 翌日の夜、レヴィンは部屋から外を眺めていた。噴水の周囲を囲うように綺麗にかられた生け垣がある。そこには噴水を眺めるようにベンチも置いてある。シリルはその一つに腰を下ろして、レヴィンがくるのをかれこれ二時間は待っている。


 いい加減、諦めるだろう。窓から眺めていたレヴィンもさすがに無視するのが辛くなってきた。今は気候がいいとは言え夜は冷える。特に水の傍は冷え込みが酷い。薄着では風邪を引いてしまう。

 二時間を過ぎて、三時間近くなってきた。細い体は震えているように見えて、レヴィンはたまらず傍の外套を掴んで駆けだしていた。


 生垣を挟んで、レヴィンは一度立ち止まった。どんな顔をしていいか分からない。でも、諦めてもらうのがいい。いっそ全てを打ち明けて嫌われてしまうのがいいかもしれない。ユリエルが関わった事はどうにか伏せて。

 心が決まった。レヴィンは歩み寄って生垣を挟んだままシリルの頭に外套を投げ込み、見えないように草陰に身を潜めた。


「いつまで待ってるつもりだい? いい加減諦めてくれるとよかったのに」


 恨み言のように言った。だがそれに返ってきたのは、とても嬉しそうで柔らかな声だった。


「待っています。貴方は来てくれると信じていたから」


 揺らぎないその言葉に、揺れるレヴィンの心は余計に不安定に軋む。


「俺は君に合わせる顔がないんだよ」

「貴方が兄に命じられてしたことは、知っています」


 その言葉に、レヴィンは思わず振り向いた。あるのは生垣の緑だけなのに。情けなく、驚いた顔をしていただろう。見られなくてよかった。


「軽蔑するかい? 殺したいなら構わないよ。それだけの事をした自覚はあるから」


 考えていた事はこんな事ばかりだ。自分がこんなに根暗だなんてレヴィンは知らなかった。浮上させることにも失敗し、こんなにも落ち込んでいる。


「軽蔑なんてしていません。貴方は悪くない」

「十分悪いさ。これが知られたらどうなると思う? ユリエル様はきっと処分されるし、俺も死刑確実だよ」

「誰にも知られたりはしません。誰も、兄を裏切らないから」


 揺らぎない言葉は羨ましくも思う。シリルは信じているのだろう。人は善であると。でもレヴィンからすれば、人の根本は悪に思えた。


「……信じる者は裏切られるよ」

「そうだとしても、誰も信じないよりは信じていたい。僕は、貴方を信じています」


 「信じている」その言葉は簡単で重たい。レヴィンはその言葉を信じないようにしてきた。信じれば裏切られるのだから。でも、この真っ直ぐな少年の心は信じられるように感じる。もう一度、希望を見ようとしている。それを感じさせるから困る。


「レヴィンさん、傍に行ってもいいですか?」


 切ない声に問われる。レヴィンは溜息をついて立ち上がり、シリルの隣に腰を下ろした。途端、新緑の瞳が嬉しそうに笑いかけてくる。この笑みがどれだけ綺麗で、苦しく感じるか。


「レヴィンさん、僕では貴方を守るなんて傲慢な事は言えないけれど、傍にいるくらいはしたいです。役に立てるように頑張ります。傍に、いさせてくれませんか?」


 切ない声が、願いが迫る。これに背を向ける事を理性が訴えてくる。けれど感情は、逆の事を言い続ける。レヴィンは困ったように笑うばかりだった。


「俺はシリルを泣かせるばかりだと思うけれど?」

「強くなります」

「俺の為にそこまでするメリットは?」

「僕の気持ちが穏やかで、温かいからです」


 強い瞳が見上げる。こんな所ばかり兄弟で似るものだ。まるでユリエルを思わせる強い瞳に、レヴィンは困り果てた。

 いや、こうなれば結果は見える。多分どれだけ言い訳をしても、理屈をこねても、レヴィンは負けるんだ。


「僕は、レヴィンさんの事が好きです。傍にいたいと思います。受け入れてほしいなんて言いません。でも……お願いです。傍にいる事まで嫌だなんて言わないでください」


 シリルの言葉は吹き込むように心に入ってくる。幼い子の精一杯の体当たりと切ないくらいの勇気。

 そっと、冷たくなった肩に手を回して引き寄せてみる。素直に腕の中に納まったシリルを抱きしめて、心は不思議と凪いだ。後には温かなものが残っている。

 何かが腑に落ちた。恋情というほどの激しさはないが、この幼い子はいつの間にか失い難い存在になったのだろう。もう逆賊扱いされても、人殺しと言われても何も傷つきはしない。苦しかったのは、この子を泣かせてしまったから。泣き顔が胸に刺さって痛かったから。


「悪い男に捕まったね」

「いいえ。とても素敵な人を捕まえたのです」


 何も疑う事もなく、嬉しそうな笑みを浮かべられると罪悪感がある。思うのは、この子の為に胸を張れるようになろうという気持ちだった。


「傍にいるだけなら、いいよ。でも、泣かれるのは困る。それではダメ?」


 悪戯ないつもの笑みを作って、レヴィンは問いかけた。それに、シリルは嬉しそうに笑い頷いた。


「では、今日はもうお休み。夜更かしして、君の怖いお兄さんに怒られるのは嫌だからね」

「兄上はそんな事しませんよ。それに、そうなったら僕が守ります」

「うーん、意外と強いな。でも、今日は俺も疲れたから。やっと少し長いお休みが貰えるんだから、ゆっくりでいいよ」


 そう言って立ち上がったレヴィンにつれられるように、シリルも立ち上がる。そして二人連れだって、城の中へと戻っていった。

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