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第七話

「それで、大見得を切ったはいいんだが……」


 太陽は空高く昇っていた。

 僕は木陰の切り株に座りこみ、領民たちが働くのをぼんやり眺める。

 荷役用の牛が原木を運ぶ、牧歌的な風景だ。

 そんなことで暇をつぶしていると、クルシカが隣に立って煽ってきた。


「あら、これは。先ほど胸を打つ言葉を申されたのに、もう自信を失われたのですか?」

「そんなわけないやい! ……全くキミは、僕に惚れたんじゃないのか」

「もちろんお慕いいたしております。ですが、それとこれと話が別。こと仕事については、時として夫の尻を叩くのも必要なことでしょう?」


 それにはまったく異論の余地はない。

 言い返しようもない正論に、僕はがっくりと肩を落とした。


「もちろん策はあるよ。農作をすればいいんだ、結局」


 肥沃な黒色土壌チェルノーゼムはそれ自体が一つの資産だ。

 この世界ではこの土地――いや、この土の真の価値をまだ誰も知らない。

 だがその真価が知れ渡れば、アストラの地は羨望の眼差しを集めるに違いない。


 もちろん、イチから農作を進めるというのはたしかに困難な仕事ではある。

 が、幸いにも今回は初めから多くの支援がある。

 とりわけクルシカの実家であるミヤセン家の投資は大きい。


 ミレイ卿は僕達に、荷役用として二頭の牛をよこしてくれた。

 は人が運べない重い丸太や石材を運んでくれる。

 労働力不足に陥りがちな初期の村作りにとって、大きな助けとなるだろう。


 それでも、だ。


「何か問題があるのですか?」

「問題は、農作が安定するまでのツナギの食料だよ」


 たとえどんな階級であろうと、食べずに生きていける人間などいない。

 飢えの苦しみや怒りは、もっとも強い絆や信仰、信頼関係さえ破壊する。

 だからこそ、領地を持つすべての貴族は、絶対に飢饉を防がなければならない。


「食料は十分あるように思いますが……」


 そう言ってクルシカは食料の積まれた台車の車列を見やる。

 確かに見た目の上では多く見えるが、それではダメなのだ。


「あれではダメだ。あの車列には全員が一週間食える量の食料しか残ってない」

「あれだけ詰め込んで、それだけしか保たないのですか」


 成人は日に最低2000kcalの熱量を消費する。

 肉体労働に従事する男性であれば、おそらくはもっと必要だろう。

 この村にいるのは僕とクルシカを含めた成人22名、さらに子ども15名。

 つまり今から僕達は、合計37名分の食糧を毎日賄う手段を見つけなければならない。


 37名だと必要なカロリーは、ざっと1日に約7万kcal。1月なら210万kcal。

 このカロリーを賄うのに必要な食料の量はいかほどかというと。

 小麦粉なら1日で20kg。1月なら6tが必要となる。

 当然、そんな量の小麦は持ち運べない。


「これでも、いちばん近くの街でできるだけ買い込んできたんだけどね」


 とにかく、手持ちの食糧が尽きる前に急いでメドを付けなきゃいけない。

 栄養バランスは、この際どうでもいいだろう。

 十分なカロリーを取れなければ、領民と同様に僕達もお陀仏だ。


「そうなると、狩猟か採集になりますか?」


 狩猟か。

 高カロリーな食べ物の代表は動物性蛋白たんぱく質、すなわち肉だ。

 シカやイノシシ、バイソンなどの草食動物を狩るのが手っ取り早いだろう。

 皮革や動物性油脂が手に入るのも都合が良い。


 ただ、野生動物を相手にする以上、当然危険がつきまとう。

 この村に戦闘要員は僕だけだし、狩りが上手くいくという保障もない。


 一方で採集はそもそも何が食えるのか分からない、というのが問題だ。

 僕も冒険者として、帝都周辺の植生についてなら多少の覚えはある。

 だがここアストラは、帝都から馬車で北に二月ふたつきという僻地へきちだ。

 僕がこれまでに得た経験的知識は、ここでは全く役に立たないだろう。

 毒のある果実や草本、毒キノコなどに当たれば現状治療は不可能だ。


 ……神聖術師聖職者がいるなら別だが、現状この村に教会はないからな。


「どうしたもんかなあ……」


 たとえ農作が始まったとしても、そればかりに頼ってはいられない。

 農業は単発の食料供給源としては、非常に効率の悪いやり方だ。

 作物の世話をするためには大量の人が必要だし、育つまで長い時間がかかる。

 しかも化学肥料や品種改良のないこの時代、その収穫は悲しくなるほど少ない。


 無論チェルノーゼムはアストラの将来的な成功を約束してくれるかもしれない。

 だが、それまで食べないというわけにはいかないのだ。

 農業が軌道に乗るまでは、別に食糧を手に入れる手段が必要となる。


 悩む僕を傍目に、クルシカはハァ、と小さく息を吐いた。


「ここに座って悩む前に、とりあえず周囲を探索されてはいかがでしょう?」


 クルシカはまず周辺の大まかな地形を把握してはどうか、と提案してきた。

 ……実にマトモな提案だ。

 食糧もそうだが、本格的な開拓拠点を作る前に周囲の土地も見ておかなくては。


 僕は重い腰を上げて、周囲の探索に出ることにした。


 ◆


「よし、あらかた調査は終えたな」


 探索は一日がかりの仕事である。

 拠点に帰って来た頃には、既に仮拠点の建設が終わっていた。


 陽も暮れて、皆がそれぞれのテントに帰っていく。

 一方僕は、クルシカとともに天幕の下にいた。

 定規と分度器を使って、羊皮紙に地図を書いているのだ。

 クルシカは興味津々といった様子で、僕が書き込むのを横から見ている。


「ヘンリク様は地図が書けるのですか?」

「まあ、冒険者にとっては必須技能の一つだからね」


 クルシカの聞いていた冒険譚では、地図製作の工程は省かれていたのだろうか。

 大事な作業だが、まあ地味だしな。


 とはいえ僕の書く地図は、ほとんどの冒険者が書くようなそれとは違う。

 普通の『地図』は、地上のランドマークと互いの位置関係を印しただけのもの。


 それに対して僕が書いているのは、まことに現代的な意味での『地図』だ。

 今自分が居る位置や地形、土地利用、目標までの距離や方角も分かる。

 間違いなく、精度はこの時代で一二を争う出来だ。

 それらを地図に書くという発想自体、現代的な教育の賜物だろう。


「それで、食料の供給源にメドは付いたのですか?」

「ああ、それは後で話すよ。で、とりあえず聞いてほしいことがあるんだ」

「なんです?」

「調べた結果、この辺りの土はほとんどが肥沃ひよくな黒色土――つまりチェルノーゼムだった。それで正直、ここに拠点を置くのはもったいないと思ったんだ」

「もったいない、というと?」

「拠点の周りには物資集積所や市場、それに住居や防衛設備が集まるわけだろう? しかし僕はこの土をすべて農業用に使いたい。だから拠点を置く場所は、別の場所にしたほうがいいと思うんだ」

「なるほど。しかしこの辺りで、黒土に覆われていない場所はあるのですか?」

「ああ、もちろん調べてきた。ここから西にある高台が有望だと思う」


 僕達のいる仮拠点から西に向かうと、なだらかな丘を登った先に高台がある。

 硬い地盤が露出していて、この辺で唯一黒色土に覆われていない場所だ。

 こういう地形は残丘モナドノックと呼ばれる。

 将来的には、城塞などの防衛拠点を建設するのに絶好の位置だろう。


「その証拠に、ほら。これを拾ってきたんだ。」


 僕はポケットに手を突っ込む。

 そして机に白っぽい、わずかに透き通った色の石を置いてみせた。


「私には、タダの石ころのようにしか見えませんが」

「この石はチャートと言って……まあ、見せたほうが早いか」


 僕は懐からハンマーを取り出し、力を込めて思いっきり石に振り下ろす。

 ガンッ! っと、石と金属がぶつかり合う激しい打撃音。

 クルシカは思わず目をつぶり、後ずさった。


「わっ!」

「さあクルシカ、石はどうなってる?」

「そんなの、砕けるに決まって……えっ?」


 彼女は驚いた様子で石に近づく。

 驚いたことに強い力で叩かれても、石には傷一つ付いていない。


「チャートというのは、石英質せきえいしつかくを持つ海洋生物――主に放散虫ほうさんちゅうの死骸からできているんだ。だからとても硬いし、摩擦まさつや風化にも強い。こういう風にハンマーで力いっぱい叩いても、無傷なのがその証拠さ」

「えっ、石が……虫の死骸からできているんですか?」


 クルシカは目を丸くして、驚いているようだった。


「そうさ。それが海の底で積み重なって、長い時間をかけて岩石になったんだ。ほら、ここに小さな虫っぽいものが見えるだろ」


 そう言って僕は石のいち部分を指で差す。

 クルシカは半信半疑の表情で、石を手に取ってしばらく眺めていた。


「……確かに。でも、どうして海の底でできた、チャート? が、地表に露出しているんです?」

「おそらく、ここはもともと海の底だったんだ。ところが何らかの理由で海水位が低くなり、陸地ができた。チャートの周りの土は長い時間をかけて雨や風の力で削られてしまったけど、侵食しんしょくや風化に強いチャートの地盤だけはそのまま残って、いまの高台になったんだ」

「なるほど……でも、そんな説は初めて聞きました。ヘンリク様はどこの大学に通われていたのですか?」


 ……ちょっと現代知識を披露しすぎたか。

 まあ、転生者とバレてはいけない理由もないのだけど。

 いま彼女にそのことを言っても、からかわれているだけだと思うだろう。


「まあ、ちょっとね。とにかく、このチャートが露出している場所に本拠点を置こうと思うんだ。地盤も硬そうだし、高台だから見晴らしもいいだろ?」

「……うーん、それはどうでしょうか」

「なにか問題でも?」


 彼女が顎に手を当て悩み始めた時は、僕の出自を疑っているのかと少々焦った。

 だが、なんとか話題をそらすことに成功したようだ。


「ヘンリク様が仰りたいことは分かるのですが、それは無理があると思います」

「それはどうして?」

「高台の地面は、このような硬い石に覆われているのですよね? それだと、井戸を掘ることが出来ないと思うのです」


 ――確かに、盲点だったな。

 生活用水が手に入れられないのは、確かにまずい。

 どうにか対策を考えないと……

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