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13話 忠義

▼ジョシュ


 タニス軍動く。

 その知らせは手紙が届いた二日後にもたらされた。数は予想通り八千強。距離的に、翌日の夜には王都に迫るだろうという状態だった。


「タニスは意外と早く動いたな」


 ルーカスの表情は険しいままだった。

 ジョシュも意外な迅速さに驚いている。徒歩ならばもう少しかかるだろうと思っていたが、騎馬を中心とした部隊を編成し、歩兵も馬車などを使って輸送したらしい。結果、予定よりも早く陣形が整いそうだった。


「タニスの騎兵は迅速で勇猛。少し甘く見ていたかもしれないね」


 そう言って、ジョシュはルーカスの前にお茶を出した。香りのいいハーブティーを前に、ルーカスは懐かしそうに瞳を細めふわりと笑った。


「懐かしいな、ジョシュのお茶は」

「昔はよくこうしていたけれどね」


 それはまだ二人が十歳そこそこの頃の話だ。従兄弟でもあり、年も比較的近かった二人はよく一緒に遊んだ。ジョシュは紅茶やハーブティーが好きで、ルーカスに振る舞っていた。

 その後、互いに忙しく同じ時間を取れなくなってからはお茶の時間は徐々に減っていった。だが二人にとっては、懐かしい特別な時間だった。


「最近疲れる時間が多いからさ、気持ちだけでも落ち着きたいと思って」

「それは言えるな」


 湯気の立つお茶に口をつけ、緩やかに笑うルーカスを見るジョシュの目はどこか寂しげで、それでいて優しかった。


「昔は一緒にお茶を飲んで、夢を語ったものだね。覚えてる、ルーカス? 君の夢は実現不可能だって、僕はよく笑ったよね」

「そうだったな」

「二つの国を一つにする。国境を廃し、関所を廃し、いつか自由に二つの国を行き来できるようにする。僕はそんな未来はこないと思っていた」


 懐かしい話だ。お茶の時間、未来の国の在り方を語っていた。ルーカスの夢はずっと変わらない。二つの国を自由に行き来できるようにする事。ジョシュは「そんな未来は来ない」と言ったけれど、ルーカスは頑なに「やってみないと分からない」と言い張った。

 その未来は、未だ見えない。けれど、まったくありえない未来でもないように思えてくる。


「ルーカス、君ならできるような気がしているんだよ」

「ジョシュ?」


 さすがに何かを感じたらしい。ルーカスは険しい顔で首を傾げている。お茶は半分ほどになっていた。


「今、僕達の国を正しく導けるのは君しかいない。絶対に、教会の好きにさせるわけにはいかない。いいかい? 気持ちをしっかり持って。私怨に呑まれないで、何が国の為なのか、君の夢に通じているのかを考えるんだよ」

「ジョシュ、何を!」


 立ち上がったルーカスの体が、大きく傾いた。ジョシュはその体を支えて、ソファーに座らせる。金色の瞳がとても強く、そして憎らしげに睨み付けていた。


「お前……」

「ごめん。でも、君に何を背負わせることもできない。捕えられるわけにもいかない。だから、君はここでお別れ」

「ジョシュ!」

「後の事は任せて。僕の事は何一つ気に掛ける必要はない。冷静に判断するんだよ。あぁ、でも一つお願いできればね、妻と子供の事をお願い。ある程度の事は整えてあるけれど、不備があるかもしれないから」


 徐々にルーカスの体は沈み込み、金の瞳は閉じていく。強めの薬を盛ったから、今夜はどんな事があっても目が覚めないだろう。


「ごめんね、ルーカス。でも、ここで君を失うわけにはいかないんだ。君は国に、必要な人なんだよ」


 一言残して、ジョシュはかけていた金のネックレスをルーカスの手に握らせた。父から受け継いだそれは、ジョシュにとって大切な宝だった。

 しばらくして、ロメオ老将が数人の部下を連れて入ってきた。ソファーに倒れたルーカスを見て、老将は眉をしかめた。


「本当に、よろしいのですか?」

「いいよ、もう決めた事だから」


 ここで戦う。だが、その戦いの結果は見えない。持ちこたえるかもしれないし、駄目かもしれない。そんな所に、ルーカスを置いておくことはできない。彼が生きていれば、国が奴らに落ちる事はない。


「このまま木箱に詰めて、船で沖へ。何があっても閉じ込めておいて」


 武器を取り上げて、それを老将へと預ける。老将は溜息をつき、部下が運んできた木箱にルーカスの体を横たえ、そこにしっかりと鍵をかけた。


「老将も、お元気で」

「ジョシュ将軍も」


 運び出される箱を見送って、ジョシュは寂しく笑った。

 予感があったのだろう。二度と会うことは叶わないのだと。


§


 王都を囲む篝火を、ジョシュは王城から見ていた。王都の目と鼻の先にタニス軍本体がいる。昼頃布陣し、数回の挑発を受けはしたが動かなかった。


「夜襲の準備もできておりますが」


 ジョシュの背後で部隊を預かる将兵が声をかける。だがそれに、ジョシュは首を横に振った。


「奴らも今は気を張っている。夜襲をかけても失敗しかねない」


 王都を落とした時には油断が成功のカギだった。だが今は違う。布陣したばかりで士気も高く、警戒と緊張が持続しているだろう。迂闊に門を開ければ攻められかねない。


「城壁の弓兵を交代させつつ、休める者は休ませろ。決戦は翌早朝だ」

「分かりました」


 丁寧に頭を下げて退室していった将兵が去り、ジョシュはそれとなくキエフ港へと視線を向ける。ここから港は見えないが、それでも気持ちはそこへと向かった。

 今頃激怒しているだろう、ルーカスを思って。


▼ルーカス


 船の上ではルーカスが項垂れていた。部屋の中は散々な有様で、どんな凶暴な獣が暴れたのかと思える程だった。

 船が沖に出てから、ルーカスは目を覚ました。部屋から出せと怒鳴っても暴れてもどうにもならない。やがて疲れ果て、ベッドに腰を下ろして項垂れている。


「ルーカス様」


 声がかかり、老将が入ってくる。金の瞳が睨み付けた。


「引き返せ」

「それはできませぬ」

「ジョシュを一人残して国に帰るわけにはいかない!」

「ジョシュ将軍の覚悟を、踏みつけるおつもりですか」


 厳しい声にピシャリと言われ、ルーカスは言葉を呑んだ。

 ジョシュの顔を潰す事になっても、戻りたい。今頃王都はタニス軍に囲まれているだろう。籠城の構えでも簡単には引き下がらないだろう。正攻法で勝てるのか分からない。

 老将が近づき、強く握り締めた手に触れる。見上げてくる瞳は強く、諭すようだった。


「貴方がいれば国を任せられる。その気持ちで、ジョシュ将軍はこの決断をなさったのです。どうか、心を静めてください」


 老将の言葉に、ルーカスは俯いたままだった。言葉もなく、受け入れる事もできず、それでもジョシュの覚悟と国を思えば無理もできず、身動きも取れないまま苦しい気持ちが押し寄せる。

 ただ願う。無理をしないでくれ。無様でも生きていてくれ。勝とうなんて無理をしないでくれ。お前が生きていてくれれば、他はどうとでもするからと。

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