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第六話

 帝国。それは大陸の西方に位置する覇権国家である。

 エウドキアとも呼ばれるが、たいていのものはそれを単に『帝国』と呼ぶ。

 多民族を包摂し、西方世界全域に跨る広大な版図を有する世界帝国だ。


 しかしそんな帝国にも、近頃悩みの種があった。

 国家財政が絶賛火の車、平たく言えばおカネがないのである。


 そしてその原因は明白であった。

 皇帝が所有する有り余るほどの土地、その殆どが未開拓なのだ。

 開拓しようにも、国庫はカツカツ。開拓に投じる予算がない。

 かといって土地を貴族に分け与えれば、今度は彼らの増長を招きかねない。

 まさに八方塞がりの状況であった。


 ここで賢明なる皇帝ティベリウスは考えた。

 「国の適当な実力者に爵位を配り、彼らに土地を開拓させればいいのでは?」と。

 皇帝に有利な契約を結び、彼らから税金を取れば良いというわけである。


 けだし妙案というべきだろう。今や領地経営も下請けに出す時代である。


 ――ところでここに一人の転生者がいた。名はヘンリク。

 生まれつき武芸の才があり、その才を生かして冒険者として活躍した。

 そして、一山財産を築いたまではよかった。


 ところがある日、良かれと思ってさる大貴族の娘を助けたのがマズかった。

 彼は今、帝都より領民を引き連れて、辺り一面何も無い荒野に立ちつくしていた。



「なんでだああああああああああああ!?」


 到着してまもなくのこと。

 人夫にんぷたちが今日の寝床を作ろうと、早速作業に取り掛かる。

 一方僕は髪をかきむしり、頭を抱えて嘆く。


 その余りに無様な姿に、隣に立つ少女に無慈悲な口調でたしなめられた。


「諦めましょう、ヘンリク様。これが運命です。大人というものは汚いものなのです」

「汚いのは大人じゃなくてキミたち貴族だ!」

「あらヘンリク様、アナタも今や貴族ではありませんか」


 彼女の名はクルシカ。さる大貴族の孫娘で、法的には僕の妻だ。

 気のせいか、今日はいつもより辛辣な口調である。


「そもそもは、君を助けたのがケチの付け始めだったんだ」

「あら、今さらそんなことを仰るのですか? そんなことを言い出せば、ワタクシも助けてくれなど言った覚えは記憶にございませんわ」

「それは出血多量で意識がなかっただけだ! あのまま放置してたら間違いなく死んでいたのに、見捨てられるわけないだろう!」

「ほら、やっぱり私のことを助けたかったんじゃありませんの! なーにが、『男たちを殺したかっただけ』ですか! どうして貴方という人は、もっと素直になれないのですか!」


 クルシカは口真似をして、僕をからかってくる。

 どうやらクルシカは、この間のことを未だに根に持っているらしい。

 素直に彼女の求める答えをしておけば良かったのだろうが、生憎僕は偏屈のクツなんだ。


 そういって口喧嘩を始める僕たち二人を、領民たちは遠くから「またか」という目で見ていた。

 帝都からの道中ずっと同じことを繰り返しているので「また痴話喧嘩ちわげんかをしているよ」ぐらいに思われているのだろう。


「――というかクルシカ、君はキャラが変わってないか? 屋敷にいた時はもう少しこう……深窓しんそうの令嬢というか、いや事実そうではあるのだろうけど、もう少しおしとやかな女性であった気がするんだが」

「今更ですか? お祖父様の前では猫を被っているのです。あまり乱暴な言葉遣いをすると、家庭教師に叱られてしまいますから」


 なんて、自分で言うか。

 スラムに一人で乗り込んだだけあって、お転婆てんばなのは分かっていたが……

 悪い意味で退屈しなさそうな性格だ。


「とにかく一度、ここまでのことを整理いたしましょう」

「整理って言ったって、さっき馬車の中で散々やっただろ」

「では、それをもう一度繰り返してくださいまし」


 まったく……

 頭を捻り、先ほどした会話を思い出した。


「屋敷を抜け出し街に出かけていたキミは全くの好奇心から路地裏に入り、そこで運悪く暴漢に襲われた。刃物で腹を刺されて瀕死の重症を負ったところに僕が通りかかって、君を助けた」

「はい」

「傷が浅くて一命を取り留めたはよかったが、腹に傷跡が残ったせいで君の婚約は破談。どうしようかと困っていた君のお祖父さんに唆されて、僕は辺境を治める貴族になってしまった」


 発した言葉を並び立てて、クルシカは嘲笑ちょうしょうした。


「それにしては、ヘンリク様も満更ではない表情をしておられたようでしたが?」

「最初は騎士身分に叙されるのかなとか考えてたの! まさか貴族というのが辺境伯で、しかもこんな辺境の地の開拓事業を押し付けられるなんて……」


 とほほ、と意気消沈する。

 アストラ辺境伯領は新設された爵位で、その土地はもともと皇帝の直轄領だ。

 大きな権限が与えられている反面、開拓に失敗すればタダではすまないだろう。

 なんたって元は平民なのだ、現代風にいえば僕は雇われ社長のようなもので、失敗すればクビが飛ぶ。


 ……この世界では、下手をすれば物理的に。


「どうしてこうなった」


 まったく、すべてを忘れて踊り出したい気分だよ僕は。


「……そんなに嫌なんですの?」


 横を見るとクルシカはしゅんとして、しおらしげな表情を浮かべていた。

 こういうところは恋する乙女という感じで、思わずその表情にドキッとする。


「私と結婚するという栄誉を授かったのですから、逆に貴方様には喜んで頂きたいぐらいですのに」

「まあ、それはたしかに嬉しいけど」


 これほどの美人にここまで言われると、なんだか自分が悪いような気分になってくる。

 いや実際悪いのかもしれないな。

 気まずさを誤魔化すように、僕はポリポリと額を掻いた。


 確かに、美容に目の肥えた現代人の視点から見てもクルシカは美しい。

 顔だけじゃなく、スタイルだっていいのだ。

 加えて、貴族の子女として高い教育を受けてもいる。 

 しかも彼女が抱える腹の傷は、半分僕にも責任がある。


 対して僕は、ただの平民の生まれ。貴族にこそなったが、家格はないに等しい。

 顔は特に男前でもないし、クルシカの家と比較して蓄えがあるわけでもない。


 ……あれ? これとんだ逆玉だな。僕が悪いんじゃないか? 

 まあ、いいか。

 とにかく面倒事を抱え込んだとはいえ、本来僕は感謝すべき立場にいる。


「……ヘンリク様は何か言いたげなことがお有りなようですが」

「そりゃあまあ、僕はまだ若いし? いろんな女の子と遊びたいというか」


 僕は転生前でも高校生ぐらいの齢だったんだよ、女体に興味がないわけがないだろ!

 しかしその言葉に、クルシカからは冷たい見下す視線が飛んで来た。

 それだけで人を殺せる、刺すような視線だ。


「……ゴメンナサイ」

「はあ。私も貴族に生まれた子女の身、殿方の事情も少しは理解しているつもりです。多少のお遊びはお止めしませんわ」


 やったぜ!

 いやまあ、こんな辺境に色街はないのだけれど。


「……それで、おっしゃりたいことはそれだけですか?」

「いや、あまりに話がウマすぎるというかね。君のお祖父さん、何か企んでない?」

「そりゃあ、そうでしょう。いくらヘンリク様が腕が立つ冒険者と言えど、それだけでお祖父様が皇帝陛下に口利きをなさるとは思えませんから」


 分かっちゃいたけど、そう率直な物言いをされると結構傷つくな。


「帝国の財政が火の車であるのは知っていらっしゃいますか? それで皇帝陛下が、各地の実力者に土地をどんどん分け与えていることも」

「それは知ってるよ、有名だし。というか、僕が貴族になったのもおそらくそういう経緯だろう?」


 そうでなければ、たとえどれほど有名であろうと、ただの冒険者がいきなり貴族になれるわけがない。


「では、各地の有力者に分配する土地はもとは誰の土地ですか?」

「それは、皇帝ティベリウスの直轄地だろう」

「その通りでございます。皇帝陛下の直轄地は、これまで他の貴族が喉から手が出るほど欲しくても手が出せなかった土地。その場所に手を出すことは、皇帝に対する反逆行為を意味しますから。しかし今陛下は、自らその土地を差し出しておられます」

「ははあ、話が見えてきたぞ。つまり君たちは自分の手の届く子飼いの貴族を作りながら、皇帝の経済力を目減りさせようとしてるわけか」

「そういうことですわね」


 要するに、僕は貴族の政治闘争に巻き込まれたわけだな。

 しかし、貴族というやつはつくづく奇妙な生き物である。

 自分の娘を政争の道具として使うのもそうだが、道具として使われた方もまた鼻高々としているのであるから。


「でも、だとすると妙だな」

「何でございましょう?」


「いや、それで土地を貰うなら、もうちょっとマシな土地があるんじゃないかなって。こんな未開拓の土地じゃなくて」

「それはそうですよ。既に発展している都市を他人に譲渡するなどということは、皇帝陛下もお認めになりませんから。しかし私は、この土地も案外悪くない土地だと思いますが」

「え?」

「下を見て分かりませんこと?」


 下? そう思って地面を見つめる。

 何があるわけでもない、辺り一面に同じように広がる、ただの黒い土だ。

 ……黒い土? 妙だな。


「ま、まさかこれって」


 膝から崩れ落ちて、土をかき分けた。

 石炭のように黒濃く滋味じみ深い色。粘土質で湿り気を含んでいて、腐った草のカスがところどころに見える。

 間違いない。


「ちぇ、チェルノーゼム!?」

「ちぇるの……? は分かりかねますが、この土地は一面良質な土壌に恵まれています。祖父が雇った探検家が伝えてきたのです。必ずこの土地を陛下に下賜させるべきだと」


 チェルノーゼム。

 乾燥した草原地帯に広く分布する、腐植に富んだ黒土を指してそう呼ぶ。

 主に氷河期の後に植物の残りカスが分解しでできたもので、地球で最も肥沃ひよくな土。

 別名、『土の皇帝』。

 第二次大戦中にウクライナに侵攻してきたナチスが、土を貨車で運び出そうとしたという逸話が残るほどだ。


 これが良い土地? 案外どころの話ではない。

 この広大な土地には一面、お宝が埋まっているようなものだ。

 ティベリウスは悔しがるに違いない。

 こんな有望な土地の開拓を、他人に投げてしまうだなんて。


「どうです、やる気は出ましたか?」

「……う」

「はい?」

「当たり前だろう! 僕は決めたぞ、クルシカ」

「殿方は単純でございますね。それで、何を決められたのです?」


 クルシカにほんのり馬鹿にされた気がするが、それがどうした。

 自分でも分かるほど興奮しているのが分かる。


「君の輝く髪の如く、すぐにこの荒野のすべてを小麦の黄金に染めてみせる!」

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