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第三話

「なんじゃ、不満か?」


 ミレイ卿の笑顔に、僕は言いようのない圧を感じた。

 この爺さん、いったい何を企んでいるんだ?


 クルシカ嬢が不満かって? そりゃあ僕だって男だ、不満なワケはない。

 これまで見た中でも、彼女の美貌びぼうは抜きん出ている。

 たとえそれだけでも、結婚相手にこれ以上のものを求めることは出来ないだろう。


 だから余計に怖いのだ。

 『タダより高いものはない』というが、これでは余り都合が良すぎるではないか。


 昔なら僕とて諸手もろてを挙げて喜んだかもしれない。

 けれども、今ではこの世界の常識を知っている。

 貴族が平民相手に真正面から謝ることさえ、この世界では到底ありえないことだ。

 なのにそのうえ、婚姻だって? とても理解の追いつく話ではなかった。


「お祖父様、ヘンリク様が固まっておられます。一つ一つ説明していかないと」

「む、そうか。そうかもしれんな」

「私がヘンリク様に説明いたしますわ」


 この場面だけ切り取ってみると、ミレイ卿はただの好好爺こうこうやにも思える。

 話を遮られて苛立つどころか、マイッタマイッタと笑みを浮かべる余裕すら見せている。


 ……不気味なこと、この上ない。

 僕は知っている。貴族は貴族という生き物だということを。

 彼らはたとえ実益を損なっても、家の面子を何より重視する。

 彼らの行動を平民の理屈で推し量ってはいけないのだ。


「まずは先日の件について、改めてお礼を申し上げます。貴方に助けていただかなければ、私はとうに死んでいたでしょう」

「は、はい」

「それで、教会で執り行われた神聖術式ですが――失敗したのです」

「なるほど、失敗……失敗!?」


 神聖魔法は聖職者が扱う特殊な魔法だ。

 十分な血肉さえあれば、死を除くいかなる病も治すことができるという。

 それが失敗とは、一体どういう事だろうか。


「はい、失敗です。その証に、これを」


 彼女は服をずらして、白い柔肌やわはだをちらりと見せた。

 僕は思わず視線を逸らした。ミレイ卿が焦った声で言う。


「お、おい、クルシカや」

「お祖父様は黙っていてくださいまし。どうせその方、夫となる身の上。我が身を隠すことに一体どれだけの意味がありましょうか」

「しかし、まだそうなると決まったわけではないのじゃし……」


 そうやらクルシカ嬢は、清楚な見た目に反して随分押しの強い女性であるようだ。

 ミレイ卿をやり込めている所を見ても、よほど度胸が座っているに違いない。


「それに乙女の柔肌をお見せした時点で、この屋敷から帰す気はありませんし」


 ……同時に、何やら不穏な単語が聞こえた気もした。

 が、突っ込んでも仕方のないことは無視に限る。


「さあヘンリク様、どうぞ」

「は、はあ。では失礼して」


 それにしても、こうも堂々とされると逆にこっちの調子が狂うな。

 独りでスラムを彷徨いていたというのも納得してしまう。


 僕は促されるままに、彼女の白い肌をまじまじと見つめた。

 なるほど腹部に注目すると、確かに傷跡が残っているように見える。

 またその位置は、先日路地裏で刺された箇所と全く同じところに思えた。


「これは……傷跡ですか? またどうして?」

「司祭様も不思議がっておられました。なぜ傷跡が残ったのかと」


 そう言って、クルシカは服の位置をもとに戻した。


 帝都の司祭に選ばれるのは生涯をかけて神に仕え、かつ学識豊かな研鑽者けんさんしゃだけだ。

 彼らが見たことがないのなら、それは今までになかったのと同義なのだろう。


 ところで今の話を聞いて、僕には一つ心当たりがあった。


「……私が思うに、血を止めた処置のせいかもしれません」

「処置?」

「傷口から、大量に血が流れ出ておられたものでしたから。お召しになっていたローブの裏張りを割き、傷口に詰め込みました。その時に神聖術にとって、何か不都合なことが起きたのやもしれません」


 その言葉に、彼女は少し考え込む仕草をした。


「ふむ、そうでしたか。しかし、仮にこの傷がそれゆえに付いたものだとしても、あなたがいなければ私は死んでいたのでしょう?」

「あくまで、可能性の話ではありますが」

「後で聞いた話によれば、教会に運び込まれた時、私は生と死の境にいたそうです。命を救うため、かなり多くの血を使ったとも。ならばその処置がなければ、私は今ここにいなかったと考えるのが自然でしょう」

「あるいは、そうかもしれません」

「いいえ。実際、そうなのです。そうであれば、この傷は避けられないものであったと思いませんか?」


 そう言って、クルシカはこちらに目配せしてくる。

 その目配せに、僕は彼女の意図を感じた。


 どうやら、僕に助け舟を出してくれているようにも思える。

 なら、ここは素直になってそれに乗っておくことにしよう。


「おっしゃる通りです」

「――ですわよ、お祖父様?」

「うむ……」


 ミレイ卿は怒りというのではないが、どこか苦々しい表情を見せていた。

 おそらくは僕に、個人的に何か言いたいことがあったのかもしれない。

 そしてクルシカ嬢は、それを庇い立てしてくれたのだろう。


 ……結婚か。先程は突拍子な提案のように思えたが、なにか理由があるに違いない。

 そう思っていると、クルシカ嬢の方から先に話を切り出してきた。


「ヘンリク様は、フォルシン卿について御存じですか?」

「フォルシン卿? 大貴族にあらせられる、フォルシン卿ですか?」

「はい、私とフォルシン様との間では、十の頃に婚姻の約束を結んでいました」


 結んでいた、か。少しだけ話が見えてきたぞ。


「――しかしこの間の一件があった後、約束は一方的に破棄されたのです」


 それで、ようやく得心がいった。

 帝国の貴族は願掛けの類を異常に気にする。

 嫁入り前に傷物になった娘は、たといどんな家柄であろうと煙たがれるのだ。


 つまりクルシカは、フォルシンという貴族の男に捨てられたのだろう。

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