「お初にお目もじ
エーリックは一瞬で心を奪われた。
目の前のあまりにも美しい少女に。
「グロラッハ侯爵の娘、ウェルシェでございます」
その美少女の綺麗な
しかし、それでいてウェルシェは純真無垢な少女のように、にこりと笑っている。その自然な笑顔は貴族令嬢とは程遠いもののようにエーリックには感じられた。
——ウェルシェ・グロラッハ侯爵令嬢。
幻想的な
美しいだとか、可愛いだとか、そんな言葉で表現できない存在。
「妖精?」
エーリックは無意識に呟いていた。絵本から妖精の姫が迷い出てきてしまったのではないか、エーリックは本気でそう思ったのだ。
「あの?……」
見惚れて固まるエーリックに
「失礼しました。僕はマルトニア王国第二王子エーリックです」
エーリックはハッと我に返ると胸に手を当て優雅に一礼してみせた。すぐに立ち直れるのは、さすが王家で鍛えられた王子である。
「あなたのように可憐な姫君と婚約できるのは望外の喜びです」
それは型通りの世辞。
だが、エーリックの顔から
エーリックは美男子である。
少し癖のある金髪は彼の人柄を柔らかく見せ、澄んだ青い瞳は優し気で、十五歳になりたてのボーイソプラノと相まって天使のような美少年なのだ。
そんなエーリックの微笑みを受け、ウェルシェは赤く染めた頬を隠すように手を当てて小首を
「まあ、エーリック殿下はお世辞がお上手ですのね」
「まごう事なき本心です。僕は国一番の果報者ですね」
「私ごときに大袈裟ですわ」
「大袈裟ではありませんよ。あなたの前には美しい花達も恥じ入るでしょう」
いよいよウェルシェは真っ赤になった。
「ですが、それだけに国中の男達からやっかみを受けないか心配になります」
「殿下、もうそれくらいで」
恥ずかしがってウェルシェは両手で顔を隠す。白い肌に朱が刺す姿はあまりに可憐。
「エーリックです」
「殿下?」
「グロラッハ嬢には名前で……エーリックと呼んで欲しいのです」
「あっ、その……エーリック…様?」
ウェルシェがもじもじと上目遣いではにかむと、エーリックはグッと胸を押さえた。
「では、私の事もウェルシェ……と」
「えっと……ウェルシェ?」
「はい!」
エーリックがおずおずと名前を呼ぶと、ウェルシェはパッと花が咲くように笑った。
この瞬間、エーリックの頭から政略だとか利害だとか全てが吹き飛んだ。
(僕は絶対
エーリック・マルトニア王子、十五歳。
この日、彼は一人の美少女に恋をした。
そもそも、この婚約は第一王子オーウェンを王位に就けたい王妃オルメリアの肝いりで纏まった完全な政略であった。
寵妃エレオノーラの息子エーリックを憚り、大貴族グロラッハ侯爵家を臣籍降下先として選んだ。グロラッハ侯爵としても彼を次期当主に据えれば公爵に陞爵されることが決まっている。
そう、これは王位を継ぐ気のないエーリックにとって願ったり叶ったりの政略結婚。
だから、エーリックはただの契約として相手のウェルシェに何の期待も感慨も抱いていなかった。
今日この日、ウェルシェと初めて顔を合わせるまでは……
「王宮に帰らず、このまま結婚できたらいいのに」
「まあ、エーリック様ったら」
ウェルシェがくすりと笑う。エーリックの言葉を冗談と思ったらしい。彼女の笑顔は年相応に可愛くて、こんな一面もあるのかとエーリックは何度でも恋に落ちる。
「僕は本気ですよ?」
「あっ……その……私も早くエーリック様の……」
それは消え入りそうなか細い声だった。だが、エーリックは聞き逃さなかった。
はにかんで
なんて可愛いんだ!
エーリックは完全ノックアウト。
もはや、彼は恋に恋する王子様。
(早くウェルシェと結婚したいな♪)
エーリックは浮かれきっていた。この絶世の美少女ウェルシェが自分のお嫁さんになってくれる奇跡を神に感謝さえしていた。
だが、彼は気づいていなかった。
俯くウェルシェの口の端がつり上がっているのに。
彼女が拳を握り小さくガッツポーズしているのに。
エーリックもウェルシェの隠れた本性を見抜けていたら、彼女が純真無垢な儚い美少女ではないと気がついていただろう。
美しき侯爵令嬢ウェルシェ・グロラッハ、十五歳。
実は彼女、他の追随を許さぬ超腹黒令嬢であった。