▼ルーカス
一方その頃、密偵から直接話を聞いたルーカスは難しい顔をした。
「旅芸人の女か」
何とも判断がつきづらい事だが、ルーカスにはどうも違和感を覚えた。
旅先で王族や貴族が現地の女性を部屋に呼ぶことはよくある。ウィズリーくらい大きな町なら、それを生業とする女性もいるだろう。時には美しいと評判の娘が呼ばれる事だってある。話を聞けばその旅芸人の女は絶世の美女。噂に上れば呼ばれるのも頷ける。
だが、ルーカスが抱くユリエルという人物像には合わない行為だ。彼は旅先、しかも執務中に女性を買うような人物だろうか? 勿論これは他の者の話などを聞いたかぎりの印象でしかないが。
「いかがなさいましょう?」
「今町に潜伏している五人はそのまま王太子を追ってくれ。お前はすまないがその旅芸人を追ってくれ。だが深追いはするな。俺は明日もこの町に留まる。明日の夕刻には戻ってきて報告しろ」
「かしこまりました」
確認した密偵は再び町へと戻っていく。
おそらくユリエルもこちらが密偵を放っている事は分かっているだろう。普通なら早急に見つけ出し、捕えるのがいい。だが、あえて堂々と振る舞うのには何か狙いがある。砦に行くのが本当に目的なのか? 他に狙いはないか?
地面に地図を広げ、ルーカスは周辺を睨む。だがこのウィズリーという町はどこへ向かうにも丁度いい場所と距離。行ける場所は無数にある。明らかに情報が足りない。
「今の段階では、奴らの狙いが何かを絞り込むことは難しいか」
唸ったルーカスは地図から視線を上げる。そして、その場にいる一人に声をかけた。
「すまないが、町に行って情報を集めてもらいたい。どんな小さなものでもいい、知らせてくれ。王太子に関わるものでなくていい」
「と、申しますと?」
「分からない。だが、王太子一行にばかり踊らされている気がする。奴らの話が出回りすぎている。周囲で起こっている事件や変事を集めてくれ」
「畏まりました」
言われたままに町へと向かった兵の背を見送り、ルーカスは疲れたように溜息をついた。
その夜、ルーカスは眠れぬ夜を過ごしていた。ぼんやりと空を見れば輝く月が見える。自然と笑みを浮かべると、それを見た老兵が手に持った温かな飲み物を差し出してくれた。
「何か、月夜に良い思い出でもおありですか、陛下」
「あぁ、少しな」
飲み物を受け取って、ルーカスは老兵を労うように笑みを向ける。彼はルーカスと長い付き合いで、幼少期には指南もしてくれた相手だった。
老兵は許しを得て隣に腰を下ろす。そして、同じように月を見上げた。
「良い月が出ておりますなぁ」
「あぁ」
「誰を思って、そのように幸せそうに微笑まれるのですかな?」
詮索されて、ルーカスは困った顔で笑う。けれど、何故か悪い気持ちはしないものだ。
「タニス王都で、人に会ったんだ。月の綺麗な夜だった。俺は、月よりの使者かと思ったよ」
「それはそれは」
老兵は嬉しそうに笑う。その笑みが以前のジョシュと同じに思えて、ルーカスは苦笑した。
「お迎えに上がらないのですか?」
「お前も俺の結婚を気にしているのか?」
「それは勿論でございます。ジョシュ将軍も常々、貴方様のお相手はどのような女性が良いのかと頭を悩ませておいでですよ」
「あれもまだ若いのに、年寄りのような」
「それだけ案じておいでなのですよ。二六ともなれば子の一人くらい居てもおかしくはない年齢でございます」
「俺はそんなのまだいいよ」
溜息まじりに言うと、老兵は穏やかに笑う。この老人の穏やかな空気は居心地がいい。父にあまり甘えて過ごした記憶がないからか、この老人に理想の父像を見てしまうのかもしれない。
「して、どのような女性なのですか?」
「女性ではなく男だよ。とても清廉で美しく、清らかな人だ」
「なんと! それは残念な事ですね」
老兵は心より残念そうな顔をする。それが少し申し訳なく、ルーカスは苦笑した。
「ですが、そのような相手に巡り合えたことは良きことですよ、陛下。気になるのでしたら、男性でも傍に置いてはいかがですか?」
「彼は詩人だ、縛る事はできないさ」
「詩人、ですか。それはまた、悲しい過去をお持ちなのでしょうね」
老兵の言葉に、ルーカスは初めてそれを思い眉根を寄せた。考えていなかったのだ、世を捨てて生きるほどの苦しい過去があることを。
「私の知人にも旅人がおりましてな。あれは良家に生まれましたが、家の争いに巻き込まれてすっかり人が嫌いになったのです。そのような思いをしなければ、縁を絶って生きようなどと思わないもの。その詩人もまた、苦しい過去がおありなのでしょうな」
それを考えると、胸が苦しくなる。美しいリューヌはあの時ルーカスを拒みはしなかった。だがその心中はどうだったのだろう。故郷の危機を知って、居ても立ってもいられずに舞い戻り、そこで何を思ったのだろう。
「また会いたいなどと浮かれたのは、俺だけだったかもしれないな」
ぽつりと呟くと、老人は笑みを深くする。そして、しみじみと付け加えた。
「それでも私の知人は言うのです。やはり、全てを捨てきれるものではないと。時に懐かしく思い、人を訪ねると。誰かを恋しく思うものだと。その詩人もまた、陛下にそのような思いを寄せたのかもしれませんね」
老人は目尻を下げて言う。そしてルーカスもまた、その言葉に頷いた。
「次に会えたら聞いてみるとしよう。彼の心をいうものを」
「それがよろしゅうございますな」
老兵は立ち上がり、傍を離れていく。
ルーカスは自然と心が落ち着いて、瞳を閉じた。そうしていつの間にか、穏やかな眠りが落ちてきたのだった。