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12話 それぞれの夜(2)

▼レヴィン&シリル


 どうにも寝つきが悪い。流石に明日には出兵となると気が昂ぶるものか。そんな小物ではないはずなのにと苦笑し、レヴィンは諦めて部屋を出た。

 台所に行けば酒の一つもあるだろうと思って歩いていると。不意に光の筋が見えた。あまり人の行かない一室から、揺らめく光が漏れている。

 面白半分で近づいてゆくと、そこは小さな礼拝堂だった。

 聖ローレンス砦はその昔、兵の育成や人員補充、食料補給の重要拠点だった。その名残で無駄にでかい。そして今目の前にしているこの部屋も、その当時の名残だ。

 昔この砦は、戦で死んだ兵を集め弔う場所でもあったらしい。この礼拝堂はそうした人々の魂を慰める場所。今ではほとんど使われなくなったが。

 僅かに開いている隙間から室内を覗くと、そこにはシリルの姿があった。神の像の前に膝をつき、一心に祈っている。

 レヴィンは苦笑し、そっと扉を開けて中に入り、シリルの傍へと近づいた。


「眠れないのかい?」

「わぁ!」


 よほど集中して何かを祈っていたらしいシリルは、声をかけると驚いて飛び上がる。これにはレヴィンの方が驚いてしまった。


「レヴィンさん!」

「ごめんね、驚かせたみたいで。大丈夫? なんか、疲れた顔してるけど」


 蝋燭の頼りない明かりに照らされたシリルの顔は、どこか疲れて明るさがない。屈託のない笑みが魅力的な彼にしては珍しく思えた。

 俯いたシリルは歯切れの悪い感じで「はい」という。だがどう見ても、大丈夫という様子ではなかった。


「眠れないのかな?」

「……はい。とても不安で、心配で」


 そう言うとシリルは再びレヴィンに背を向け、神に祈りを捧げる。その後で礼拝堂の椅子に腰を下ろした。レヴィンもその隣に腰を下ろす。


「明日には皆さん戦いに出るというのに、僕は一人安全な場所で待つしかできなくて。心配で……不甲斐ない気持ちでいっぱいです」


 俯くシリルの言葉は、そのままシリルの気持ちだと分かる。

 シリルとはここ最近よく話をする。随分と懐かれてしまったらしい。それも悪くない気分で、障りのない話をしてお茶を飲んだりしていた。


「自分が情けないです。兄上は僕と同じ年には既に軍籍に入り、戦場を駆けていたというのに。僕は何もできません」

「そんな事はないと思うけれど」


 確かにシリルは戦力としては役に立たない。ただ、砦の運営という部分では十分な能力があると聞いている。ユリエルとレヴィンがマリアンヌ港へ行っている間、シリルは砦や領の内政処理を手伝っていたそうだ。かなり優秀だと聞いている。

 それでもシリルの表情は晴れない。置いて行かれるという事が辛いのだろう。


「勉強ばかりで実践など経験がなくて、こんな時に力になれないなんて。分かっています、戦えない僕が戦場に行っても足手まといになるという事は。でも、それでも……知らない場所で大切な人達が危険に晒されていると考えると、苦しいのです」


 ギュッと胸元の服を握るシリルの頭を撫でながら、レヴィンは考える。今まであまり、そういう気持ちを考えた事がなかった。


「平気だよ。殿下の傍にはグリフィス将軍がつくし、あの人強いから」

「兄上の事ばかりではありません。グリフィスさんの事も、クレメンスさんの事も心配しています。それに、レヴィンさんの事も」


 真っ直ぐに見つめる新緑の瞳が、レヴィンを捕えて離さない。不意に触れる温かな手はとても遠慮がちだった。


「レヴィンさんが一番、危険な任務を受けています。単身城に侵入するなんて無茶です」


 これには、苦笑するしかなかった。


 レヴィンは単身城へと侵入し、敵に紛れて城の門を開ける役目を負った。これに関しては、むしろやりやすい任務だ。周囲に人がいるよりも動ける。正直、隠密仕事というのも嫌いじゃない。

 ただ、この任務を受けた当初からシリルは反対していた。危険すぎると、ユリエルに言い続けている。


「レヴィンさんにもしもの事があったら、僕は苦しいです。兄上はレヴィンさんにばかり大変な任務をさせているように思えます」

「そんな事はないよ。当たり障りなく溶け込める人材が少ないってだけ。だって、考えてごらんよ。グリフィス将軍はどう考えたって、雑踏に溶け込めないだろ?」

「それは……」


 考えて、やがてシリルは破顔した。そして、申し訳なさそうに何度も頷くのだ。


「ごめんなさい、失礼ですよね」

「いいんだよ、本人いないし事実だから。それに比べて、俺は溶け込める。性格的にもさ。そう思うからこそ、殿下も俺に仕事を回すんだ」


 少しだけ複雑な表情。けれど、前ほどの苦しさは感じない。

 レヴィンはやんわりと笑い、優しく頭を撫でた。


「無理はしないし、考えても無茶な事は自分で言える。俺は国の為に命捨てるような忠義心もないし、誇りもない。ユリエル殿下だって、俺が考えて無理だと判断したなら無理矢理やらせようとはしない御仁だ。それはシリル様が一番知っているだろ?」

「はい」


 少しの間があって、次には頷く。素直な、ふわっとした笑みは昂ぶる気持ちを落ち着けてくれるようだ。

 なんだか、眠れる気がしてきた。レヴィンはくしゃくしゃとシリルの頭を撫でて笑い、立ち上がろうとする。だけど、その手を不意に捕まれた。


「レヴィンさん」

「なんだい?」

「無事に、戻ってきてください。僕には祈る事しかできませんが、毎日祈っています。貴方の無事を」


 真剣な眼差しを向けるシリルを見て、レヴィンの胸は僅かにざわつく。こんな目を向けてくる相手は覚えている限りいなかった。


「有難う、シリル様。大丈夫、戻ってくるからさ」


 言って、そのまま部屋を後にしようかと思って、立ち止まった。そして戸口で振り返り、手を差し伸べる。首を傾げたシリルに苦笑し、レヴィンは手招く。


「そろそろ遅い時間だから、部屋まで送るよ」


 驚いたような新緑の瞳が、次には優しく緩まり駆けてくるのを見てレヴィンは思う。絶対に、戻ってこなければならないと。

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