ゆっくりと、気配や気迫が濃密になっていく。緊張感が満ちて、僅かな音や動きもわかるようだ。ユリエルも、ファルハードも互いから目を離さない。
再び雲が月を隠した。
「!」
ユリエルは一瞬、彼が消えたように見えた。気配だけを頼りに胸の前に剣を立てると、重い斬撃がぶつかって高い音がした。ファルハードが低い姿勢から切り上げたのだ。その動きはまるで野性の獣のように俊敏で強い。
「へぇ、受け止められるとはな」
ニッと野性的な笑みを浮かべるファルハードを押し返し、ユリエルもまた笑った。
これは少々、本気にならなくてはいけない。予想以上に彼は強い。大事の前に怪我などすれば今後に関わる。
ユリエルは剣を軽く前に構えた。そこに無駄な力など入っていない。一度間合いを開けたファルハードは再び、強い斬撃をみまった。
一合、二合と剣が合わさる。月明かりの下、二人は決して引けを取らない戦いをした。
ユリエルの剣はまるで川を流れる木の葉のようだった。ひらりひらりと斬撃をかわす。
それに対するファルハードの剣は力とスピードがある。ある意味力技だ。彼の持つ刀も重みを乗せて斬るタイプのもの。だが、恵まれた体躯とスピードには似合いの武器だった。
「畜生!」
動きを捉えられない焦りにファルハードは徐々に懐深くへと踏み込んでくる。それでも、ユリエルは右へ左へと身をかわし、逆にファルハードの懐を危うくした。
「くっ!」
ファルハードは深く踏み込み、ユリエルの首を狙った。だがそれも緩やかな動きでかわす。表情に焦りが出て、肌に汗が浮かぶ。動きが激しく武器が重いぶんだけ、ファルハードの方が体力の消耗は激しい。
ユリエルは待っていた。やりづらい相手との戦いでファルハードが消耗し、間合いを詰めるのを。深く踏み込んでくるのを。
再度ファルハードが深く踏み込む。ユリエルはファルハードの剣に己の剣を宛がい背を滑るように一回転し、ふわりと彼の背後に立つ。流れ過ぎる木の葉のように。そしてピタリと、その首筋に剣を突きつけた。
「……参った」
ファルハードは素直に剣を落とし、両手を上げた。素直な降伏の姿勢にユリエルもホッとする。これで抵抗されればさすがに傷つけることになるからだ。
「私の勝ちです。約束、忘れてはいませんね?」
ファルハードの視線が一瞬仲間達に向く。まるで葬式のような顔をした仲間達を見て、その後はフッと力の抜けた笑みを浮かべる。
「男に二言はない。俺の身柄、好きにしろ。どうせこんなこと長くは続けられないとは思ってた。罪の清算ってやつ? そういうの、ばっくれるわけにはいかないでしょ」
「意外ですね。ちょっと見直しました」
素直にそう述べたユリエルは満足に笑みを浮かべた。予想外の出来事だが、案外いいものを見つけたのかもしれない。思わぬ宝を見つけた気分だ。
ユリエルは剣を一旦ファルハードから引く。そして、この様子を黙って見ていたレヴィンに視線を向け、手招いた。
「レヴィン、手伝いなさい」
突然の指名に驚いた様子で自分を指さすレヴィンに、ユリエルは頷く。のんびりと近づいたレヴィンに向かい、ユリエルは自分の背中を向けた。
「下ろしてくれませんか?」
「え?」
「な!」
一瞬何を言われたのか、レヴィンすら分からない様子だった。そして、それを聞いたファルハードは驚いてこちらを見る。そんな二人の男を前にユリエルは呆れたように溜息をつく。
「レヴィン」
「あぁ、はいはい。この格好だと本当に一瞬躊躇うよ」
「お前が躊躇ってどうするのです」
男である事を失念していたようなレヴィンの言いようにユリエルは溜息をつく。まったく、何をバカなことを言っているのか。
「お、俺はみないぞ!」
もう一人のアホが叫ぶように言う。でかい図体で「俺の女に」なんて言っていたというのに、随分と初心な事を言う。真っ赤になって何を恥じらっているのやら。
背中を締め付ける感じがなくなった。まったく、女性というのはよくもこんな窮屈な恰好ができるものだ。胸が詰まりそうだ。
服の上半身を脱ぐと、それを見ていた他の盗賊たちがざわめく。まぁ、予想できる反応だ。だが肝心のファルハードだけは頑なに拒み、手で目を覆っている。
ユリエルは溜息をつき、剣の先でほんの少し服の端を引っ掛けた。
「んぎゃあ! 切れた!」
剣の切っ先がファルハードの衣服を僅かに切る。それに思わず叫び手をどけたファルハードの目がユリエルを捕え、同時にその体を見て、目を丸くし、口をパクパクとし、次には目を白黒させた。
「え? おと、こ……だ? ……はぁぁ?!」
ファルハードの絶叫が夜闇に木霊する。彼の目の前にあるのは紛れもなく男の体だ。それでも顔を見ると美女にみえるのだろう。ない頭がパニックになっているようだ。
「うわぁ、詐欺だ!」
「誰が詐欺です。いい加減にしないとその舌引っこ抜きますよ」
もうすっかり呆れかえったユリエルは溜息をつく。そして、改めて名乗りを上げた。
「ユリエル・ハーディングです。シャスタ族の族長さん」
「ユリエル……!」
その名に、ファルハードは途端に殺気立った。それは彼だけに限らない。周囲にいた者もまた、怒気と殺気を持ってユリエルを見ていた。
「お前が、親父を殺したのか」
押し殺した低い声は、これまでのどの声よりも凄味がきいていた。だがそれに臆するようなユリエルではない。どこまでも不敵な表情のままだった。
「えぇ。仇というならば間違いなく、私ですよ」
「てめぇ!」
「私に手を上げることが何を意味するか、まだ分からないのですか?」
その言葉に、ファルハードは押し黙った。
彼は知っているだろう。ユリエルにとってたったこれだけの人間を皆殺しにすることが、いかに簡単かを。過去、そのような光景を目にしたのだから。
それでも感情は強く反発するのか、強く噛みしめた歯茎から血が出そうなほどだ。睨み付けるその瞳は、復讐にギラギラと光っている。