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閑話ネーヴェの雪③ 妾、雪薔薇の女王、いま街道にいるの

 天に太陽がその姿を誇示している。


 光が燦燦さんさんと差しているにも関わらず、そこはどこか昏く感じた。いや、昏いと言うより白と灰色だけの彩りを失ったような寂しい世界と表現すべきだろうか?


 遺跡の街ルインズからマルトニアの王都マルセイルへと続く街道は今かつてない異変が起きていた。


 氷と雪に支配され、息づくもの全てが凍っていた。地を走っていた四足歩行の動物達も大空を自由に羽ばたいていた鳥達も、その時を止めている。


 まるで絵画のように何もかもが動きを止めた世界。


 その中にあって唯一動く存在があった。


 真っ白な髪は長く足元まで伸び、白いような灰色のような光の無い瞳、顔はとても整っていて絶世の美女と言っていいだろう。


 マルトニア王国では珍しい遥か東方の袍とも着物ともつかぬ前合わせの真っ白な衣を纏い、はだけた襟元から覗く肩は白く華奢で艶めかしい。


 何とも美しいうら若き女性が、たった一人で静々と西へ向かって歩いている。


 まるで絵の中で動いているような彼女の存在感はとても希薄で、一瞬でも目を離せば消えてしまいそうだ。


 この光景を何と表現すれば良いだろうか?


 儚くも美しい幻想的?……それとも不気味で妖しい?……


 その白き佳人は歩みを止めると辺りを見回した。その光を灯さぬ瞳には何が映っているのだろうか。


「寂しいものよの」


 やがて、ネーヴェは軽く息を吐いた。


「男勝りな言葉使いの美しき女性にょしょうはロゼンヴァイスが大昔に滅びたと申しておったが……」


 かつて栄耀栄華を極めたロゼンヴァイス王国の頂点に君臨していた雪薔薇の女王。その彼女の周りにはかつて忠誠を誓ってくれた家臣も敬い慕ってくれた国民も、そして愛を囁いてくれた恋人もいない。


「妾の城は既に朽ち果てておったが……」


 街道こそ昔より整備されているが、見える景色に大きな違いはない。


「果たして妾が眠っている間に幾星霜を経ておるのやら」


 ネーヴェは目を閉じた。


 彼女の瞼の裏には、かつての祖国の風景が映し出されているのだろうか。果たして彼女は何を思うのだろう。


「これも妾の咎かの」


 薄っすらと瞼を上げたネーヴェは少し肩を落としたように見えた。だが、すぐに軽く首を振るとまっすぐ西を……王都マルセイルへと目を向けた。


「今は感傷に浸っている場合ではないの」


 ネーヴェは再び動き出す。


「早よおかねば」


 一歩一歩ゆっくりと王都まで続く道を。

 それは歩くにはあまりに遠い道のりを。


 冷たく凍った街道を進むネーヴェはあまりに寂しい。まるで罪人への仕打ちの如き現場に、それでもネーヴェは表情を変える事はない。


 だが、自然とネーヴェの視線が下へと落ちる。


 きっと、彼女の胸中には冷え冷えとした寒風が吹きこんでいる事だろう。それは今ここでネーヴェに吹きつけている雪混じりの冷たい風と同じように。


 とぼとぼと道を進むネーヴェの頬を、ふと一陣の風が掠める。


「暖かい……なんじゃ?」


 夏の陽射しを十全と浴びた風にネーヴェの半分閉じかけた瞳が開かれ前へと向く。


「ここはどこじゃ?……」


 景色が一変していた。


 白と灰色だけのモノクロームの世界が色付いていたのだ。それは視覚も聴覚も嗅覚も味覚も触覚も、五感全てに彩りがあった。


 照りつける太陽の熱が芯から冷えた身体を温める。吹き抜ける風の騒めき、それは草木の揺れる音。むわっとした熱気が自然の臭いを立ち昇らせ、吸い込んだ空気にまで懐かしい味がした。


 それは、まだ茹だるような暑さを感じさせる夏の残り香。


 誰しも早く秋を望む不快な熱気もネーヴェにはむしろ心地良いものだった。


「力の範囲外に出たんじゃな……」


 後ろを振り返れば、今来た道はモノトーンの世界が広がっている。


「世界はこんなにも彩り鮮やかであったかの?」


 再びネーヴェにぬるい風が吹きつける。その温もりが胸の奥の氷まで溶かしていくようにネーヴェには思えた。


 街道を歩きながらネーヴェはいつの間にか周囲の豊かな色彩に心を奪われていた。


 ――ヒヒーン!


 周囲への注意を怠っていたネーヴェの耳に馬の嘶きが届いた。見れば一両の馬車がすぐ側にまで近づいていた。


 御者台に腰掛けていたのは一人の中年男性。


「おおい、そこの別嬪なねぇちゃん、こんなとこ一人でうろついてどうしたんだ?」


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