▼グリフィス
グリフィス達が古びた教会の祭壇奥にある隠し戸を押し開けたのは、王都脱出から六日後の事だった。予定よりも少し早かったのは、ひとえにレヴィンのおかげだろう。
シリルとレヴィンはあの夜を境に急速に親密になった。レヴィンという男は意外と人づきあいがいいらしい。何よりも目端がきく。シリルが疲れていると分かるとそれとなく言って休息を取ったり、時に背負って進むこともあった。
シリルは最初それに恥ずかしそうにしていたが、話すうちに心を許したのか楽しそうにしていた。
これにはグリフィスも他の兵も驚いた。レヴィンは他の兵の事もよく見ていて、それとなくグリフィスに報告したりもしていた。そのおかげで、全員必要以上の疲労を溜めずにここまでこられた。
「やっとお天道様の陽を浴びられるね。夜型の俺でもさすがに滅入る」
グリフィスの後ろで頭の後ろに手を置き、レヴィンがのんびりそんな事を言っている。
最初に地下道を出て周囲を確認したグリフィスが、他の者にも上がってくるように指示する。皆思い思いに体を伸ばし、首や肩を回している。その表情は心なしか明るかった。
レヴィンに引き上げられるようにして外に出てきたシリルも、久しぶりの日差しと風に安堵したようにほんのりと笑みを見せた。
「そうのんびりもしていられない。できるだけ早く周囲を確認し、必要ならば山越えを考えなくては」
全員が無事に出てきたことを確認して、グリフィスは教会から外へ出た。目が明りに慣れておらず、眩しさに目を細める。けれど確かに、そこに人の影があった。
思わず剣に手をかける。だが、響いた声は柔らかく、そして懐かしいものだった。
「私を斬るつもりか、グリフィス」
「クレメンスか!」
ようやく目が明りに慣れてきて、グリフィスはしっかりとその影を確認した。
肩にかかる金色の髪に、切れ長の青い瞳。品のある端整な顔立ちをした男が、相変わらず眉間に皺を寄せてそこに立っていた。
懐かしい顔に安堵した事でようやく肩の力が抜けた。ここにクレメンスがいるということは、山越えは必要ないということだ。
「お勤めご苦労様。後は私が引き受けよう」
肩を叩かれ労をねぎらわれ、グリフィスの顔にも苦笑が浮かび、素直に疲労の色を顔に浮かべた。そして、素直にクレメンスに後の事を任せる事とした。
▼クレメンス
クレメンスはグリフィスの背後にいるシリルへと視線を移す。そして、その傍らに立つレヴィンにも。どちらかと言えばレヴィンの方が気にかかった。だが、まずはやるべきことを済ませてしまわなければ。
「遠路遥々、ようこそお越しくださいましたシリル様。聖ローレンス砦の前首座、クレメンス・デューリーと申します。ユリエル殿下の名代として、皆様をお迎えに上がりました。これより先に敵はございません。馬車を用意しておりますので、どうぞこちらへ」
丁寧に礼を取ったクレメンスにシリルは柔らかく笑う。安堵したというのが大半に思えた。
「わざわざ有難うございます。まずは皆さんを休ませてあげてもらえますか? 皆、とても疲れています」
「勿論です。近くの町に馬車を用意しております。ここから馬車を走らせれば、夕刻にはユリエル殿下の居られる聖ローレンス砦へと辿り着くでしょう。今しばらく、ご辛抱下さい」
「皆、馬車に乗れるのですか?」
「勿論、そのように準備をいたしております」
満面の笑みを浮かべたクレメンスに、シリルは安堵したように頷いた。そして、背後の者達も安堵した。皆それぞれ、疲れがたまっている様子だった。
▼ユリエル
その日の夕刻、馬車が聖ローレンス砦へと到着した。荷馬車を降りたシリルが外で待っていたユリエルを見つけて駆け寄ってくる。大きな新緑色の瞳に涙を溜めたシリルを、ユリエルは手を広げて迎えた。
「シリル」
呼びかけに駆け寄ったシリルは、溜めていた感情を溢れさせるように泣いた。ユリエルの胸に飛び込み、体を震わせている。
その体を抱きしめ、頭を撫でるユリエルもまた心から彼の無事を喜んだ。大切な弟がやはり愛しい。この小さな子を再び抱きしめる事が出来て、安心した。
「ごめんなさい、兄上。僕は何もできなくて」
「いいのですよ。無事に私の所に来てくれたのですから、それ以上など望みません。辛かったでしょ? もう大丈夫。私が守ります」
心温まる兄弟の再会だ。だがそれは、ユリエルという人間の一面でしかない。本当に弟のシリルに対しては天使のように優しく甘い。
ふと、ユリエルの視線が背後に立つ三人の人物へと移る。グリフィスに、クレメンス。もう一人目立つ赤毛の男がいるが、知らない者だった。
「グリフィス、ご苦労でした」
「いいえ。無事にお連れすることができて安堵しております」
「お前は国一番の騎士。信じていましたよ」
鋭く凛としたユリエルの視線に、グリフィスは肩を竦めて応じた。
「あの、兄上。一人紹介したい人がいるのですが」
まだ涙を拭いながら、それでもシリルはあどけない笑みを見せる。そして一度ユリエルの傍を離れて、見守っていた知らない男の腕を引いてきた。
「え?」
「レヴィンさん、紹介します」
シリルが少し強引に赤毛の男を引いてくる。その様子に、ユリエルは少し驚いてしまった。
見知らぬ相手に対して人見知りするタイプのシリルがこうも強引な態度を見せている。しかも、相手は決してシリルが交わり合うような人物ではないと思うのだが。
「兄上、紹介します。僕をここまで連れてきてくれたレヴィンさんです。とてもお世話になったのです。だから、ちゃんと僕が紹介したいと思って」
「そうですか」
上辺だけの穏やかな笑みを見せ、ユリエルはレヴィンと向き合う。その視線に、レヴィンは肩を竦めてみせた。
「ユリエルです。弟が大変お世話になりました。明日にでも改めて、お礼をさせてください」
「とんでもない。俺ごときがそのような温情を賜れば他がなんと言うか」
そうは言うが、レヴィンの瞳は強く輝いている。そしてその野心の闇を見過ごすユリエルでもなかった。