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2話 動向(2)

▼ユリエル


 聖ローレンス砦でも準備は整っていた。


「まったく、貴方という人は豪胆というか、無謀というか」


 溜息をついたクレメンスにユリエルは満面の笑みを浮かべる。それというのも、久々に大きく動けるように今回の作戦を練ったからだった。


 今回、本当の目的はマリアンヌ港にでる海賊『バルカロール』を引き入れること。

 それをルルエ側に知られることは得策ではない。タニス海軍を抑えた事で現在キエフ港は海上の防御を最低限しか行っていない。この隙をつくのが、キエフ港奪還を容易にするカギとなる。もしも海賊を引き入れたと知れれば防御を固められてしまう。それは、王都奪還にも影響を及ぼすだろう。

 そこに目が行かないように、ユリエルは派手に兵を砦から出し、中継の町ウィズリーに向かわせた。ここで囮と本隊を分けるつもりだ。

 皆が問題としているのは、その方法だった。


「ルルエの密偵はこの事態を逐一ジョシュ将軍に報告していることでしょうね」

「そうでなければ、こちらの作戦は半分失敗です」


 ユリエルは兵達に詳しい話をしていない。「王都奪還に必要な作戦だ」として内容は語っていない。だが、下準備をする兵に対してはこう命じていた。

 こそこそと隠れる必要はない、堂々と王太子ユリエルの名を出して構わない。また、宿屋の主人に口止めも不要と。

 宿屋というのは宿泊ばかりではなく、情報を交換する場としての役割も大きい。宿屋の主人は独自の情報で宿泊客を満足させ、客はそれも楽しみにしてくる。

 ただ、一般に王侯に関しては無礼講とはいかない。口止めされれば宿屋の主人も口を割らないのが一般的。だが、そういうことこそ話したいのが世の常。口止めされなければ、宿屋の主人は話したいのだ。


「今頃宿屋では、ここに王太子が宿泊するんだと主人がそれは誇らしげに話しているだろうね」

「こちらの蜂起を警戒している今、王太子自らが動くとなればルルエ側は穏やかではいられません。どう動くかは分かりませんが、何かしらのアクションはあるでしょう」


 それこそが目的だ。馬車でウィズリーに向かい、宿に入ってそこでユリエルは変装し、事前に用意している別動隊と合流、マリアンヌ港へと向かう。そして残った兵には陽動としてユリエルの変装をさせ、適当な砦へと向かいそこで解散させる。

 ルルエ軍を陽動のほうへ、できるだけ長く向かわせたい。だが、向こうも少人数で行動せざるをえないだろう状況で、それを任される人物の目をどこまで欺けるか。そこが問題だ。


「クレメンス、砦の守りをお願いします」

「それは勿論。グリフィスは暫く荒れるでしょうが、宥めておきましょう。シリル様の事もお任せください」


 苦笑するクレメンスに、ユリエルもまた苦笑した。

 案の定ではあったが、心配性のグリフィスはこの作戦に大反対した。クレメンスすらも腕を組んで無謀さと型破りさに唸ったくらいだ、当然の反応と言えた。

 だが、結局は押し切った。それ以来、どうも荒れている。その荒れた彼が兵の訓練をしているものだから、厳しさ上乗せ状態になっている。


「すみません、任せます」

「お任せを」


 そんな事を言っていると、扉がノックされ一人の兵士が一通の手紙を持って入ってきた。その手紙を受け取り中身を確認したクレメンスは溜息をついた。


「レヴィンからです。準備は整っているとのことです。それにしても、これだけの内容にこんなに美辞麗句を並び立てて装飾するとは。詩人でも辟易する」


 その手紙を受け取ったユリエルはおもわず笑った。流れるような筆跡で、詩でも書きつけたような内容だった。


「『涼やかなる風が過ぎる今日この頃、いかがお過ごしか? こちらは旅の途中で立ち寄ったオアシスで女神に出会ったよ。だが、やはり月の女神がいないと締まらない。今宵、星の寝台を用意して女神が降り立つのを待つとしよう。枕を並べ、同じ床につける日を願う』

女性を口説くにはクサすぎますし、詩人としては俗物で三流。これを私に宛てるとなると、彼は私を口説いているのでしょうかね」


 レヴィンからの手紙はいつも、女性に宛てた口説き文句のようだ。読む相手がユリエルだと分かっていて書いているのだから、これは口説かれているのか。

 だが残念なことに、これにはまったく心を動かされない。動いても困るが。


「敵方は既に数人入り込んでいるようですね。後は私が動けばいい。敵の人数は把握できていないようですが」

「今のところ殿下の思惑通りですか。ですが、十分に気を付けていただきたい。貴方に何かあれば我軍は瓦解しかねないので」

「分かっていますよ」


 クレメンスの念押しに軽く笑い、ユリエルは席を立つ。クレメンスもそれに続いて、作戦決行を伝えに行った。


 一人になったユリエルは自室に戻り、窓を開ける。そこからは綺麗な月が見えている。この月を見ると、あの日の彼を思い出す。それと同時に心が温まる。レヴィンの安い口説き文句ではない、心に迫る言葉を思い出す。


「エトワール、貴方は今頃どこにいるのでしょうね」


 危険が迫っていなければいいが。そんな事を思い、心配しすぎだと苦笑する。触れた彼の手は硬く、たこが出来ていた。剣を握る者の手だ。旅をするのだから、ある程度自衛ができなければならない。自分の身は自身で守らなければ長く旅人など続けていられない。

 それでも願う。彼が無事でいることを。健やかに過ごせている事を。またどこかで、出会えることを。

 明日には動き出すというのに、ユリエルは穏やかで温かな気持ちのまま布団に入った。そして、すぐに眠りが落ちてきた。

 胸に抱くのは彼の姿、声、言葉、星を思わせる金の瞳。あの優しい瞳が見つめ、笑いかけるのを感じると胸の奥が解れ、柔らかくなる。それを感じて眠るのは、とても幸福な事だった。

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