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5話 脱出路(2)

▼レヴィン


 見通しのいいその場所は百人程度が余裕で寛げるだけのスペースがあった。しかも侵入者対策用の扉もついている。城側の鉄扉を閉めて閂をかけ、皆ようやく休むことができた。

 それでも、快適とは言えない寝床だ。石造りの床は冷たくて硬いし、暖は数か所で焚いている焚き火と毛布だけ。疲労の度合いに対して用意された寝所は最低だった。


 レヴィンは周囲を見回して、そんな部屋の隅に蹲るシリルを見つけた。

 ほんの少し後悔している。どうにも王族というものに良い印象を持たないせいか、必要以上に虐めてしまった。思った以上に傷つけてしまったようだ。

 仲直り、できるだろうか。そんな思いでレヴィンはシリルの傍へと寄った。


「眠れないのかな、シリル殿下」

「レヴィンさん」


 見上げる瞳は弱く頼りなく揺らぎ、顔には憔悴の色が見える。それでも笑みを浮かべるのだから、健気と言うか意地らしいと言うか。少し痛々しいくらいだ。


「ここ、いいかな?」

「あっ、はい」


 慌てたように答え、少し端に寄る。だが、そんな必要はどこにもない。シリルの左右には誰もいないし、これだけスペースがあるのだから座りたい放題だ。

 それに気づいたのだろう、シリルの顔が恥ずかしそうに赤く染まった。


「今日は大変だったね。平気?」

「大変なのは僕だけではありませんので。弱音は、吐けません」

「おや、意地らしいんだね」


 目に見えて疲れているのに、それでもシリルは笑みを忘れない。その姿は健気だけれど、同時に哀れにも思えた。


「少しでも寝ておかないと、今後が辛いよ」

「寝ようとは思っているのです。でも、上手くいかなくて」


 それは分からなくはない。興奮して上手く寝付けないのだろう。それを察していたから、レヴィンはとっておきの物を持ってきていた。


「興奮しているんだね。じゃあ、俺がお手伝いしようかな」

「え?」


 驚いたように見開く新緑の瞳が、少しだけ可愛いと思う。年齢以上に中身が幼いように思う。半面、妙に大人びた部分も持つのに。

 レヴィンは自分が纏っている外套を折りたたみ、そこに匂い袋を仕込んでシリルの枕にし、荷物の中から小さなリュートを取り出し、爪弾いた。石造りの部屋の中にその音は響く。驚いたように、他の者も顔を上げた。

 心地よく音を奏で、眠りへ誘う曲を弾く。ゆったりと歌う声は静寂の中に響いた。シリルは最初戸惑ったようだったけれど、やがてゆるゆると外套を枕に瞳を閉じる。そして、数曲終わると静かな寝息が聞こえるようになった。

 沈み込むように眠ったシリルに毛布をかけ、その頬を濡らす涙を手で拭って、レヴィンは申し訳なく笑う。かってが分からずに言いすぎてしまった。辛い思いをした日なのに、余計な心労をかけた事を素直に詫びた。


 その場を離れたレヴィンは感じる視線に顔を上げる。グリフィスが一人、焚き火の傍で苦笑していた。


「上手いな、お前。軍人よりもよほど合っている」


 いつの間にかレヴィンの音楽に聞き惚れた他の兵も眠っていて、起きているのはグリフィスだけになっていた。その傍に腰を下ろしたレヴィンは苦笑する。


「俺自身そう思いますけど、世捨て人になるには俗物でして。欲を捨てられないんじゃ、詩人などできませんしね」

「それもそうだな」


 そう言って携帯用の食料を少量噛むグリフィスをレヴィンは観察した。

 この人も実に面白いと思う。古くから国に仕える騎士の家柄で、若いながらに実力がある。十代で獅子を狩り、二十代で国一番の騎士となったという。まるで軍神だ。

 だが、そんな桁の違う相手だというのにこうして実際に話すと近寄りがたさはない。少々堅苦しいとは感じるが、誠実で公平な目を持つ人物だと分かる。そして、随分とお人好しだ。


「お前、シリル様によくよく礼を言っておけ」


 言われ、レヴィンは少しだけ首を傾げる。礼も詫びも言うつもりではあるが、改めてこの人から言われるとは思わなかった。


「えぇ、そのつもりですが。何故?」

「シリル様が許さなければ、俺はお前の同行を許さなかった。正直、あまり見えてこない相手だからな」

「なるほど、賢明な判断です」


 グリフィスの考えは実に筋が通る。レヴィンだって、こんな奴が突然きて入れてくれと言っても承知しないだろう。

 だがそうなると意外だ。グリフィスはシリルを随分信用している事になる。まだ幼く頼りないあの王子様を。


「シリル様を、随分信用しているのですね」


 鋭い視線で問いかけるが、グリフィスはまっとうに取り合わないつもりか視線を合わせない。その視線は、離れて眠るシリルを見ていた。


「あの方は人の本質を見抜く才がおありだ。お前が根っから腐っているならば、あの方は怯えたまま隠れていただろう。だが、一歩前に出て同行を願った。ならば、捨てるには惜しい」

「あぁ、そう」


 捨てるには惜しい、か。本人に隠しもせずにそう言い捨てるこの人も、意外といい人というだけではないかもしれない。それでも世辞でもなく、隠し事もしないのはある意味で気持ちがいい。こういう人間とは付き合いやすい。


「まぁ、お前も簡単な奴ではなさそうだがな。頼むから、ユリエル様と揉め事を起こすなよ」

「そこが問題なんですけど。そのユリエル様って、どんな人なんです? 正直、顔が色々ありすぎて実体が掴めない感じがしますが」

「そのまま、色々な顔がおありだ。相手に合わせて態度を変える。が、あまりご自分を見せない。それに値する相手と思わなければな。そしてどんな相手にも、弱さは一切見せない」


 グリフィスの目が鋭く、厳しく、そしてどこか悲しげに細められた。


「あの方は、シリル様以上に人の本質を見抜く。だが、シリル様のように避けるのではない。悪意も毒も見抜いたうえで食らうのさ。ご自分の目的や、野心の為に」

「それは……」


 少し怖いが、興味深い。毒を毒と知って食らう人なら相当の覚悟がおありだ。そういう人とはきっと馬が合う。レヴィンもまた、綺麗な生き方などしていない。


「お前は間違いなく、あの方に気に入られる。おそらく目に止まればすぐだろう。だが、覚悟することだ。一度でもあの方に加担したなら、逃れる事は許されない。例え地獄へ向かっていても、途中で抜ける事は許されないぞ」


 怖い顔で念押しするグリフィスに肩を含めてみせ、レヴィンは苦笑する。だが、願う所だ。レヴィンもまた、今更天国になんぞ行く気はない。ならば、とことん付き合ってみるまでだ。

 意外なのが、そんな危険な相手にこの堅実そうなグリフィスが加担していることだ。しかも、分かっていて。


「将軍は、何故加担しているんです?」


 ほんの興味だった。それに、グリフィスは困ったように笑う。そう、笑うのだ。


「あの人を、放っておくことがどうしてもできなくてな」


 そう呟いた言葉が妙に、レヴィンの耳に残った。

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