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第十一話 剣仙の皇子と魔女の由来


「これで傷口は塞がりました――」


 怪我人を前にして蘭華は手をかざして方呪まじないを唱えた。すると、その患者の傷が立ち所に癒えてしまった。


「あの大怪我を瞬く間に治癒してしまうとは」


 蘭華の方術の威力を目の当たりにして、刀夜は率直に凄いと感じた。



 ここは月門の邑にある施療院の一つ。


 蘭華をさらった熊の様な大男は斉周という医師だと丹頼から聞き、刀夜は後を追って此処へと訪れたのである。


 施療院には妖虎の襲撃で怪我を負った者達で溢れ返っていた。その中で患者の治療に専念する蘭華の姿が刀夜の目に留まった。その鮮やかな手際に刀夜と医師の斉周せいしゅうの口から感嘆が漏れる。


「見事な腕だ」

「相変わらず嬢ちゃんの方医術はすげぇぜ」


 方医術とは方術の一つで、医療を主とする魔術である。


「ですが、少し貧血気味で身体も冷えていますね。それに、脈拍も弱い……」


 しかし、彼らの称賛も耳に入らないのか、蘭華は患者の診察に専念し状態を確認すると生薬の調合を始めた。


「あれは?」

黄耆おうぎ、桂皮、地黄じおう、芍薬、川芎せんきゅう当帰とうき白朮びゃくじゅつ、人参……ふむ、気血を補い、滋養と貧血を改善する処方だな」


 方医術で傷を塞いでも失った血と気力、体力は元に戻らない。それを補う為のものだと斉周より説明を受けて、刀夜は頷きながらも唸った。


「方術だけではなく薬学の知識も相当なもののようだな」


 それからも蘭華は次々と患者を診ていく。それは迅速で的確な処置であり、刀夜は見惚みほれてしまった。


「果たして宮の方士にもこれ程の者がいるかどうか……大したものだ」

「そうだろそうだろ」


 我が事のように自慢気な斉周におやっと刀夜は首を捻った。どうも彼は他の者と違って蘭華に対して偏見が薄い。


「方医術や薬学だけじゃなく、結界術、仙術、およそ五行を操る術をあの若さで極めている導士なんて他にいやしないからな」

「方医だけではなく結界師も生業なりわいにしているのか?」

「こんないなかにゃ中央から方士も派遣されんし、導士にも大した奴はいないからな」


 聞けば城郭の結界こそまちの導士の管轄だが、森の結界は蘭華が一人で管理しているらしい。


 それも驚いたことに慈善タダで。


「冗談だろ!?」


 本来なら宮の方士が行うべき仕事だし、手が回らない地域は地元の導士に委託するのが習いだ。当然だが委託する場合は国庫より賃金はきちんと支払われる。


「常夜の森の結界は我が国の存亡に関わる国家の大事。それを一導士の奉仕でまかなうなど正気の沙汰ではない!」


 刀夜はくらりと眩暈を覚えた。


「方士院の奴らに苦情もんくを言ってやる!」

「ついでに嬢ちゃんの工資ちんぎんも何とかしてくれんか?」

「当たり前だ」


 方士院の怠慢に刀夜は憤ったが、同時に幾つか疑念も生まれた。


(あの兄上がこんな見落としをするか?)


 思慮深く民思いの泰然が、蘭華が虐げられている状況を放置しているのは不自然だ。派遣された地方官が故意に報せていないとしか思えない。


(ここの邑令長ゆうれいちょう聆文れいぶんの息が掛かっているのかもしれない)


 中央から送られ邑の行政官として治政を任される令長が、野心家の第二皇子の回し者であるならば合点がいく。


(後で令長の周辺も調査しないとな……だが今は蘭華の方だ)


 もう一つ不可思議な事がある。


「どうしてまちの者達は蘭華を嫌う?」


 先程も抱いた疑問だが、今ここで治療を受けている患者の中にまで蘭華への忌避感を露わにしているのは異常だ。


「そりゃあ蘭華が神賜術かみのたまものを授かっていない無爵位者だからさ」

賜術しじゅつを授かっていない?」


 誰もが身に付けていると思っていただけに刀夜は驚いた。


 なるほど、国法に照らし合わせれば神賜術で等級を決めるのだから、蘭華が神賜術を持っていないなら爵位を授かれない。


(これは思った以上の悪法だったようだ)


 人は様々な個性と才能を持って生まれてくる。神賜術など所詮は人の持つ能力の一部に過ぎない。実際、蘭華の力量は群を抜いているではないか。蘭華と同じような境遇の者が他にもいるとすれば日輪の国から人材が流出している可能性がある。


「だが、蘭華はあれだけまちに貢献しているのだから、爵位は関係ないだろう?」


 蘭華は腕の良い導士で、邑人は医療でも結界でも世話になっている。しかも、その殆どを慈善で行なっている慈母の如き姑娘むすめなのだ。尊敬こそすれ忌み嫌ういわれはない筈だ。


「あー、皇子さんに言うのはあれなんだが……」


 先程から皇族相手にも明け透けな斉周が言い淀む。だから彼が身分を憚っているのではなく、刀夜自身を案じているのだと察した。


「この国は爵位を重視しちまってる」

「それは……否定できんな」


 刀夜も宮廷で嫌と言うほど見てきた。


「だが、爵位にそこまでの拘束力はないし、法はその上下で迫害を推奨はしていない」

「だが、実際には貴族の間でも爵位による虐めはあるだろ?」

「むぅ、それも否定できんな」

「法を作ったモンが守らなきゃ誰もその法を信用せんさ」

「なるほど」


 つまり、為政者が率先して法を破れば、それは建前だとしか思われない。


「だが、それでも自分達に益となる蘭華を魔女呼ばわりするのは理解し難いが……」


 幾ら差別対象としても現実として蘭華は邑人に大きな利益を齎している。嫌悪するのは何故なのか?


「一つは赤い目だな」


 高位の貴族と対面する機会がない平民にとって、貴族の世界は完全に雲の上の話だ。三紅家の紅眼など知らない者が殆どである。だから、彼らからすると蘭華の紅い瞳は不気味に感じるらしい。


「人ってのは自分と違う者を受け入れ難いもんなのさ」


 更に爵位も無い、神賜術も無い、人が当たり前に持っているものを持たない蘭華は異分子そのもの。


「しかも嬢ちゃんは優秀過ぎた」


 蘭華は国の庇護を失い神からも見放された者である筈が、強大な力を持っており上位の存在である自分達を助けてくれる。


「それを受け入れられんのさ」

「安い自尊心が彼女を認められないか」

「そう言ってくれるな。人は弱い生き物なんだからよ」

「そうだな、確かにそうだ」


 人は弱く、だから理解できない大きな力は恐怖の対象でしかない。


「だが、それでも蘭華を魔女と呼ぶ理由には弱いと思うが?」

「最大の理由は嬢ちゃんがまちを出て森で暮らしてるからだな」

「森って……まさか常夜の森でか!?」


 刀夜も修行と腕試しに常夜の森へもぐった経験はある。


「あり得ない!」


 だから断言できる。あそこで生活するなど不可能だと。


「その不可能をやっちまってるのが嬢ちゃんなんだ」

「信じられん……」

「そんで皆んな不気味がって『常夜の魔女』って呼ぶようになったのさ」


 妖魔あやかし跋扈ばっこする森にある破屋あばらやに一人暮らす女……確かにそれは魔女としか思えない。


 だが、自分を忌み嫌う人々を治療する蘭華。


 己の矜持を持って働く蘭華はとても凛々しい。心根も強く真っ直ぐで、それでいて優しくもある。刀夜には蘭華が魔女には見えない。


 それに……


 美しい――刀夜は心の中で自然と呟いた。




――≪漢方解説≫――

上記、蘭華が使用した処方は『十全大補湯(じゅうぜんたいほとう)』をベースにした漢方になります。こちらは現在でもよく使われる漢方の一つで、病院では術後や出産などの体力低下、全身衰弱、食欲不振などの回復目的に処方される補剤です。似た漢方に『補中益気湯(ほちゅうえっきとう)』があり、こちらも病院で使用されていますが、補血作用が弱いという特徴があります。

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