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4話 赤い鴉(2)

▼グリフィス


 グリフィスは奥院の食堂にいた。そこから隠し通路を通ると、かつて使われていた水路がある。古い時代のもので、今は忘れ去られているこの道は案外迷路のように複雑で、対侵入者対策もされている。

 そして何より、ユリエルがいる聖ローレンス砦へ行くには一番適した脱出口があった。


「これより城を脱出する。目的地は聖ローレンス砦。おそらく、一週間以上はかかるだろう。強行軍だ、しっかりとついてこい」


 グリフィスの言葉に同行の兵は皆頷く。だが、こうした行軍に不慣れなシリルだけは不安そうだった。


「あの、やはり僕は足手まといでは」

「そんな事を言っている場合ではありません、シリル様。貴方を無事にユリエル様の元に送り届けることが我々の使命です。何をしても、貴方だけは無事に辿り着いていただかなくてはなりません」


 それでもシリルの不安はぬぐえない。いや、むしろ一層増したようだ。


「大丈夫、必ずお守りいたします。ですから」

「そんな堅苦しい言い方しても緊張するだけだよ。ね、シリル殿下」


 戸口で突然した軽い声に、グリフィスは弾かれたように顔を上げシリルの前に出た。その目の前、食堂の戸口に彼はいる。赤い髪を揺らし、紫の瞳をこちらへ向け、口元に軽い笑みを浮かべながら。


「誰だ」

「第二部隊の元副隊長で、レヴィン・ミレットと申します。俺もこの作戦、参加させてくれませんか?」


 何とも軽い感じで近づいてきたレヴィンは緊張感の欠片もない様子だった。だが、グリフィスは決して警戒を怠らない。

 噂で聞いたことがあった。第二部隊に風変わりな男がいると。実力は確かだが品行不良。だが、有事の際には必ず活躍する。おべっかを好む第二部隊の隊長の元で唯一、実力で上り詰めた男がいると。

 確かに心の見えない感じはある。信用するには危険な男だ。


「貴殿は城の守りを言いつかっているはず。持ち場はどうした」

「それが、正直な意見を言ったら隊長の逆鱗に触れちゃって、追い出されましてね。んで、未来のある方へときたわけです」

「正直な意見?」

「城はいずれ落ちる。その前に城の人間を避難させる時間を稼ぐのが精々だろうってね。それに、誇りに命は賭けられないとも」


 苦笑するレヴィンの言いようは少々癪には障る。だが、言っている事も状況判断も正しかった。

 グリフィスも城がいつまでも無事だとは思っていない。兵数が少なすぎる。敵方の兵数も夜では正確に把握できない。これで攻城兵器など用意されていたら、数時間もつかどうかだ。


「グリフィスさん、一緒に来てもらいましょう」

「シリル様!」


 後ろから服の裾を引かれ、グリフィスは驚いて声を上げた。新緑色の瞳がジッとレヴィンを見ている。


「ここにいたら、この人も捕まってしまうかもしれない。それに、味方は多い方がいいと思います」

「ですが……」


 信用できる相手かどうか分からない。裏切らないとも限らない。

 だがグリフィスの心配などよそに、シリルは一歩前に出てしっかりとレヴィンを見据えた。


「シリル・ハーディングです。僕はこうした事に不慣れで、正直ご迷惑をおかけすると思います。それでも、一緒に来てもらえますか?」


 頼りないまでもしっかりと向き合って言葉を発するシリルは、グリフィスの目に立派に成長して見えた。愛らしく純粋で、守られるばかりの弟王子だとばかり思っていたが、そうではないと証明されたような気分だ。

 そして、それを受けたレヴィンもまたシリルの前に膝を折り、臣下の礼を取る。その姿にも、グリフィスは驚かされた。


「俺ごときでよければどこまでもお供いたします。シリル殿下」


 シリルがグリフィスを振り返り、安堵したような笑みを見せる。これにはグリフィスも溜息をつき、頷くより他になかった。


§


 シリル達が無事に城を脱出したと報告を受け、王は安堵の息をついた。その傍らには、先程レヴィンと話していた男が立っている。


「おそらく城は落ちる。奴を城から出した途端にこれだ。私は、彼女に呪われたのかもしれないな」


 思い出していたのはユリエルの母の事だった。彼女は美しく聡明で、とても真っ直ぐな女性だった。

 その彼女との約束を違え、才能ある子を退けた罰が下ったのかもしれない。そう、王は感じていた。


「お前も逃げなさい、ダレン。何もこんな老いぼれに付き合うこともない。お前には、息子達を頼みたい」

「陛下は?」


 ダレンと呼ばれた老齢の家臣が気遣わしげに問う。それに、王は静かな瞳を向けた。


「王の務めを果たさずに逃げるなど、民に示しがつかぬ。そう易々とくれてやるつもりはないが、逃げる事もせぬ」


 王は向き直り、ダレンを見る。そして、諦めた優しい笑みを浮かべた。


「ユリエルを頼む。あれは敵を作りやすいからな。きっと、動きづらいだろう。お前が助けてやってくれ」

「……畏まりました」


 丁寧に礼をして、ダレンはその場を後にした。

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