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第六話 剣仙の皇子と第一皇子の思惑

 月門つきもんの邑に妖虎が出没しているとの噂が常陽でも囁かれるようになった。


 その噂について刀夜は泰然たいぜんに問い質した――『月門で女妖魔あやかし使いが狼藉を働いているようだが対処しないのか?』と……


『刀夜、その件はあまり詮索するな』

『ですが兄上、その妖魔使いが連れている妖虎の特徴は明らかに窮奇きゅうきと思われます』

『妖魔使いが事実としても、窮奇がそのような者に操られるなどあり得ん』

『森に住む妖魔を従えた魔女が、月門周辺で邑人に危害を加えているとの噂もあります。調査は行った方が良いのではありませんか?』

『ははは、馬鹿馬鹿しい』


 といった感じで幾ら刀夜が進言しても、泰然は真面まともに取り合ってくれなかった。



「泰然様は常夜の魔女を信じておられないのでしょうか?」

「いや、否定はされたが把握はされておられるようだった」


 夏琴の推測を刀夜は否定した。


 何故なら、根も葉もない噂だろうと泰然は笑って続けたのだ――『常夜の森で暮らす姑娘むすめなど存在しよう筈も無い』と……


 それで泰然が魔女について自分以上に把握しているのだと刀夜は察した。魔女の風体までは都邑みやこに伝わっていない。それなのに泰然は魔女が若い姑娘と知っていた。


 何かを隠していると刀夜は感じたが、ひとまず引き下がり独自に調査を始めたのが月門つきもんの邑へ向かう迄の経緯である。


「かの魔女については詳しい情報が無く、未だ実態が掴めておりません」


 出立前に夏琴は風聞を集めていたが、どうにも雲を掴むような話ばかりで実在するかも疑わしい。


「兄上の仰る通り根も葉も無い噂なのかもしれんな」


 だが、らしからぬ泰然の態度といい、謎の魔女といい刀夜はどうにもしっくりとこない。


窮奇きゅうきは妖魔に転じてしまったのでしょうか?」

「どうだろう」


 夏琴の疑問は刀夜の懸念でもある。


「まだ、くだん妖魔あやかしが窮奇と決まった訳ではないしな」

「情報の真贋を調査するだけでしたら、誰ぞ人をやっても良かったのではありませんか?」

「いや、もし窮奇が堕ちていれば、俺が行かないと被害が増えるばかりだろう」


 今でこそ聖獣に数えられる窮奇だが、その前身は四凶が一つ善人を喰らい悪者をたすける大妖であったと伝えられている。


 日輪の建国神話では、開祖日帝が常夜の森を切り拓いた時に数々の妖魔が彼らの邪魔をしたとある。


 窮奇も日帝の配下をそそのかし悪の道へ引き摺り込もうとしたらしい。そこを日帝に仕えていた稀代の方士役優えんゆう翁に調伏されて聖獣と転じた。以降は日輪の国の守り神として奉られ今に至る。


「あれに対抗するには軍か方士達を派遣するしかない」


 だが、それでは騒ぎが大きくなっていまうし被害も大きくなる。秘密裏に処理しなければならのだから、自分が出向くしかあるまい。刀夜はそう決断したが、夏琴は何とも不安が拭えない。


「ならば儀藍ぎらん殿もお連れすべきだったのではありませんか?」


 儀藍は刀夜の直臣の一人である。剣の達人で刀夜と夏琴は彼から剣を学んだ。


「俺も儀藍を供にしたかったが……」


 文武両道の人格者で刀夜の懐刀。連れて来られれば窮奇討伐に大きな力となってくれただろう。


「俺の留守を任せる人材が他にいなかったからな」


 全てを水面下で行う為には月門行きを秘匿しなければならない。腕だけではなく頭も回る儀藍なら時間を稼いでくれるだろう。


「そちらは私が……」

「お前は直ぐに顔に出るからな。都邑みやこから出る前に俺の不在が露見してしまう」

「そ、それは、その……め、面目次第もございません」


 夏琴自身も腹芸が苦手だと自覚はある。儀藍の代わりに留守を守るのは無理だと恐縮した。


「そうかしこまるな」


 実直な性分の夏琴は裏表の無い好漢だ。そんな彼だからこそ刀夜は信用して側に置いている。


「俺達は一緒に儀藍の下で剣を磨いた兄弟子だろ?」


 刀夜としては夏琴に貴族との駆け引きは望んでいない。だが、愚直に剣の腕を磨く彼の力は信頼に値する。


「夏琴と一緒なら恐いものは何も無い」

「お任せ下さい、獅子奮迅の働きをご覧にいれましょう!」


 反らした胸を拳でドンっと叩く夏琴の快活さに刀夜は微笑んだ。


「ふふっ、頼りにしているぞ」

「はっ! この命に代えましても刀夜様をお守り致します」

「ははは、まあ程々にな」


 信頼しあう主従は事件の現場を目指し、再び北へと馬を走らせた。


 ふと影が落ちる。


 刀夜が見上げれば行く手の北の空から厚く昏い雲が迫っていた。


(湿気てはいないが)


 雨が降りそうと言う程ではない。だが、立ち篭める暗雲に刀夜は眉間に僅かな皺を寄せた。


「何事も無ければ良いのだが……」


 刀夜にはそれが未来さきに待ち受ける危難の兆しに思えたのだ。そんな刀夜の不安が天に聞こえてしまったのか、城郭が視界に入った頃にそれは起きた。


「刀夜様、あれを!」

「早速か……」


 的中しなくてよい予感が現実となり刀夜はげんなりした。


「城郭外で何かの集会か?」

「どうも男達が婦女子一人を囲んでいるようです」


 まだかなり遠く刀夜には人集ひとだかりにしか見えない黒い点々が夏琴にははっきりと見えるらしい。


 人一倍膂力に優れた夏琴は視力もずば抜けており、身体能力に限って言えば刀夜は彼に全く敵わない。


「急ごう」

「はっ!」


 二人が手綱を譲れば馬が歩度を伸ばして駆け出す。風を切って走る愛馬の楽し気な様子に、帰ったら少し不自由にさせたかと悔やんだ。


 やがて刀夜にも武装した男達が一人のわかい女性を囲む剣呑な状況が見え始めた。


「揉め事か?」

「ぬぅ、か弱き女性にょしょうに男が寄ってたかって――ッ!?」


 夏琴が義憤に吼えると同時に異変が起きた。


「あれは!?」

「虎!?」


 驚いた事に、一人の男が槍で突こうとした白猫がいきなり大きく変じたのである。どう見ても虎にしか見えない元猫が襲ってきた男を返り討ちにして地に組み伏せた。


「いかん!」


 このままでは血を見る争いに発展するは必定。

 二人は更に馬を急がせ修羅場へと駆けつけた。


「貴様らそこで何をやっているか!!」


 夏琴の良く通る声が一触即発の空気を破った。その場の全員が驚き夏琴に視線が集中する。


「双方とも矛を収めよ!」


 夏琴の大声に男達は目をしばたたかせ唖然とした。が、わかい女は特に慌てた様子も無い。静かに自分達を観察する女に刀夜の興味が惹かれた。


 こちらを見詰める紅い瞳は血よりも鮮やかで、その神秘的な輝きを己の金青こんじょうの瞳に映した刀夜は激しい衝撃を受けた。


 胸がぐっと強く掴まれたような感覚に襲われ、まるで吸い込まれるように彼女から目を逸せない。


 だから、刀夜の口からその言葉が零れ落ちた――


「美しい……」


 ――と。


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