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14話 王都包囲網(1)

▼開戦


 朝靄が、深く濃く垂れこめる。一メートル先が見えないほどだ。ユリエルはその先へと厳しい視線を向ける。風のない、静寂の朝だった。


「動きますかね?」

「動くさ」


 背後に立ったグリフィスが問いかける。それに、ユリエルは厳しい眼差しのまま答えた。


「手筈通りに行きます。グリフィス、気を抜くな」

「畏まりました」


 律儀な足音が遠ざかる。既に兵はいつでも動けるようになっている。後はただ、ファンファーレが鳴るだけだ。

 朝靄を散らすように僅かに風が吹く。その瞬間、大きな太鼓の音がした。


「敵襲! 背後に迫られています!」


 にわかに場が緊張する。ともすれば騒々しくなりそうな兵達の前に立ったのは、グリフィスだった。


「狼狽えるな!」


 その一喝で、全ての兵が冷静さを取り戻しただろう。本当に頼もしいばかりのグリフィスの姿に、ユリエルも安堵した。


「手筈通りに動きなさい。一千は私に続き正面を、二千はグリフィスに続き後方を守りなさい。残り一千は本陣を守れ!」


 この言葉に、兵は士気を取り戻した。



▼グリフィス


 グリフィスは本陣を背に前を睨む。意外と敵は多い。何より、霧に紛れて進軍してきたルルエ軍は意外と近くまできていた。ここでグリフィスが落ちれば挟撃される。ユリエルが危ない。


「気を引き締めよ! ここは死地ではないぞ! 生きて国を我らが手に取り戻すのだ!」

「「おぉぉぉぉ!」」


 地が揺れんばかりの声に、グリフィスの方が勇気づけられる気分だった。そして、前を睨み剣を高々と天へ突き上げた。


「全兵、進軍!」


 雪崩を打つような声と土煙の先頭に立ち、グリフィスは馬を駆って敵軍へと切り込んだ。

 槍を手に、馬上の敵を薙ぎ払う。落馬した敵兵には構うことなく、敵陣を切り裂くように進む黒馬と黒騎士をルルエ軍は止められない。グリフィスは向かう敵の全てを倒していった。

 倍はいただろう敵がみるみる減っていく。だが、振り向いた戦場には敵ばかりが転がるわけではない。それを見ると、勝たねばと思う。グリフィスは剣を握り、尚も戦場を疾走した。


「タニス軍のグリフィス殿とお見受けする!」


 剣の交わる鋭い音に混じり、馬蹄の音が近づいてグリフィスに迫る。それを正面にとらえたグリフィスは、直後に強い斬撃を受けた。受け止めた槍が僅かにしなるほどだ。

 見れば三十代半ばほどの騎士が一人、グリフィスを見据えている。身なりもよく、隊を預かる者のようだった。


「戦場の死神と呼ばれる貴殿と、こうして剣を交える機会があろうとは。是非とも一戦願いたい!」


 馬が離れ、改めて双方が睨みあう。グリフィスの馬ローランは苛立ったように前足をかく。その首を撫でて宥めてやりながら、グリフィスは思案した。

 そこそこ腕のいい騎士だ。乱戦状態の今、キエフ攻略は時間が命。何よりこの将兵を討ち取ればこの部隊は瓦解し撤退を始めるかもしれない。それこそが、グリフィス達の狙いだ。

 殺気を込めたグリフィスの槍が相手を狙う。それに合わせて敵将もまた、槍を構えて突進した。互いの槍が迫る。敵将の切っ先は真っ直ぐにグリフィスの胸を狙っている。

 分かったうえで、グリフィスはその槍先を当てて軌道をずらした。そしてすれ違いざま、相手の馬の腹を思いきり蹴りつけた。

 驚いたように高く嘶き馬は前足を持ち上げて立ち上がり、背に乗せた主を振り落としてしまう。地面に転がった敵将の首を、グリフィスは正確に突き通した。

 舞い上がった血柱は戦場においても派手な演出だった。手を止めた敵兵の顔に、明らかな恐怖が浮かぶ。黒衣を赤く染めたグリフィスが辺りを睨み付けるのにもう、耐えられる者はいなかった。


「撤収だ……」


 どこからか起こった声が拡大し、拡散していく。蜘蛛の子を散らすように敵兵は引き上げていく。タニス軍はそれを追い込むように包囲しつつ、だが一定の距離は保った。途中でよろけたり、蹲る者には見向きもせず、ひたすら逃げる兵を囲い込んでキエフへと向かっていく。網で魚を追い込むがごとくだ。


「砦へ連絡しろ。負傷者は運び込んで手当てしろ。無事な者はとりあえず牢へ運び込む」

「は!」


 グリフィスの指示に従い、兵の一人が馬首を巡らせ一番近い砦へと向かっていく。それを見届けてから、グリフィスは緩やかにローランの腹を蹴った。



▼キエフ戦


 騒々しくなった外の気配に、ファルハードは耳をそばだてる。そして近くにいるアルクースを肘で突いた。


「始まったみたいだな」


 ファルハード同様起きていたらしいアルクースも、その言葉に頷いて周囲を警戒した。


 彼らは王都奪還が始まる一月も前からキエフ港に潜伏していた。表向きは荷を上げ下ろしするための労働夫として。だが本来の目的は戦いが始まった時に怪しまれずに動けるようにだった。


「どうするの、お頭。奴らが出た後で門を奪取するのと、捕えられた兵を救出するの。どっちやる?」

「兵の救出がいいかな。門の方はお前に頼む」

「了解。それじゃ、動くよ」


 ゆっくりと起き上がったファルハードは慎重に扉へと近づき、周囲の様子を伺って外へと出た。

 外では多くの兵が既に出兵した後だった。数日前から突然四千強くらいのルルエ兵が押し寄せた時には、さすがに肝が冷えたが。今はおそらく一千くらいか。


「それにしても、あの人の予想って当たるのな」


 感心しつつ呟くのは、この作戦が始まる前の事だった。



 シャスタの面々は事前に働き口を探しに来たふりをして潜伏し、時が来たら動くようにと任務が与えられた。その時の話である。


「おそらくルルエ軍は挟撃に出るでしょう。大人数で城に立てこもるよりも、多少いい戦いができますから」


 冷静そのもののユリエルだったが、ファルハードは生きた心地がしない。挟み撃ちできるくらいの大軍を相手になんて、とても戦えないと感じたのだ。


「なぁ、殿下。俺達がそいつらと戦うのか?」


 恐る恐る聞いてみるとジェードの瞳が丸くなり、次には大笑いされた。


「まさか、そこまで鬼ではありませんよ。勝てない戦いはしません。安心なさい」

「いや、だってさ」

「貴方達には捕えられた兵の解放と、人の出払ったキエフ港の占拠をお願いしたいのです」


 ほへ? としたファルハードの脇を、アルクースがこつく。恥ずかしいと言わんばかりだ。


「殿下が引き付けてくれるので?」

「えぇ。動かないと言うならば動かしてみせます。グリフィスが追い立てますから、貴方達は港の門を占拠し、グリフィス達を迎え入れてくれればいいのです」

「つまり、町に籠城できなくすればいいってわけだ」


 アルクースは溜息をつき、次には鋭い視線をユリエルに投げる。こういう時は大抵、ちょっと怒ってる。


「殿下、自分を囮にして敵を引き出そうってのはさ、大将としてどうなの?」


 ファルハードの視線もユリエルに向く。アルクースみたいに非難するのではなく、悲しい目で。

 戦った時に思った事がある。この人は真っ先に自分の身を晒していると。一番危険な場所にあえて立っているんじゃないかと思う。そういう生き方しか知らないみたいだ。


「餌は魅力的でなくてはなりませんよ」

「なぁ、殿下。危ないと思ったら無理しないってのも、大事だぜ」


 思わず出た言葉に、ファルハード自身が驚いた。ハッとして口を噤んだが遅い。ユリエルはとても意外そうな顔をして見ていた。


「ファルハード?」

「あぁ、いや。……いや、いいんだ。あんたがそうしたいなら、誰も止められないんだし。ただ、あんたが怪我するとさ、痛いのはあんただけじゃないと思ってさ」


 かっこ悪い事を言った。戦う者の気を削ぐような事を言ってしまった。反省していると、不意に頭を撫でる誰かの手があった。

 アルクースが笑って、頭を撫でていた。まるでガキにするように。


「よく言ったよ、お頭。俺もそう思う。だから殿下、あんま無茶しないようにね」


 重ねて言ったアルクースに苦笑したユリエルが、柔らかく笑って頷いた。



 あの顔を思うと、気合が入る。あの人は今、危険を承知で前線に立っている。それを助けてやりたい。

 ファルハードは既に、ユリエルという人物がけっこう好きだった。いや、助けてやりたいと思えていた。沢山のものを背負うように立つその姿を支える一人であろうと、思ったのだった。

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