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6話 聖ローレンス砦(2)

 その夜、ユリエルの部屋には約束通りクレメンスがいた。机の上には沢山の手紙が並べられている。分類別に分けられているそれらを見ながら、ユリエルは困った顔をした。


「砦の首座達は概ね、貴方の指示に従うと連絡がありました。さすが殿下、軍部への信頼は大きなものですね」


 「まずは一安心」と、クレメンスは息をつく。ユリエルもまた、届いた承諾の手紙を読んで安堵した。

 ユリエルが軍籍について十年以上になる。その間、王族であるにも関わらず前線に立ち、数々の功績を上げてきた。また、砦を預かる者や部隊の将と親密に連絡を取り、才能ある若者を引き立ててきた。今回はこれが功を奏したのだろう。

 もしくは、次の王となるだろうユリエルに従うほうが得策と取ったか。


「さて、良い知らせはこれだけですね。残りは王都からの報告と、敵軍に関する情報です」


 クレメンスはいくつかの紙を取り上げ、それをユリエルに渡した。それらは大体予想していた内容が多かった。


「現状、王都での略奪や暴行などは行われていないようです。民の生活は通常通り行えているとの報告です」

「少し意外でしたね。このような事態では、普通は略奪が横行するものですが」

「王都攻めを行った将が善人であった、ということでしょう」


 クレメンスの言葉に、ユリエルもまた頷くより他にない。敵方の情報の紙を一枚取り上げ、そこに書かれた人物の名を見て、ユリエルは何とも言えない溜息をついた。


「相手はジョシュ将軍でしたか」


 その名を見て、ユリエルは今回の全てが腑に落ちたような気がした。

 ルルエ軍第一騎士団隊長、ジョシュ・アハル将軍とは数度戦場で相手をしたことがある。とは言っても、顔を見たことはないが。敵にしては気持ちのいい正統派の相手だが、戦うとなると厳しかった覚えがある。

 彼は綿密に準備をし、確実に目的を達成するタイプの将だ。ユリエルも戦場で苦戦させられた。

 だが同時に、彼の部隊は決して略奪や暴行をしない事で有名だった。捕虜に対しても横暴な態度は取らず、丁重な扱いをする。今回王都の民が無事だったのは彼のおかげと言えるだろう。感謝すべきかは微妙な所だが。


「ですが、妙ですね」

「何か引っかかる事でも?」

「ジョシュ将軍は本来、戦を好む人物ではないはずです。少なくとも、自ら率先して両国の溝を深めるようなことは今までしていなかったはず。それが何故、今になって行動を起こしたのか」

「それについては、ルルエの新王が関わっている様子ですよ」


 クレメンスがサラリと言う言葉に、ユリエルは目を丸くする。その反応が面白かったのか、クレメンスは満足そうな笑みを浮かべた。


「何を知っているのです、お前は」

「お知りになりたいので?」

「クレメンス」

「分かっておりますよ。とは言え、ルルエ国内に蔓延する話でしかありませんので、実際の所は掴みかねますが」


 そう言いながら出された報告書に目を通しつつ、ユリエルは感心してしまった。同時に、クレメンスという男の厄介さも思い知ったように思うが。よりにもよって、ルルエ国内に間者を忍ばせ続けていたとは。


「現国王ルーカス陛下は、どうやら自国の宗教家とあまり折り合いがよくないご様子ですね」


 クレメンスが言う通り、ルルエ国内は現在新王と教皇との間に確執がある事が報告されている。そしてそれは、思った以上に深刻な事態らしい。

 ルルエの民は元々、ここタニスと同じ神を信仰している。だが、現在では大きくその実態は膨れて歪み、宗教家を名乗る者達にいいように利用されているようだった。


「現教皇は財をばらまき国民の支持を得て教皇の座についた。表向き、国民主体の教皇という面は保っています。ですがその裏では国民を盾にして政治にも口を挟む、面倒な御仁だとか」

「神を信じるのは構いませんが、神を語る者に力を与えては厄介になる。政治と宗教の難しい部分ですね」


 何とも気の毒な話だが、こうなっては教会の暴走は簡単には止まらない。信仰というものはそれほどまでに厄介なのだ。


「この教皇、しきりにタニス侵略を進言しているとか。おそらくこの度の王都襲撃は、この辺に関わってくるのではありませんかね」


 クレメンスの言葉に頷いたユリエルは、次に自国の現状に目を移した。


「キエフ港が落ち、王都が落ちた。現在タニス海軍は総崩れ。軍船も兵も囚われた様子、ですか。これで海上の防衛はザルですね」

「ルルエ軍は海軍が強い事で有名です。大型軍船もありますから、海上を封鎖しない限り人も武器も入りたい放題になってしまいますが」

「これに関しては現在打つ手なしです。王都奪還の前に、どうにかしないと」


 とは言え、どうにかできる問題なのか検討しなければ。他の港にも多少の兵力はあるが、微々たるもの。期待はあまりできなかった。


「次に、シリル殿下とグリフィスの行方ですが。こちらは行方不明。でも、囚われたという報告もありません」

「グリフィスがついているのです、シリルは安全にこちらに向かっていますよ。おそらく、隠し通路を使って脱出したのでしょう。グリフィスの家はそれらに詳しいはずです」


 古くからタニス王家に仕える騎士の家柄であり、王の信頼も厚いグリフィスは多くの隠し通路を知っている。いざという時に王族に随行し、安全に脱出するためだ。


「クレメンス、ここから王都側へ十キロほどの場所に廃教会があります。そこにこっそりと、連絡の兵を忍ばせてください。近くの町で荷馬車を手配して、いつでも出られるように数台確保してください」

「それはまた、何故でしょうか?」

「城からここを目指すなら、おそらく出口はその廃教会です。慌てて王都を出てきたのなら、グリフィスは大陸行路に影響がない事を知りません。慎重になって山越えをしてこの砦を目指しては、シリルの足では時間がかかりすぎる」

「なるほど」


 大いにありそうな話にクレメンスも納得したように頷く。そして、翌日すぐにと約束した。


「現在、ルルエ軍は大陸行路及び、周辺の町や村にまで手を伸ばしたりはいたしておりません。彼らをまず確保する事を優先いたします」

「そうしてください。まずはシリルの安全を確保しなければ動きが取れませんからね」


 ここまで報告を読み、それに対する対応を指示し、ようやくユリエルは息をついた。椅子にどっかりと腰を下ろし、目頭に手を当て軽く擦る。目が疲れてきて軽く頭痛がする。

 傍のテーブルに水の入ったグラスが置かれた。置いた本人はちゃっかりとブドウ酒を飲んでいる。


「お前だけブドウ酒ですか?」

「頭痛がするのでしょ? 酒など飲めば逆効果ですよ」

「お前が付き合って水にしようとは思わないのですか?」

「おや、それは気付きませんで」


 なんて、悪い笑みを浮かべるクレメンスはそれでも構うことはない。一人で楽しんでいる。まぁ、ユリエルもそう煩く言うつもりもなく、大人しく水を飲みこんだ。


「酷いようなら眠れるように香油でもお持ちしましょうか?」

「いいえ、必要ありません。いつもの事ですよ」


 問題がたまるとそれらを考える時間が増える。結果睡眠時間は削れるし、体を動かさずに机に向かう時間が増える。報告書も増えて目も疲れる。神経も緊張するのか、眠りはいつも以上に浅くなる。結果、頭痛がするのだ。


「薬は?」

「飲みたくありませんし、必要ありません」

「では、本日はもうお休みを。横になって目を閉じるだけでも、多少疲れは取れましょう」


 そう言うとあっさりとクレメンスは部屋を出て行く。残されたユリエルは溜息をつき、衣服を着替えて大人しく布団に潜り込むことにした。

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