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第二十七話 常夜の魔女と有翼の黒虎


窮奇きゅうき!?」


 蘭華は闇の如き妖虎の正体を一目で看破した。


「どうして聖獣が小邑むらを!?」


 窮奇は日輪の国を守護する十二獣の一柱。大方士役優えんゆうによって調伏されて、聖獣と転じた窮奇が田単に破壊を齎している。


「やはり妖魔あやかしに堕ちていたか」

「あり得ません!」


 刀夜の呟きを蘭華は語気を強く否定した。


「窮奇は役公えんこう(役優の尊称)の緊圏呪きんけんじゅを施されているのです」


 窮奇は役優の緊圏呪――使い魔の頸部に施す方呪もしくは方具によって日輪の十二獣として縛られている。


「もしかして緊圏呪の魔力が……」

「蘭華、あちらじゃ!」


 蘭華は何か言いかけたが牡丹の鋭い声に遮られた。


「少女?」


 牡丹の示した方を見れば、からすを従えた三又の黒猫を抱く青髪の少女が異様な魔力を纏っている。


金烏きんう貓鬼びょうき……いえ、仙狸せんりかしら?」

「しかし、仙狸にしては妙じゃな」

「ええ、の気配を強く感じます」


 蠱とは呪いの事であり、主に虫などを使用する。蠱術に関わる貓鬼とは異なり、仙狸は長い年月をかけて転仙した化け猫だ。その性は仙人に等しい。


「とにかく被害が広がる前に決着を付けましょう」

「心得たのじゃ」


 蘭華の指示に牡丹は邑内へと急降下し、赤い矢となって窮奇へと肉迫する。


 それを窮奇が一声咆えて鋭い牙で迎え撃つ。が、牡丹はひらりとかわすと一丈(約1.6m)程離れたところでふわりと着地した。


 それと同時に刀夜が蘭華を抱えて牡丹から飛び降りる。すたっと地に立つと横抱きにしていた蘭華を静かに降ろした。


「なんだいお前達!」

「邪魔スルナ!」


 少女の腕から飛び降りて黒仙狸が毛を逆立て、金烏がギャアギャアと鳴いて宙で威嚇する。


「駄目、下がって珠真!」

「そいつは聞けないよ」


 闇のような身体が膨れ上がるように大きくなると、仙狸は美しい妙齢の女性へと変化へんげした。纏う深衣は漆黒で、長い髪も艶のある闇色、その瞳だけが琥珀色に輝いている。


 正に黒き美女と呼ぶべき妖しい姿に転じた珠真の上で、金烏が苛立っている。


孺女コムスメ、早ク窮奇デ此奴コヤツラヲ ホフレ」

「藍鈴、こんな奴の言う事は聞かなくていい」

「主ノ命ニ叛クカ化ケ猫風情ガ!」

うるさいバカ烏!」


 言い争う金烏と珠真、青紫の瞳を翳らせる藍鈴、ただじっと命令を待つ窮奇。その様子に蘭華は目を細めた。


(あの姑娘むすめは金烏と仙狸の主ではないみたいね)


 恐らく黒幕は他にいる。

 なら今すべき事は……


「窮奇を調伏し十二獣へと還します」

「――ッ!?」


 わざと大きく宣言した蘭華が、右の人差し指と中指を立てて唇に当てる。その行動に金烏が焦りを露わにした。


「サセルカ!」


 金烏は一度黒い羽をバサつかせ舞い上がって溜めを作る。刹那、弾かれたように蘭華へ向けて突貫した。


 それは一本の黒き矢。


 羿射黒箭げいしゃこくせん――太陽を射落とした伝説の弓の名手羿げいを体現した金烏の術技である。


 彼にとって数々の敵を葬ってきた絶対の自信がある術。今回も突然現れた不届な女導士の心臓も穿てる筈。


 そう金烏は確信した、が――


「閉じよ桃符とうふ祓除ふつじょの門!」


 金烏は蘭華の左胸にくちばしを突き立てる寸前で、見えない壁に激突し地に堕ちた。自らの突進力で己を痛め付けた金烏は激痛にのたうち回る。


 その光景に刀夜は感嘆を漏らした。


「桃符の門とは門扉に飾る桃木の魔除けの事か?」

「そうじゃ、蘭華はその原型を召喚したのじゃ」


 桃木から二神が守護する門に倣い、人々は邪気を祓う桃で符を作り玄関に掲げる。その原型オリジナルを蘭華は召喚した。この門はどんな悪鬼羅刹も寄せ付けない。


「この門は聖気を宿し悪鬼を退ける! この門は聖気を宿し悪鬼を退ける! この門は邪気をして百鬼をはらう!」


 方呪まじないを唱えながら蘭華は両手で印を結ぶ。


「二の門神は神荼しんじょ鬱塁うつりつ、桃木に立ち百鬼を除し悪鬼を祓う!」

「何ダコレハ!?」


 辺りにあしが伸び金烏に絡み付く。


「二神は葦で縄をう!」

「くっ、抜けない!」


 珠真の足にも葦が絡み付く。


「聖なる葦索いさくは悪業を縛る!」


 足に、腕に、胴体に、葦縄が巻き付き珠真は身動みじろぎもできない。窮奇などは完全に葦に埋もれていた。


孺女コムスメ、早ク窮奇ヲ!」

「黙れバカ烏! 相手の力量も分からないのかい」


 強力な方術を目の当たりにして珠真は焦った。蘭華との力量差を痛感したのだ。


(格が違い過ぎる!)


 とても太刀打ちできる相手ではない。窮奇をけしかけても勝てる想像が珠真には思い浮かべられなかった。


「藍鈴は逃げな!」

「悪いが逃す訳にはいかない」

「嫌! 離して!」


 珠真の叫びに応えたのは藍鈴ではなく刀夜の声。蘭華の側にいた筈の彼はいつの間にか藍鈴の腕を掴んでいる。


「藍鈴!」


 藍鈴を助けに行きたいが、葦に囚われどうにもできない。


「門神の使いは白き虎!」


 しかも最悪な事に蘭華の方呪まじないが完成した。白い霧が生まれて次第に虎を形取る。


「二神の虎は悪鬼羅刹を喰らう!」


 白霧の虎が大口を開ける。


「ギャアァァァ!」


 そのあぎとで噛み砕かれ、金烏は断末魔を上げ消え去った。


「いやぁぁぁ! お願い力を貸して窮奇!」


 珠真も殺されると思ったのか真っ青になった藍鈴の悲鳴にも似た命令が下る。


聖縄せいじょうはどんな悪鬼も縛り、神虎は全ての闇を食い破ります……なら逃れる術はありません」


 蘭華の説明通りどんな妖魔も脱出は困難……の筈だった。


 ところが、少女の悲痛の叫びが奇跡を生んだのか窮奇に異変が生じた。身体を拘束する葦をぶちぶちと引き千切り巨大な闇が盛り上がったのだ。


「ガルルルゥゥ……」


 窮奇は金色の瞳で白霧の虎を睨み――次の瞬間、突進して白い虎を霧散させてしまった。


 更に窮奇は珠真を拘束する葦までも食い千切る。


「助かったよ。あたいは藍鈴の所へ行く!」


 解放された珠真は窮奇を残し藍鈴の元へと走り出す。


「蘭華、退がるのじゃ!」


 向かって来る窮奇に対し牡丹が蘭華を守るように前に出た。


「慌てないで、大丈夫よ」


 しかし、空を見上げて蘭華はにこりと微笑む。


「来たわ」


 何がと問う間も無く牡丹の視界に白い影が疾る。


「待たせた!」


 刹那、肉迫していた窮奇が吹き飛んだ。


「遅い、何をしておったのじゃ!」

「この筋肉達磨ダルマそっちの二人より重いんだぞ!」


 それは遅れて到着した芍薬であった。

 芍薬から巨漢が飛び降り頭を掻いた。


「済まん、その分はそれがしの働きで返そう」


 言うが早いか夏琴はその巨体に似合わぬ俊敏な動きで窮奇の前に踊り出た。


 しかも、あろう事か素手で挑み、がっぷり四つに組んだのである。


「こやつ窮奇と渡り合うとはどんな筋肉をしとるのじゃ!?」

「でかした!」


 夏琴の非常識な行動に牡丹が呆れとも驚きともつかぬ声を上げ、芍薬はここぞとばかりに窮奇の首に噛みついて地に捩じ伏せた。


「殺しては駄目よ芍薬!」


 芍薬も窮奇と気付いたのか押さえ込んでいるだけのようだ。しかし、仰向けの窮奇はじたばたしており抵抗の意思は挫けていない。


「妾が封じる故、緊圏呪を施すのじゃ」


 万全の体勢からなら格上の白虎さえ封じる牡丹の蹄。それが窮奇の腹を踏み付け力を封じ込める。すかさず蘭華が近づき窮奇の首に触れた。


「八神が一柱兵主神ひょうすのかみ、魑魅魍魎の長にして戦の神たる汝に願い奉る――」


 緊圏呪の方呪を唱え始めると、窮奇の首をぐるりと黒い線が浮かびあがる。


「――汝の真名蚩尤しゆうの名の元に、彼の者を縛り我が従となす盟約の印を与えよ――戒呪!」


 それが首を一周すると、途端に窮奇は大人しくなり理性的な金の瞳で蘭華を見詰めた。


「思った通り貴方は妖魔にまだ堕ちていなかったのね」


 蘭華が艶のある黒い首筋を撫でると窮奇は目を細めて顔を擦り付けた。


「……」

「そう……ええ……そうなの……あなたは優しい子ね……」


 そして、蘭華の耳元で何かを語る。


「分かったわ」


 窮奇の訴えを聴き終えると蘭華は頷いた。


「後は全て私に任せておいて」


 蘭華は窮奇の首筋を労わるように優しく撫でた。

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