目次
ブックマーク
応援する
1
コメント
シェア
通報
第四話

「この度の傷は、私の不始末が原因。今更泣き言など申すつもりはございません。けれども我が家の名誉にかけて、私がどこの馬の骨とも知れぬ相手と結婚するようなことがあれば、それもまた問題です」

「なるほど。しかし……」


 僕は躊躇ためらいがちに、おずおずとした調子で尋ねた。


「僕の方こそ、そのなのではありませんか? 僕は一平民の生まれに過ぎず、しかも冒険者なのですよ」

「ヘンリク様の生まれについては、もちろん存じております」

「であれば、どうして」

「それは……」


 その問いを投げかけた直後、彼女は急にしおらしくなる。そしてうつむき加減で黙りこくってしまった。

 らちが明かないと思ったのか、ミレイ卿が横から口を挟んてくる。


「それについては儂が代弁してやろう。要はな、クルシカはお前に惚れたのじゃよ」

「は?」

「お祖父様!」


 クルシカ嬢は悲鳴のような叫び声を上げた。


「どうせ夫となる身の上なのじゃろう? ならば今話しておいた方が良いではないか」

「それは、そうですけど……」


 彼女の頬が赤らむところを見る限り、惚れたという言葉は嘘ではないらしい。

 ミレイ卿は言葉を続けた。


「見ての通り、クルシカは昔から勝ち気な子でな。普通の女子おなごが好むような御伽噺おとぎばなしより、むしろ詩人の冒険譚ぼうけんたんのほうに興味を持つ娘じゃった。――お主の名はヘンリクといったな、お前を主人公にした冒険の詩歌しいかも、孫は楽しそうに聞いておったよ」


 多少有名になった頃に、自分の活躍を吟遊詩人が詩歌にしたのは聞いていた。

 まさかそれがこんな大貴族の耳に入っているとは。


「本当ですか」

「ああ。どうにか矯正きょうせいしようとしたが、無駄じゃった。そのうち孫は、好奇心が高じてこの屋敷を抜け出すようになってな。止められなかった私たちも悪かったのじゃが、その結果はお前もよく知るところよ」


 つまり、冒険への憧れが高じてスラムくんだりまで出向いたということか?

 ……なんと無謀な。


「しかしミレイ卿。お孫さんが憧れの果てに恋心を抱かれているようなら、それは正しいこととは思えませんが」

「もちろんワシもそれを危惧しておる。だから一度は止めたのじゃ」


 要は止めきれなかったということか。……いや、そこは止めろよ。

 僕はクルシカの目を見て、はっきりと答えた。


「クルシカさん。僕の経験上、あの手の詩歌は嘘や誇張に満ちています。自分は一介の冒険者に過ぎません。貴女のような貴いお方にはふさわしくない」

一時いっときれたれたで人生の重大事じゅうだいじを決めるべきではない。ヘンリク様はそうおっしゃりたいのですね?」

「その通りです」


 命を救ったことそれ自体については、たしかに感謝されてもよいことだろう。

 だが命を救ったごときで人生を捧げるなど、はっきり言ってやりすぎだ。

 その点はハッキリさせておかなければならない。


「ではヘンリク様、一つ教えて下さい。私の命を救って下さったのはなぜです?」

「……それは、質問の意図がよく分かりませんが」

「あの時、貴方は私を見殺しにすることもできたはずです。他に人はいませんでした。たとえ私が死んでも、誰も貴方をとがめなかったでしょう。しかし貴方は私を助けた。そのために、自分の手を汚してまで」


 それを突かれると弱いな。


「クルシカさん、それは正しい問いとは思えません」

「何もあなたの殺人を咎めているわけではないのですよ、ヘンリク様」

「ええ、もちろん分かっています。しかし、そういうことではないのです」


 クルシカは一つ、重大な思い違いをしているようだ。


「僕はむしろ……あの男たちを殺したかったのかもしれません」

「どういうことです?」

「僕はあの時、貴女から遠く離れた場所にいました。その時の僕の目には、倒れて動かなくなった人物と、それを取り囲む二人の暴漢しか見えませんでした。正直な所、貴女が生きているとは思っていなかったのです」

「では、なぜ私を救ったのですか?」

「貴女を救えたのは、単なる結果論です。しかし彼らを殺したことについては、間違いなく僕の意志によるものです」


 その言葉に、クルシカは少し困惑しているようだった。


「おのれのをそのような露悪的な語り口でおとしめる人を、私は始めて見ました」

「いいえ、何も貶めているわけではないのです。ただ、僕は冒険譚で描かれるような気高い英雄ではないということをお伝えしたかったのです。たしかに世間一般では、今回僕のやったことは善行とみなされるのかもしれません。しかし、その過程だけを見れば、僕の行動はいこととはいえないはずです。僕はまったくの衝動で男たちを殺した。つまり、僕は自分の動物的な本能を制御することができなかったのです」


 善と悪の境界線は曖昧だ。

 僕達の社会における善は、悪を発見し、阻止し、追跡し、そして排除する。

 しかし悪と闘うまさにその時、僕達は悪そのものを使わざるを得ない。

 人を殺してはならないという法と、犯罪者の命を奪う罰は両立するのだ。

 僕達は善の世界を願いながら、あまりにも悪の世界に慣れきっているのである。


 そこで、ミレイ卿がオホンと一つ咳払いをした。


「お主の話には、儂も少し興味があるのう。お主は、二人の死が当然のことだったとは思わんのか? もとより人を脅し、殺し、金を奪って生きているような奴らよ。お主が殺さんでも、いつかは死んでおったじゃろう」


 ミレイ卿の質問に、僕は少し考えてから答えた。


「少なくとも、彼らが死ぬ時期を決めるが僕にあったとは思いません。もちろんならず者たちを殺すことも、時には必要でしょう。しかし、そうではなかった。あるいは彼等を説得して、穏便に立ち去ってもらうことさえできたかもしれません」


 彼等が決死の覚悟で強盗をしている訳でないのは、明らかだった。

 にも関わらず、僕は彼等に選択肢を与えなかった。


 面白いやつじゃ、とミレイ卿は笑った。


「普通の人間ならば仕方なかったと、そうアッサリと片付けてしまうところじゃがな。よしんばそう思っても、それを他人に話したりはしないじゃろう。それとも冒険者というのは、みなそうなのか? いや、そうではあるまいな。お前が特別、奇特な考えを持っているに違いない。どうもお前の言葉の節々からは、若いときの陛下の面影おもかげを感じるわい」

「皇帝陛下の、ですか?」

「そうじゃ。実に愉快なことよ」


 どうやら僕の発言は、卿の個人的な関心を引いたようだった。


「お主には俄然がぜん、興味が出てきたわい。結婚の件とは別に一つ、お主にやらせてみたいことが出来た」

「なんでしょうか」

「お主、帝国の爵位に興味はないか?」


 ……気に入られないほうが良かったな。

コメント(0)
この作品に、最初のコメントを書いてみませんか?