突如として現れた巨大な虎が咆哮を轟かせる。
その怒号に周囲の人々は度肝を抜かれ
白き巨虎は護るように蘭華の周囲をゆっくり巡り、威嚇するように邑人達へ睨みを効かす。これには蘭華も慌てた。
「駄目よ芍薬!」
「まだ奴らの無法に耐えろと言うか!」
「御師様との約束でしょう」
「蘭華の師など我は知らぬ」
「駄目、芍薬伏せ!」
「うにゃっ!」
蘭華の命令が鋭く飛ぶ。途端に怖ろしい巨虎に似合わぬ可愛らしい悲鳴を上げ、芍薬はその場で伏せをした。
「ぬぅ、何をするのだ蘭華」
「粗忽者め、蘭華の立場を悪くしてどうするのじゃ」
滑稽な姿を晒す
「わ、我はただ蘭華を護る為に……」
「馬鹿者、見てみよ」
牡丹が顎で示した先はヒソヒソと話す
「虎だ、虎の化け物だ」
「やっぱり、あの女が
「では、犯人はやはり……」
彼らは芍薬を畏れながらも蘭華へ向ける目が白い。
「ほら見ろ、みんなを脅してるじゃないか」
そんな状況に鬼の首を取ったような態度で
「だらしねぇ大人に代わって俺が成敗してやる」
「さすが何進!」
「やっちまえ!」
「何進の
「すっげぇ強いんだぞ」
「ふふん、こんな魔女一捻りだぜ」
背後の子分達から煽てられた何進は益々勢い付いた。だが、その何進と蘭華の前に小さな影が飛び込んできた。
「
朱明だ。小さな身体で目一杯その手を広げて蘭華を
「お、俺は悪い魔女を……」
「
「うぐ……」
気のある女の子から激しく
「大姐はすごいんだから!」
「な、何だよ、俺だって
「そんなの関係ない!」
「えっ、そんな……」
ところが朱明からばっさり一刀両断にされ動揺した。今まで爵位を誇り、周囲から尊重されてきた彼に取って初めての経験である。
「何進はいっつもイジワル!」
「あっ、いや、俺は……」
「でも
朱明の大きな目からぼろぼろ涙が溢れ出す。
「大姐にイジワルな何進なんて大キライ!」
「朱朱ちゃん……」
耐え切れず蘭華の腰に抱き付いて朱明は泣きだした。顔を埋めて泣く朱明の頭を蘭華は優しく撫でる。翠蓮も朱明も自分に温かい光をくれる。蘭華は彼女達が何より愛おしい。
逆に何進は頭を金槌で殴られたような衝撃を受けていた。
神賜術や爵位を何進は宝物のように大事にしていた。それなのに、好きな女の子に全否定されて価値観が揺らいだ。きらきら輝いていた自分の宝物が途端に
大人達は賜術や爵位こそもっとも尊いと言っていたのに……
だから、急速に蘭華への敵意が萎んでしまい
「何だお前、魔女の味方か!」
「何進に逆らうとはふてぇヤツ」
「一緒にやっちまえ!」
あろう事か、彼らは石を拾うと蘭華達へ向けて投擲したのだ。蘭華の命で伏せていた芍薬は動けず、荒事を好まない牡丹は判断に迷い、守る力の無い百合は何もできなかった。
「朱朱ちゃん!?」
だから、蘭華は
「いたッ!?」
石の一つが蘭華の額を打つ。鋭かったのか蘭華の額が切れて血が
「ば、馬鹿、止めろ!」
何進は慌てて子分を止めた。
「何だよ何進」
「魔女を倒すんじゃないのかよ」
しかし、何進が魔女を格好良く成敗すると期待していた子分達は口を尖らせた。何進もそのつもりだっただけに良い言い訳が思いつかない。
「そ、その……」
ちらちら蘭華の顔を見て言い淀む。
「そ、そうだ、朱朱に石が当たるだろ!」
「だけど……」
「いいから石投げんの禁止!」
必死に仲間の投石を止める
(この子は
きっと元来は優しい男の子なのだ。
そんな温かい彼の心を誰が変えた。
蘭華の胸を行き場を失ったやるせなさで溢れる。
「
「大丈夫よ朱朱ちゃん」
「でも、血が……」
蘭華の赤い血が流れるのを見て朱明の顔がくしゃっと歪んだ。そして、何を思ったか朱明はちっちゃな手を蘭華に差し出した。
「これ……痛いの無くなる?」
「あっ」
握られていたのは朱明に処方した蘭華の薬。元は蘭華が調合したのだから自分で用意できるのだが、朱明の心遣いが嬉しくて温かくて……
「ありがとう、これで直ぐに治るわね」
だから、朱明の手を包むように握って薬を受け取った。
「お、俺こんなつもりじゃ……」
見上げれば、顔を青くした何進が狼狽えていた。
彼は悪い魔女を懲らしめ、みんなに謝らせ、そして尊敬を集める。そんな英雄譚を夢想していただけ。
決して、誰かを傷つけて喜ぶような少年ではない。
それが分かるから蘭華は何進に歩み寄ろうとした。
「貴様ら何をやっている!」
しかし折悪く、武器を手に