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8話 海の覇者(3)

 足場はユリエルにとって、あまりよくはない。波で揺れる。だが、それを負けの理由にするつもりはない。

 大きな波が船に当たり砕けた。それを合図に、ユリエルは前へと出た。だが、何かが光ったのを見てその足を止め、飛んできた光を避けた。

 銀の光はユリエルの頬を掠めるように飛び、対象を見失っても大きく弧を描いて背後から襲い来る。その音を頼りに、ユリエルは持ち前の柔軟さで瞬時に避ける事ができた。

 ただ、それは運よく光を捕え、反射的に体が動いたからに他ならない。ユリエルはヴィオを睨み付ける。そしてその手に戻ってきた、見慣れない武器を認識した。

 それは円型の武器だった。持ち手の部分には布が巻いてあるが、それ以外は円の外側全てが刃になっている。直径は三十センチほど。彼はこれを手足のように操っていた。


「チャクラムの変形ですか」

「よく、知ってるね。指だけで回転させて投げるチャクラムは、威力がない。けれどこっちは、腕の力で投げられる。殺す事も、できる」


 言うのと同時に、ヴィオは再びユリエルめがけて投げた。チャクラムは決まった軌道を描き、回転しながらユリエルを狙う。それをかわしても弧を描いで戻ってきて、背を脅かす。


 ユリエル自身はこの武器の事は知っていた。だが、これほど自在に操る使い手と出会ったのは初めてだ。

 だが、変則的な動きをしないぶん読むことは可能だ。一度かわした後は暫く隙ができる。ユリエルは一撃を避け、そのまま俊敏に走り寄る。おそらく短剣などは持っているだろうが、応戦していればチャクラムに対応するのが難しくなり、武器を取り落とす可能性が出てくる。そうなればユリエルに勝機がある。


 だが、そうして忍び寄ったユリエルの頬を鋭い痛みが走った。血が一筋伝い落ちる。銀のそれは二つヴィオの手にあったのだ。

 血の匂いが妙な興奮を呼び起こす。それは暫く感じていない高揚感だ。

 後方へと退いたユリウスの口元にはニヤリとした笑みが浮かんだ。闘気の中に殺気がどうしても混じる。そのまま、ゆらりと立ち上がった。

 ユリエルの目がギラギラと光る。伝い落ちる血を指ですくい、更にその指で唇に触れた。口の中に広がる血の味は、臭いは、確かにユリエルを興奮させた。そして、より笑みを深くした。

 更に一歩間合いを取ったヴィオを追うようにユリエルは軽く進む。その跳躍力の高さにヴィオは目を見開いた。

 慌ててチャクラムをユリエルめがけて投げる。それにも、ユリエルは一切怯む様子はない。


「な!」


 迫るスピードを落とすどころか更に加速してみせるユリエルは、チャクラムを避ける気などなかった。腕を掠り、チャクラムはそれでも止まらずに僅かに軌道を逸れて飛んでゆく。もう一つが更に迫るが、これもユリエルは加速しながら避けた。目が徐々に、この武器の速度に慣れてきた。

 ヴィオは短剣を抜いて構えるが、それよりも前にユリエルの剣が短剣を弾き飛ばした。チャクラムは弧を描き戻ってくる。ユリエルの首を狙うかの如く背後から迫ってくる。

 だがユリエルは何の恐れもなく、それに手を伸ばした。


「!」


 戻りの方が多少回転数が落ちる。ユリエルの瞳は確かにそれを捉えていた。そして、伸ばした手を僅かに切るだけで武器を奪い取った。濃くなった血の匂いと、ボタボタと落ちる赤い滴。

 それに目を丸くして戸惑ったのは、ヴィオの方だった。

 だが、そんな時間はヴィオには与えられていなかった。武器を奪ったユリエルはそのままヴィオを突き飛ばし、尻もちをついたところへ剣を突きつけた。


「殿下、危ない!」


 その声に、ユリエルは視線を向ける。後に放たれたチャクラムが戻ってくる。それを、ユリエルは剣の鞘で絡めとった。勢いをなくしたチャクラムはそのまま静かに、ユリエルの手へと落ちた。


「負け、ですわね」


 フィノーラの静かな声にヴィオは悔しそうな顔をする。目には薄らと涙を浮かべ、負けを認められないような顔で睨み付けてくる。だが、フィノーラはとてもスッキリとした顔でユリエルへと頭を下げた。


「どのようにでもなさいませ。私兵でも、奴隷でも」

「姉上、大丈夫だよ! まだ負けたりなんて」

「いけないわ、ヴィオ。お前は武器を失った。それに、これ以上抵抗すれば状況は悪化するばかり。温情をかけてもらえそうなうちに降伏するのが賢い方法ですのよ」


 そう言って跪こうとするフィノーラの手を、ユリエルは傷ついていない方の手で捕まえ、立たせた。その表情にはもうあの不気味な冷たさは残っておらず、天使が如くと言われた穏やかな笑みが戻っていた。


「私は奴隷など求めていません。ただ、協力者が欲しいだけです。そのように膝を折る必要はありません」


 この言葉に驚いたのは、むしろフィノーラの方だった。負ければ捕虜となる事を覚悟していたからだ。


「本当に、対等に取引をなさるおつもり? 一国の王太子たる御身が、ただの海賊を相手に」

「こちらは困って協力を求めるのです。服従させるつもりなどありません。それに、そのようなマイナスの関係はいつか破綻を呼ぶ。内側から腐り落ちるなど私は御免です」


 さっぱりとした顔で言うと、ユリエルは手にしていたチャクラムをヴィオへと返してしまう。これにはヴィオも驚き、どうしていいか分からずにフィノーラを見るばかりだった。


「貴方ほどのチャクラムの使い手には会った事がありません。楽しい試合でしたよ」


 言葉通り楽しげな笑みを浮かべたユリエルを見て、周囲の者も呆気に取られたようだった。その中で、フィノーラは堪らない様子で声を大きく笑いだした。


「変わった方。でも、そうね……嫌いではないわ」


 そう言うと、フィノーラはユリエルに背を向ける。そして、自身の船へ向かって声を張り上げた。


「勝負は決した! 我ら『バルカロール』は、これよりユリエル殿下個人へ忠誠を誓う! 我らが恨み成就するその時まで、我らは殿下のお味方となるぞ!」


 これまでの彼女からは想像もつかない大きくドスの利いた声に、ユリエルも他の面々も驚く。だが、振り向いた彼女はとても優雅に一礼し、艶やかな笑みを浮かべた。

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