「この度の傷は、私の不始末が原因。今更泣き言など申すつもりはございません。けれども我が家の名誉にかけて、私がどこの馬の骨とも知れぬ相手と結婚するようなことがあれば、それもまた問題です」
「なるほど。しかし……」
僕は
「僕の方こそ、その
「ヘンリク様の生まれについては、もちろん存じております」
「であれば、どうして」
「それは……」
その問いを投げかけた直後、彼女は急にしおらしくなる。そしてうつむき加減で黙りこくってしまった。
「それについては儂が代弁してやろう。要はな、クルシカはお前に惚れたのじゃよ」
「は?」
「お祖父様!」
クルシカ嬢は悲鳴のような叫び声を上げた。
「どうせ夫となる身の上なのじゃろう? ならば今話しておいた方が良いではないか」
「それは、そうですけど……」
彼女の頬が赤らむところを見る限り、惚れたという言葉は嘘ではないらしい。
ミレイ卿は言葉を続けた。
「見ての通り、クルシカは昔から勝ち気な子でな。普通の
多少有名になった頃に、自分の活躍を吟遊詩人が詩歌にしたのは聞いていた。
まさかそれがこんな大貴族の耳に入っているとは。
「本当ですか」
「ああ。どうにか
つまり、冒険への憧れが高じてスラムくんだりまで出向いたということか?
……なんと無謀な。
「しかしミレイ卿。お孫さんが憧れの果てに恋心を抱かれているようなら、それは正しいこととは思えませんが」
「もちろんワシもそれを危惧しておる。だから一度は止めたのじゃ」
要は止めきれなかったということか。……いや、そこは止めろよ。
僕はクルシカの目を見て、はっきりと答えた。
「クルシカさん。僕の経験上、あの手の詩歌は嘘や誇張に満ちています。自分は一介の冒険者に過ぎません。貴女のような貴いお方にはふさわしくない」
「
「その通りです」
命を救ったことそれ自体については、たしかに感謝されてもよいことだろう。
だが命を救ったごときで人生を捧げるなど、はっきり言ってやりすぎだ。
その点はハッキリさせておかなければならない。
「ではヘンリク様、一つ教えて下さい。私の命を救って下さったのはなぜです?」
「……それは、質問の意図がよく分かりませんが」
「あの時、貴方は私を見殺しにすることもできたはずです。他に人はいませんでした。たとえ私が死んでも、誰も貴方を
それを突かれると弱いな。
「クルシカさん、それは正しい問いとは思えません」
「何もあなたの殺人を咎めているわけではないのですよ、ヘンリク様」
「ええ、もちろん分かっています。しかし、そういうことではないのです」
クルシカは一つ、重大な思い違いをしているようだ。
「僕はむしろ……あの男たちを殺したかったのかもしれません」
「どういうことです?」
「僕はあの時、貴女から遠く離れた場所にいました。その時の僕の目には、倒れて動かなくなった人物と、それを取り囲む二人の暴漢しか見えませんでした。正直な所、貴女が生きているとは思っていなかったのです」
「では、なぜ私を救ったのですか?」
「貴女を救えたのは、単なる結果論です。しかし彼らを殺したことについては、間違いなく僕の意志によるものです」
その言葉に、クルシカは少し困惑しているようだった。
「おのれの
「いいえ、何も貶めているわけではないのです。ただ、僕は冒険譚で描かれるような気高い英雄ではないということをお伝えしたかったのです。たしかに世間一般では、今回僕のやったことは善行とみなされるのかもしれません。しかし、その過程だけを見れば、僕の行動は
善と悪の境界線は曖昧だ。
僕達の社会における善は、悪を発見し、阻止し、追跡し、そして排除する。
しかし悪と闘うまさにその時、僕達は悪そのものを使わざるを得ない。
人を殺してはならないという法と、犯罪者の命を奪う罰は両立するのだ。
僕達は善の世界を願いながら、あまりにも悪の世界に慣れきっているのである。
そこで、ミレイ卿がオホンと一つ咳払いをした。
「お主の話には、儂も少し興味があるのう。お主は、二人の死が当然のことだったとは思わんのか? もとより人を脅し、殺し、金を奪って生きているような奴らよ。お主が殺さんでも、いつかは死んでおったじゃろう」
ミレイ卿の質問に、僕は少し考えてから答えた。
「少なくとも、彼らが死ぬ時期を決める
彼等が決死の覚悟で強盗をしている訳でないのは、明らかだった。
にも関わらず、僕は彼等に選択肢を与えなかった。
面白いやつじゃ、とミレイ卿は笑った。
「普通の人間ならば仕方なかったと、そうアッサリと片付けてしまうところじゃがな。よしんばそう思っても、それを他人に話したりはしないじゃろう。それとも冒険者というのは、みなそうなのか? いや、そうではあるまいな。お前が特別、奇特な考えを持っているに違いない。どうもお前の言葉の節々からは、若いときの陛下の
「皇帝陛下の、ですか?」
「そうじゃ。実に愉快なことよ」
どうやら僕の発言は、卿の個人的な関心を引いたようだった。
「お主には
「なんでしょうか」
「お主、帝国の爵位に興味はないか?」
……気に入られないほうが良かったな。