目次
ブックマーク
応援する
1
コメント
シェア
通報

8話 海の覇者(4)

「これでも海賊の頭目。部下を従える声は持っていますのよ」

「勇ましい姿ですね」

「嬉しいような、そうではないような複雑な心境ですわね。ですが、今は褒め言葉と受け取りましょう」


 ヴィオも立ち上がり、葛藤しながらも頭をちょこんと下げる。そして、ユリエルを見た。


「姉上に、酷い事しない?」

「そんな気はまったくありませんよ」

「……それなら、いい。僕は姉上に従う。今から、味方になる」


 どこか頼りなく、拙さの戻ってきたヴィオに驚きながらも、ユリエルは穏やかに笑い手を差し伸べる。互いに握手して、それで全ては丸く収まる……はずはない。


「話が纏まったならさっさと治療するなりなんなりしなよ、殿下。いい加減、貧血起こしそうだよ。こっちは船酔いでしんどいんだから、早く血止めてね」


 ぐったりした様子のレヴィンが言って、傷ついた手を引っ張り上げる。その意外な強さと怒ったような冷たい瞳を見て、ユリエルは苦笑した。


「青い顔してよく言いますね」

「俺はいいんだよ? 帰ってグリフィス将軍にこってりと怒られてもさ」


 容易に想像のつく光景にユリエルも困った顔をする。そして、フィノーラ達へと振り向いた。


「貴方達の船は三隻あると聞いていますが、今は二隻ですね。一つはアジトですか?」

「えぇ、そうですわ」

「では、本船だけ私を乗せてマリアンヌ港へと来てください。一隻はアジトに戻り、この事を伝えてください。正式な話と、今後の事についてはマリアンヌ港にある私の邸宅で」

「私たちの船に乗り込むおつもりなの?」


 目を丸くして問うフィノーラに、ユリエルは平然と頷く。溜息をつくのは背後のレヴィン。そして苦笑するのは近づいてきたアルクースだった。


「変わったお人だけれど、悪い人ではないんだ。少なくとも俺達にとってはね。悪いけれど、この船がルルエの密偵なんかに見とがめられていると良くないから、君達の船に乗りたいんだよ」

「そういうこと。いいわ、乗ってちょうだい」


 接舷した船へと先に渡るフィノーラの後に続き、ユリエル、レヴィン、アルクースが乗り込む。最後にヴィオが乗り込むと、鎖が外され船は別れた。


§


 ユリエル達が最初に乗っていた船はそのまま数日周辺を巡り、マリアンヌ港へ戻ってくる予定だ。そしてユリエルが乗り込んだバルカロールの船は一路、マリアンヌ港の端にある船着き場を目指している。

 レヴィンは青い顔のまま、ユリエルの傷を甲板に腰を下ろして診ていた。幸いどれも傷は浅い。出血は派手にしていたが、今は止まっている。


「そんなに心配はありませんよ。よく見ていれば派手に出血はしても深い傷にはなりません」

「一つずつは浅くたって、数が多ければそれだけ出血が多くなって体力削られるでしょうが。まったく、王族がこんなに無茶で無謀だとは思わなかったよ」


 恨み言を並べながらもレヴィンの治療はとても的確だった。綺麗な水で傷を洗い、少し度数の高い酒で消毒する。そこに膏薬を塗りこみ、綺麗な布を当ててから包帯で巻いた。その手際があまりに良かったので、ユリエルは感心して見ていた。


「さぁ、これでいい。まったく、グリフィス将軍になんて言うんだい? さすがに帰り着くまでに傷跡が消えたりはしないよ」

「多少は怒られますよ。そもそも、こんな強行軍を行った時点であれの怒りは覚悟済みです。一時間程度は我慢して聞くことにします」


 苦笑したユリエルは礼を言って立ち上がる。ちょうど、フィノーラとヴィオの二人が近づいてきていた。


「治療は済みまして?」

「えぇ」

「では、私たちの部屋へ案内いたしますわ。少し、話がありますので」

「俺はここから動けないからアルクース連れていきなよ、殿下」


 再び船酔いが襲ったのか、レヴィンは甲板の涼しい場所へと移動していく。その背を見送ったフィノーラはおかしそうに笑った。


「苦しみますわね、あの方」

「僕も、苦しかった。胃が出るんじゃないかってくらい吐いて、慣れるしかない」

「殿下ともうお一方は強いのね。慣れぬ白鯨戦であれだけ動けるなんて、恐ろしい方ですわ」


 褒められているのだろうがあまり嬉しくはない。曖昧に笑ってごまかして、ユリエルはアルクースを連れて船内にある一室へと入った。

 小奇麗にされた部屋は居心地がいい。そこに腰を下ろしたユリエルをフィノーラは見つめる。そして、物悲しい顔をした。


「私の名は、フィノーラ・マコーリー。噂くらいはお聞きになっているのではないかしら」

「えぇ、聞いています。ですが、一家はみな」


 そこで言葉を切った。あまりに二人が痛そうな顔をしたから、続く言葉を飲みこまざるをえなかった。


「五年と少し前の深夜、私の両親はグリオンによって殺されました。そして、それを知った使用人たちも。グリオンは収益を着服し、それを父に咎められ、解雇される寸前だったのです」


 フィノーラが語る事件の真相は、予想よりも酷いものだった。


「あの男は事前に両親を殺し、使用人たちを捕え、財貨を運び出しました。私とヴィオは異変に気付いて隠れましたが、家に火を放たれ、必死に屋敷を脱出したのです」


 そういうと、フィノーラはおもむろに自身のドレスの裾を持ち上げる。白いスラリとした足がユリエル達の前に晒される。だがその右足には、消える事のない酷い火傷の痕が今も痛々しく残っていた。


「私は足を悪くし、ヴィオに担がれるように逃げました。ですがグリオンに見つかり、捕えられ、奴隷船に乗せられたのです」

「奴隷はわが国では違法です。取引など」

「表向きはそうですが、腐敗が進んでいたのです。十代の子供を攫うか買うかして船に乗せ、他国へと売りさばく。そうした闇の商人は存在いたします」


 ユリエルは頭が痛くなるほどに奥歯を噛みしめる。手を強く握ったものだから、先の傷が開いて再び血が滲み出た。


「私達の乗った船はたまたま、船長が怠惰で部下の扱いが悪かった。それに、十代の子供ばかりなのを良いことに管理が甘かったわ。なので、部下の中でも一番不遇な人を見つけて、船長が寝た後でこっそりと鍵を開けてもらったのよ。そうして船長を殺して、武器庫も抑えて、私達は難を逃れた。この船はその時に奪い取った船ですわ」


 アルクースは思わず立ち上がり、床面を見た。そして端の床板が僅かに黒ずんでいるのを見て顔色を悪くした。


「全ての奴隷船に、グリオンが関わっているのですか?」

「全てではないわ。でも、そういう人も多いのは事実よ。だからこそ、私達の目的はただ一つ。あの男を殺し、長年の恨みを晴らすことよ」


 ユリエルは黙り込む。事実の大きさに打ちのめされたわけではない。違法な商人を野放しにしていた事、それを易々とやっていた人間の存在に怒りを覚えたのだ。


「ユリエル殿下、これが終わらねば私達は次へ進むことができません。どうか、あの男を捕えた暁には私達へお引渡しくださいませ」

「えぇ、構いません。その話を聞いて、私も心置きなくあの男を売り渡す決心がつきました。公的に裁ける材料があってよかった」


 ニヤリと笑ったユリエルの冴え冴えとした笑みに、フィノーラとヴィオは顔を見合わせ体を震わせた。


「私は約束を守ります。多少時間はかかるかもしれませんが、確実に果たします。ですので、どうか力を貸してください。まずはこの手に、国を取り戻す必要があります」


 二人は顔を見合わせる。そして、困った顔で笑って頷いた。

この作品に、最初のコメントを書いてみませんか?