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最終話 常夜の森と白む闇


 常夜の森の奥深く木々に覆われ月星の灯火も降らず、蘭華の破屋あばらやは今日も闇夜に沈む。


 時折聞こえるのは鳥獣の鳴き声と虫の音だけの静かな森……


「百合の癖に生意気な!」

「僕、本当の事を言っただけ〜」


 ……の筈が、破屋から芍薬と百合の争う声が突き抜けた。


 ドタバタと騒がしい音が漏れてくる。


「良い加減になさい!」

「みゅ〜」


 ポカッ、ポカッと叩かれる音がして騒ぎが収まる。破屋の中を覗けば蘭華が百合と芍薬の首根っこを抑えていた。二人は頭に盛大なコブをこさえている。


「折角、珠真が修繕してくれたのに壊さないの」

「ほんに壊すしか能のない奴らじゃ」


 蘭華がメッと叱りつけ、牡丹が呆れて胡乱げな目になる。


 聆文の追っ手を警戒して、蘭華は藍鈴と珠真の二人を自分の破屋に匿った。


 その時、珠真が「こんな汚い所に藍鈴を置いとけないよ」と憎まれ口を叩きながら、せっせと破れた家を修繕してくれた。


 藍鈴を匿ってくれた恩人に報いようとする彼女の気持ちは蘭華にも十分伝わっている。憎まれ口はただの照れ隠しなのだ。


 そんな彼女はいつもブツブツと文句を垂れ流していたが、家の修繕だけではなく炊事洗濯まで率先してやってくれた。何とも義理堅い妖魔あやかしである。


 これには蘭華もずいぶん助けられた。それに、驚くべき事に彼女はかなり器用で破屋は見違えるような家に変わったのだ。だが、今それを百合と芍薬が壊していく。


「もう珠真に直してもらえないのじゃ、あまり壊すでない」


 その藍鈴と珠真も今は居ない。彼女達は蘭華の師である白姑仙に預かってもらう事になったのだ。


「まったく、藍鈴と珠真がいなくなっても此処は賑やかね」


 二人を黟夜山えいやざんへ送った後、蘭華の家は寂寞に包まれた。が、そんな感傷も一瞬だった。


「ここも来客が増えたものじゃ」

「そうね、少し賑やか過ぎね」


 常夜の森の中にある蘭華の家を訪れる人など今迄いなかった。


「ふんっ、蘭華はあの孺子あおにさいが来た時には嬉しそうだったが」

「べ、別に刀夜様は関係ないわよ?」


 事件が解決し常陽へ戻った刀夜が先日この家を突然訪れた。


「反物や深衣を頂いて喜んだだけよ」

「どうだか」


 蘭華へ支払われていなかった工賃を届けに来たのだが、詫びと土産と称して多数の反物と共に深衣を持参した。


「そうよ……それだけよ……」


 蘭華は気不味げにぷいっとそっぽを向けば、衣桁いこうに掛けられた深衣が目に留まる。


 高価な天絹の金青の深衣で、その色が刀夜の瞳を連想させ麗しい皇子の顔が脳裏に浮かんでしまう。


 心が騒つく。


 じっとしていられなくて、そわそわしてしまって……


 頭を冷そう……


 蘭華は戸を開けて窓枠に腰掛ける。


 蘭華の闇に溶け込みそうな黒髪が靡く。

 森から吹き込む清涼な風が気持ち良い。


「やっぱり月は見えないのね」


 天は木々に隠されて星も月も


 常夜の森を僅かに開いたここでは月明かりも届き難い。今日も常夜の森は闇夜に沈んだまま。


「刀夜様……」


 だけど、ふと心を惑わす彼の名が口を突いた時、何もかもを覆い隠す暗闇が僅かに白んだように蘭華には感じられた……


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