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12話 それぞれの夜(1)

▼クレメンス&グリフィス


 明日には聖ローレンス砦を出て出兵を開始する。妙な興奮に心が落ち着かないクレメンスは砦の自室で酒を飲んでいた。それでも落ち着くものではない。眠る事を諦めようか、無理矢理にでも眠ろうか。そう思っていると、不意に足音が聞こえた。

 妙に堅苦しい規則的な足音には覚えがある。徐々に遠ざかるその音にフッと笑い、クレメンスもまた剣を腰に部屋を出る事にした。


 砦の前庭は兵の訓練場となっている。クレメンスがそこへ到着すると、予想通りの人が剣を手に素振りをしていた。

 普段纏う装備をつけず、薄手の服だけの姿は見事なものだ。無理のない筋肉が正しい動きを見せ、力強い動きに変る。若い兵士がこいつを見て目を輝かせるのは分からなくはない。

 ただやはり、律儀すぎる男だ。


「明日には砦を出て数日後には王都奪還の狼煙が上がるというのに、お前はこんな時間まで訓練かグリフィス」


 声をかけるとピタリと動きが止まり、黒い瞳がこちらを見る。僅かに眉がしかめられ、嫌そうな顔をされた。


「眠れなくてな。この方が落ち着く」

「真面目すぎるのもどうかと思うが。まぁ、それがお前らしいのだろう」

「クレメンス、お前はどうしてここに来たんだ」


 文句を言いたげに近づいてくるグリフィスにクレメンスは苦笑する。そして、砦の壁際から草の茂る前庭へと歩み出た。


「部屋で飲んでいたら、お前の足音が聞こえてな。眠れないから少し付き合おうかと思ったまでだ」

「珍しいな、お前が俺に付き合うとは。組み手にするか?」

「情けなんてかけられたくない。剣を持ってきた、付き合え」


 困ったように息をつき、腰に手を当てながらもグリフィスは向き合う。そして間合いを測り、互いを読んで前に出た。

 グリフィスの剣は重い。一合受けただけで手が僅かに痺れる。それでも、無様に剣を落とすような事はしなかった。


「久しぶりだな、クレメンス。どのくらいぶりだ?」

「士官学校を卒業以来だ」

「随分だな」


 余裕のグリフィスは剣を上へと弾く。その動きに剣を取られ上へと腕を上げられると、その隙に深く懐へと入られた。剣を握る腕を掴まれ、それで終わりだ。


「鍛錬は怠けるとすぐに実力に跳ね返るぞ」

「お前ほどの手練れと組むことは殆どない」

「ユリエル殿下やレヴィンも侮れない」

「……あの二人とは正直戦いたくないからいい。手など抜いてはくれないだろう」


 拗ねたように言うと、低く「くくっ」とグリフィスが笑った。

 剣を収めて座り、クレメンスは息をつく。その隣にグリフィスも座り、互いに空を眺めた。


「皆、寝付けないようだな」

「気持ちも昂っているだろうからな。先ほど、シリル様が歩いて行くのを見た」


 少数の兵と共にこの砦に残るよう言われたシリルは、当初不満そうな顔をしていた。戦いに出たいのではなく、皆が心配で離れたくないといった感じだったが。


「シリル様も落ち着かないだろう。仕掛ける戦というのは経験がないはずだ」

「落ち着かないのは他にも原因があるだろうが」

「ん?」

「一つはユリエル様。そして一番落ち着かないのは、レヴィンの事だろう」


 クレメンスが言うと、グリフィスは実に複雑そうな顔をした。


「レヴィンか」

「大変な奴を気にかけておいでだ。あれは簡単な男ではないぞ」


 一見して、レヴィンは普通の者とは違う空気を纏っている。飄々とした一面、おどけた語り口、軽薄な姿。器用で、意外と博識でもある。何かあると思うのが普通だろう。そうした相手は難しいものだ。


「噂で聞いたが、レヴィンはダレン殿の養子らしい」

「ダレン殿の?」


 グリフィスの話に、クレメンスはますます複雑な表情を浮かべる。これは本格的に怪しい裏がありそうだ。


「ダレン殿は仕事の関係上、多くの孤児を見てきただろう。だが、全て孤児院へと紹介していたはずだ。これが養子に取ったとなると、余計に背景が気になる」

「あまり突くなクレメンス。誰にでも、探られたくない腹がある」

「シリル様の周囲をうろつくなら、知った方がいいように思うが?」

「それは俺達のすべきことじゃない。必要ならシリル様がご自身でなさるさ」


 グリフィスが強い視線で諌めたのは少し意外だった。心配性のこいつは真っ先に、素性の知れないレヴィンを調べると思ったのだが。

 それにしても気になる。レヴィンの養父になるダレン殿は、昔内監の長をしていた。王族や貴族の不正を暴き、裁判にかける恐ろしい仕事。その全てを取り仕切っていた。そんな人が引き取った子供だ。何かわけがあるのは間違いない。


「クレメンス」

「分かっている。だが、それなら何故レヴィンは軍にいる? ダレン殿の仕事を引き継げばよかっただろ」


 実際、レヴィンの動きは予想ができない。耳がよく、目もいい。軍人などするよりも密偵などをする方が適しているように思う。

 だがグリフィスは少し考え、沈んだ顔をした。


「ダレン殿は仕事の苦労があった。養子とは言え自分の子に、同じ苦労をさせたくはなかったんじゃないか?」

「それは……そうかもしれないな」


 クレメンスもその意見には同意した。自身もまた、父親の仕事を継ぐのが嫌で軍籍に入ったのだから。


「何にしてもそこまでだ。藪を突いて出たのが蛇程度ならいいが、魔物が出るかもしれないからな」

「ユリエル様とか?」

「馬鹿、あの方の腹など探るな。闇に葬られることになるぞ」


 呆れた物言いで言われ、クレメンスも苦笑して頷く。確かに、グリフィスの言う事は一理ある。


「さて、眠れぬ夜なら楽しもう。グリフィス、酒を付き合え」

「深酒するなよ」

「のんびり飲んで馬鹿な話でもしていればその内眠くもなるだろう。付き合え」


 言うと諦めたような苦笑が返ってきて、グリフィスも腰を上げる。そして久々に、悪友だけの酒宴となったのである。


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