「殿下は、そんなにこの王様が嫌いだったの?」
「嫌い……というのは少し違います。そうですね……失望というのが、大きいのだと思います」
「失望?」
レヴィンに問い返され、ユリエルは頷いた。
自身の感情を冷静に振り返るという作業をあまりしてこなかった。だが思い返せば、失望という言葉が一番しっくりとくる。十五年も前に、ユリエルは父を見限ったのかもしれない。
「シリルが生まれるまでは、王は立派でした。ただシリルが生まれ、正妃の父が実権を握って宰相となり、自分と懇意だった貴族を引き入れて古い者を冷遇した事をきっかけに、私は失望したのです。かつての威厳ある父はもういないのだと」
かつてこの国を動かしていたのは、
その振る舞いは時に過剰で、王ですらも国の礎であるとして必要以上に敬いはしなかったほどだ。
そんな者達が十五年前のシリル誕生から冷遇を受けて、それぞれの領地へと引っ込んだ。正妃だったエルザ妃の父は成り上がりの貴族であり、実権を欲していた。そして娘が男児を生んだ時に動き出し、あれよあれよと国の中枢に入り込んだ。
この時に優遇された新しい貴族集団を
ユリエルが今後戦わねばならないのは、こうした者達だ。
「王の子を生んだ母が冷遇され、毒殺され、王の妃として墓にも入れない。その時に私は誓ったのです。いつかこの父を廃し、薄汚れた者を叩きだし、国を正常な状態に戻すと」
「随分、曲がったんだね」
「でしょうね。元々あまり素直な子供ではありませんでしたから。だからでしょう、シリルの素直さが私を癒したのは」
レヴィンは意外そうな顔をする。それに、ユリエルは緩く笑みを向けた。
「あの子と、あの子の母に私は救われた。父が私を冷遇しても、あの子の母は私を大切に愛情持って接してくれた。そしてあの子も、私を慕ってくれた。これが無ければ私はとっくに暴君となり果てていましたよ」
「だからシリル様の事を大事にするんだ」
素直に頷いたユリエルは、少しだけ申し訳なく思う。信頼していた母を亡くしたのは十二歳の時。一人で生きるには辛すぎる年齢だった。その時に心のよりどころにしたのは、シリルであり、彼の母だった。
ふと、シリルの事を思い出したユリエルはマジマジとレヴィンを見る。そして、少し意地悪な気持ちになって真剣な表情を作った。
「レヴィン、お前はシリルとどこまで進んだのですか?」
その言葉には流石のレヴィンもギョッとして立ち上がり、慌てた様子で顔の前で手を振る。面白いくらいに大慌てだ。
「どこまでも進んでませんよ!」
「本当の事をいいなさい、怒らないから」
「だから!」
焦って顔色を変えるあたり、ユリエルは笑えた。そして素直に楽しげに笑った。
「ったく、人の悪い。揶揄ったんですか?」
「すみません。ただ、お前がそんなに焦るとは思わなくて。あの子も意外とやりますね」
拗ねた猫みたいにツンとそっぽを向きながらもどっしり腰を落ち着けたレヴィンに、ユリエルは更に笑った。
シリルの変化はすぐに分かった。本人はあまり自覚はないのだろうが、随分とレヴィンを心に留めている。心配したり、彼の事でユリエルに意見したり。それは驚きもあったけれど、どこか微笑ましく思えた。
「レヴィン、いつかの貸しを返しましょうか?」
「なにさ」
「お前が望むなら、私はシリルとの関係に口を出しません。まぁ、シリルが望むのならですが」
紫色の瞳が丸くなる。そして次には嫌そうな顔だ。
「ご自分の弟を、こんな素性の知れない男に引き渡すので?」
「お前の素性は関係ありません。実際、シリルがこれと決めたのならば止められはしませんしね。後は二人の問題です」
「ですが」
「それとレヴィン。今回の事を罪と思わなくていいですよ」
冷静な声にレヴィンの表情は強張る。向けるジェードの瞳はどこまでも静かで、強かった。
「私の命で動いたのです、私の罪です。お前は何も気にしなくていい」
「無理を言わないで下さいよ。んな都合のいい話、ないでしょ」
項垂れて、呟いた言葉にユリエルは申し訳なく息をつく。確かに、都合よくはいかないだろう。事実は変わらないのだから。それでもユリエルは庇うつもりだ。少なくともレヴィン一人を差し出すつもりはない。全力で守るし、隠蔽もする。
「すみません、レヴィン。やはりお前に頼むのは酷でしたね」
「いいよ、それは。俺も納得済みで引き受けた。だからさ、気にしないでよ」
言って、レヴィンは腰を上げる。そしてユリエルにも手を差し伸べた。
「そろそろ休まないと、本当に体に悪いよ。無理にでも布団に入らないと。それとも、ロアール医師呼ぼうか?」
「それは勘弁ですね」
苦笑したユリエルは素直にレヴィンの手を取って立ち上がる。そして、自室へと戻る事にした。
こうして、長い一日が終わりを迎えたのであった。