「ま、待ってください！」

　いつもは冷静な蘭華も予想外の事態に狼狽ろうばいした。

「私はあなた方に恨まれるような狼藉を働いた覚えはありません」

　蘭華自身も月門つきもんの邑人まちびと達から良い印象を持たれていないのは知っている。それでも、いきなり刃を向けられる程に憎悪を向けられる程とは、さすがに思ってもみなかったのだ。

「黙れ卑しい無爵位者が！」

「神妙にしろ悪しき魔女め！」

　だが、蘭華の弁明にも邑まちの男達はまるで聞く耳を持たない。

　この国の民の神賜術かみのたまものを持たない蘭華への偏見は根強い。この力は神より賜る恩寵である。ならば、神賜術を持って生まれてこなかった者は、神からも見捨てられた不心得者とみなされているからだ。

　だから、蘭華への当たりが強く邑まちの居心地はとても悪かった。街を訪れれば嫌がらせや陰口などは日常茶飯事。だが、それでもここまで剥き出しの敵意を向けられたのは初めてである。

「最初から貴様は信用ならなかったんだ！」

　壮年の男が剣の切っ先を蘭華に向けて咆ほえた。

　この男も庶民の衣服である襦褲じゅこを着ている。だが、他の若者が白い布で緇撮しさつにしているのに対して、彼は黒の布で髷まげにしていた。

　この男の名を子雲しうんといったと蘭華は記憶している。門番を仕切っている男で、今までも何かと蘭華を目の敵にしていた男だ。

「この妖魔あやかし使いめ！」

「百合達は妖魔ではありません！」

　いつもは温厚な蘭華が思わず声を荒げた。百合達を貶められて黙っていられなかったのだ。

「この子達は吉祥を齎もたらす霊獣です。人の血肉を啜すする妖魔と同列にしないでください！」

　霊獣と同様に妖魔は魔力を宿しているが、聖なる霊格を持たず人を襲い喰らう。しかも、霊獣は人の善意に報いてくれるが、妖魔は悪意を以て人を弄もてあそぶ。

「そいつらが霊獣だと？」

「笑わせるな」

「お前のような小娘に霊獣が御せる訳がないだろう」

「だいたい人を襲っておいて何が霊獣だ」

　だが、男達は蘭華の話を嘘偽りと端はなから決めてかかった。

「この子達はそんな事はしません！」

　百合達を庇かばう蘭華の叫びは、しかし男達には届かなかった。

「最近、邑の周辺で妖魔あやかしが頻繁に出没しているのだ」

「いくら何でも被害が多い過ぎる！」

　結界の張られた日輪の国内に、妖魔は簡単には入って来られない。頻繁に被害が出るなら近郊の森の結界に綻びがあるか、方術使いが手引きしたかのどちらかであろう。

　確かに蘭華なら妖魔を国内に招き入れる事は容易だ。加えて彼女は邑人から常日頃から色眼鏡で見られている。自分が真っ先に疑われた訳に蘭華も思い至った。

　だが、ずっと森に引き篭もっていた蘭華は当然無実である。

「誤解です。この二ヶ月の間、私達はずっと森にいました。それに、ここへはたった今やって来たばかりです」

「何を白々しい」

「被害者は羽根ありと猫や四つ足の大きな妖獣に襲われたと証言しているんだ」

「そ、そんな！？」

　蘭華は真っ青になった。

　妖魔あやかしの中で獣の形態をしているものを特に妖獣と呼ぶ。

　妖獣であっても妖魔は知性を持つものも多い。それでも他者と相容れない独立独歩な性質がある。彼らは縄張り意識も強く、妖魔同士でも顔を合わせれば血を見る争いは避けられない。

　その為、妖魔が連つるむなど通常ではあり得ない。考えられるとすれば、蘭華のような導士が使い魔としている場合だけだろう。

「ほ、本当に私ではありません」

「魔女の言う事など信じられるか」

「お前が以外に誰がいるって言うんだ！」

　蘭華は弁明したが邑人は聞く耳を持たずいきり立った。

「問答無用！」

「どうせこいつが犯人なんだ」

「やっちまえ！」

　男達が剣を振り翳かざし、槍を構えて威嚇する。

「てや！」

「や、止めてください！」

　その中で真っ先に右前方から子雲しうんが斬りかかってきた。制止の懇願も虚しく白刃が蘭華に迫り来る。

　蘭華が方術で身を守ろうと構えた刹那、子雲の剣筋が閃ひらめいた。

（神賜術かみのたまもの！？）

　子雲が何かの神賜術を使ったのだと悟り、蘭華は慌てて身を引いた。

　――ひゅんっ！

　眼前を剣の切っ先が通り過ぎ、子雲の剣は光の軌跡を宙に残した。

　はらり……

　剣が残した光の曲線上に、蘭華の美しい黒髪が数条ひらりと舞う。

　蘭華が避けてなければ頭を割られていただろう。今のは明らかに殺意の篭った一撃だ。

　何の弁明も許さず、有無を言わせず襲いかかる蛮行。いくら疎うとんじている相手だと言っても、あまりにあんまりな対応ではないか。

「死ねぇ！」

「きゃっ！？」

　今度は左から若い男が槍を繰り出してきた。

　鋭い突きだ。とても只ただの邑人のものとは思えない。この若者も神賜術を有しているのだろう。

　咄嗟に蘭華は身体を捻った。が、躱かわし損ねて僅わずかに掠かすった。上衣の左袖を引き裂かれ、露わになった白い肌に赤い筋が走る。

　つーっと血が滴り落ちた。

「貴様らぁ！」

　大切な主人あるじの血を見て芍薬が怒りの声を上げてしゃーっと毛を逆立てた。

「この化け猫が！」

　蘭華を槍で傷付けた青年が威嚇してくる芍薬に槍を突き立てた。と思った瞬間、芍薬の身体が突然ぐにゃりと異様に曲がったのだった。