宮中には容姿端麗な貴婦人が数多あまたいる。

　貴族の姑娘むすめ達にしても華美な深衣を纏い、宝石で身を飾り、化粧を施した煌きらびやかな美少女ばかり。刀夜はそんな華やいだ女性達が溢れかえる場所で暮らしている。

　しかも、刀夜自身にしても女性さえ見惚れるほど眉目秀麗な皇子だ。普段から花に引き寄せられる蝶のように、見目の良い姑娘れいじょう達に言い寄られている。だから、刀夜の周囲に麗しい花は事欠かない。

　だが、刀夜は見た目に反して根っからの武辺者である。蝶や花と戯たわむれ浮き名を流すより、武芸者達と切磋琢磨する方を好む。だから、彼は名匠の刀剣に目は無いのだが、今まで綺麗な花に心が惹かれた事は露ほども無い。

　そんな日頃より女性に興味を示さない刀夜が、周囲の状況が目に入らぬほど一人の女性に魅入ってしまっていた。それも、どう見ても平民の姑娘むすめにだ。

　纏まとっている深衣は所々ほつれ、顔を見れば化粧も施ほどこしていない。だが、身形みなりこそ粗末だが、内から気品が溢れ出ている。手入れをしていない筈の肌は抜けるように白く、屋敷から滅多に出ない姑娘達より艶めかしい。

　その黒髪の麗人が刀夜の目には特別に映った。

(俺は何か怪しげな呪術を掛けられたのだろうか？)

　未だ嘗て経験が無い自分の心境の変化に刀夜は戸惑った。だが、どう抗おうと、刀夜は己の視線をその姑娘むすめから剥がせない。

　むしろ、意識すればするほど引き込まれた。

　その瞳に……意志の強い輝きと神秘的なまでの美しい紅に……

(紅い瞳だと！？)

　刹那せつな、呪縛から解き放たれたように刀夜は我に返った。

(まさか何処ぞの候家の姫君か？)

　高位貴族の尊顔を拝謁する機会の無い庶民には知られていないが、伯家以上の家柄では代々受け継がれる瞳の色が家名となっている。

　紅い瞳を持つのは公家の下に位置する候家の紅陽こうよう家、紅月こうげつ家、紅星こうせい家の三家。因みにこの三家を合わせて紅三家こうさんけと呼ぶ。他に翠三家すいさんけ、碧三家へきさんけが存在し、合わせて九候家が日輪の国の候家である。

　現在、紅三家はいずれも高位の職を皇帝より授かっている名家だ。

　それほど高位貴族の女むすめなら刀夜は既知の筈だが、目の前の夭わかい娘に見覚えがない。

(もしや、庶子だろうか？)

　高貴な者の隠し子である可能性はある。

　妻に内緒で手を付けた下女を孕ませてしまい、止むを得ず屋敷から追い出した不埒な話は枚挙に暇が無い。

(だが、それなら多少なりとも路銀は融通するだろう……この姑娘むすめの身形みなりはあまりに見窄みすぼらしい)

　紅眼の娘が纏う深衣は継ぎ接ぎだらけの襤褸ぼろである。月門に住む邑娘まちむすめでも衣服はもっと上等なものを着ているだろう。

「双方とも引け！」

　夏琴の怒声が思考の海に沈む刀夜を現実へと引き上げた。未だに矛を収めぬ邑の衛兵と思しき男達と、その一人を足蹴にする白き虎に夏琴が割って仲裁する。

「常夜の魔女を前に武器を下ろせるか！」

「そうだ、こんな大妖ばけものを連れているんだぞ！」

「だいたい最初に我らを襲ったのはこの魔女だ！」

　いきり立つ男達の誹謗に紅眼の娘は顔を曇らせた。

「だから私は何も知りませんと申し上げているではないですか」

「何をぬけぬけと！」

「幾人も怪我人がいるんだぞ」

「現に我らの仲間を人質にしているだろう」

　紅眼の娘が弁明するが、男達はいっさい聞く耳を持たない。

「巫山戯ふざけるな！」

「蘭華の言い分を聞かず一方的に襲ってきたのは汝等ぬしらの方であろう」

　そんな男達の態度に白き虎と赤い馬が吠えた。

「虎と馬が喋った！？」

　夏琴は人語を操る獣達に度肝を抜かれ、それ見た事かと男達は得意顔となった。

「これで分かっただろう」

「この魔女はこの妖魔あやかし共を使って幾人もの邑人を害したんだ」

　夏琴はどう場を収めるべきか判断に迷い困り顔を刀夜へ向けた。

「刀夜様、もしや例の魔女とはこの姑娘むすめでは？」

　耳打ちしながら人語を解する虎と馬へ夏琴はちらとらと視線を送る。彼は白い虎が窮奇ではないかと目で問うているのだ。

　だが、大儺だいなの儀――十年に一度行われる宮中の厄災を祓う儀式で十二獣を刀夜は見知っている。目の前の純白の巨虎は窮奇ではない。

　だから、静かに刀夜は首を横に振った。

「噂の魔女は彼女かもしれんが邑まち人を害した犯人ではないだろう」

　刀夜の見るところ紅眼の娘は恐らく導士だ。どうして魔女と詰なじられ邑人から敵視されているかは知らない。だが、刀夜には彼女が悪しき者とは思えなかった。

(それに彼女が連れているのは妖魔あやかしではなく霊獣だ)

　皇族の刀夜は霊獣と接する機会が多く、霊格を感じ取れ霊獣と妖魔の区別がつく。だが、只人の邑民にはその見分けは普通できない。

「妖魔を殺せ！」

「魔女を追い出せ！」

「そうだ、俺達で邑まちを守るんだ！」

　男達が血気にはやり今にも襲い掛かりそうだ。

　刀夜はやって来たばかりの他所者で事情が分からない。加えて窮奇を秘密裏に探っている最中である。

　あまり目立ちたくはないだけに、刀夜は首を突っ込むべきか悩んだ。が、娘の紅い瞳に諦念の翳かげりを捉えた時、彼の迷いは吹き飛んだ。

「そこまでにしておけ」

　どうしても放って置けなくなり刀夜は一歩前に出た。

　娘がこのまま儚く消えてしまいそうで、彼女を失いたくないと刀夜は思ったのだ。