▼ルーカス
二人が選んだのは港の傍にあった小さな小屋だった。鍵のないそこは漁師が道具を置いたり、一時的に休憩する為に使うような粗末な場所だった。ベッドなどは当然なく、土間と一段高くなった板間があるばかりだ。
リューヌがこうした場所を選んでくれたのは、ルーカスにとっても幸いだった。宿を取れないわけではないが、旅人は少ない路銀しか持たないもの。宿など取れば怪しまれる。
板間へと上がり、傍にあったランプに明かりを灯す。柔らかな炎が狭い室内を照らし出した。
「案外綺麗に使っているものだな」
「悪くありませんね。助かります」
意外と綺麗な小屋だ。痛んでいる様子もないし、埃っぽいわけでもない。もしかしたら日中はよく人が利用しているのかもしれない。
室内を見回すと、隅の方に毛布が数枚折りたたんで積まれていた。手に取ってみるが清潔なものだ。それを持ってリューヌの傍へと戻った。
「毛布もあるな。寒くはないか?」
詩人の服装は薄く、寒そうに見える。特に夏は薄着だ。腕は綺麗に見えるし、色も白が基調だからだろう。
だがリューヌはやんわりと笑い首を横に振る。そして、そっと寄り添った。
「心変わりは、ないんだな?」
本当にいいのか、まだどこかで迷っている。責任感という部分では自信があるが、自制心となると自信はない。溺れれば、拒まれても求めてしまう。そんな予感がルーカスにはあった。
「嫌なら自分から誘うような事はいたしませんよ。まったく、貴方という人は。奥手にも程があります」
可笑しそうに笑うリューヌに苦笑して、ルーカスはそっと抱き寄せ、顔を上げさせ、その滑らかな額に口付けをした。
長い睫毛を震わせる姿が愛しい。ピクンと、抱いた手に伝わる程度に震えたのが分かった。見上げてくる瞳はほんのりと色を帯びている。
「リューヌ?」
「唇にも」
甘い声が誘惑を囁く。その期待にルーカスは応えるように指で唇に触れ、そして柔らかく口付けをした。
「んぅ……」
くぐもった甘い声は背筋を伝う。疼くような声だ。腕に触れ、頬を包むように触れてくる仕草は求められていると確信できて安心した。
「嫌ではないか?」
「滅相もない。続きを」
うっとりと潤んだ瞳が、心を映している。求められていると分かれば止めることはない。ルーカスは静かにリューヌの体を床に寝かせると、もう一度口づけた。
これほどに官能的な口付けはない。ほんの少しこうしているだけで血が全身を巡り、目の前の体を貪ることだけを考えてしまう。酔わされるとはこういうことを言うのだろう。心臓の鼓動が、徐々に早くなっていく。
「何を求める、リューヌ?」
「愛のある交わりを。それ以上は望みません」
心が浮き立ち内側から熱くなる交わりなど経験がない。無機質なものは慣れていたが、そこに感情はない。とても事務的なもので愛情など湧きはしない。故にどこか、虚しくて心に残らなかった。
「俺は人を、親愛以上に愛した事はない」
「では学べばいいのですよ。今、私で。私も他人を愛した事などありません。だからこそ、どういうものなのか知りたいのです」
似ているのかもしれない。そう、ルーカスは思った。彼もまた恋愛という観点では他人に興味がないのかもしれない。
ではそんな彼が、少し強引に誘ったのはどうしてなのか。そこに、求める気持ちがある事を期待してしまう。ルーカスは微笑み、頬に手を当て、もう一度口づけた。
「では、築いていこうか。知らぬ者同士、手探りに」
ルーカスには何かしらの確信があった。この湧きおこる感情に偽りはないと。この狂おしい昂ぶりに、間違いなどないと。
リューヌとの夜は、これまで感じたことのない感情で溢れた。
触れる部分全てが愛おしいと思えると同時に、酷く興奮もした。経験がないわけではない。これで一応は王族で、義務的にそうした教育も受ける。相手は大抵が男だ。だが、そこに愛情が湧くことは今までなかった。
だがリューヌには感じたのだ。
掠れるような甘い声も、こちらを見る潤んだ瞳も、引き締まった体も全てが愛おしいと思える。なんならこのまま、手放すのが惜しいとすら思った。
いっそ身分を明かせたなら……そんな事すら思った。
「リューヌ」
快楽に身を委ねた人は扇情的な姿を晒してこちらを見る。
「エトワール」
そう、呼んでくれる声を残念に思う。「ルーカス」と呼ばれたい、そんな欲望がふと湧いた。
だが、そんな日は訪れないだろう。
涙目でこちらを見つめ、手を伸ばし求める人の手を取って、ルーカスは心のままに口を開いた。
「愛しいという気持ちが、分かってきた。この、熱く激しいまでの気持ちがそうなのだろう。正直、男を相手にこんなに欲情し……しかも飲み干そうと思うとは想像していなかった。だが、躊躇いもなかった。故にリューヌ、俺はどうしても君が欲しい」
体の全てで受け止めて、互いの体を温め合う。ルーカスの手は水色の髪をあやすように撫でている。
「是非。私も貴方が欲しい。エトワール、私も分かってきました。この、失い難い気持ちが愛しいというものだと。全てを与えても構わないと思えてくる訳も分からない衝動が、それでも後悔はないと思える愚かさが、愛しいという気持ちなのだろうと」
心のままの言葉を交わし、承諾を得て、ルーカスは安堵した。彼もまた、何かを知ったように思う。同じ形ではなくても、同じように求める。それだけで、もう全てが満たされたように思え幸せだった。