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第二話

 それから半年後。

 招待を受けて、僕は帝都にあるミヤセン家の屋敷を訪れていた。


 過密化が問題となっている帝都の中心にありながら、その屋敷はあまりに大きい。

 これが貴族の中の貴族、大貴族というやつなのか。

 屋敷の威容に圧倒され立ち尽くしていた所、正面の門が開いた。

 中から出てきた老執事に導かれるがまま、僕は応接間に案内された。


「……おいおい。この『紅茶』、紅茶じゃないか」


 部屋の中央にある長椅子に座らされると、直ぐに客人をもてなす茶が出てきた。

 感動で泣きそうになりながら、僕は出されたカップの甘露をすする。

 それから自分でも妙なことを言うものだと、我に返っておかしな気分になった。

 久しく紅茶らしい紅茶など飲んでいなかったのだ。


 水、エール、ワイン、蒸留酒。

 この世界に来てからよく飲んだものといえば、それぐらいのものだ。

 紅茶などの高級志向の嗜好品しこうひんは、めったに手に入るものではない。


 そういえば以前、懐かしさに惹かれて茶葉を買ったことがあったな。

 あれは酷かった。何を混ぜ込んだかわからない、とんだ粗悪品をつかまされたのだ。

 あの時ほど無駄な買い物を後悔したことはない。


「しかし、一体どうして呼ばれたんだろう」


 少女がらみのことだと予想はついたが、それでもせないことがあった。


 帝国における貴族というのは、平民との関わり合いを極端に嫌う生き物である。

 大貴族となればなおさらだ。

 彼らはたとえ平民に命を救われても、直接感謝を伝えるなどということはしない。

 使いの者がその者の住む宿を訪れ、謝礼を渡して帰るのが普通である。


 現代人からすれば、この待遇は一見無礼なものに見えるかもしれない。

 だが彼らにも面子がある。謝礼の額は申し分なく、活躍に見合ったものだ。

 中には感状を一筆書いてくれる親切な貴族もいるから、決して悪い扱いではない。

 少なくともこの世界では、それが生まれながらの貴種エスタブリッシュメントにとっての常識なのだ。


(別に、大した謝礼は必要ないのだけれどな)


 そんな事を考えていると、応接間の扉が開いた。僕は思わず立ち上がる。

 恰幅かっぷくの良い男性が部屋の中に入ってきた。


 彼が入ってきた瞬間、部屋の空気が一変したように思える。

 その名は僕でも知っていた。ミレイ・ミヤセン、帝国有数の大貴族その人だ。


「失礼します、閣下」


 地球では無知だった僕も、この世界に来てから最低限の礼儀作法は身につけた。

 冒険者というのは、意外に貴族相手の仕事も多いものだからだ。

 しかしそうはいっても、これほどの大貴族を相手にした経験など今までにない。


「うむ」


 ミレイ卿は大貴族らしく、尊大な態度を隠そうともしなかった。


「閣下、本日お呼び立て頂いたのは……」

「そのことだがな。お前に頼みがあるのじゃ。少し混み入った話になるから、まあ座れ」

「はっ」


 冒険者アウトローに仕事を依頼するような貴族は、せいぜい下級貴族だ。

 それに引き換えミレイ卿のような大貴族は、信頼できる手駒を自前で持っている。

 だからこそなおさら、ここに呼ばれた理由がよく分からない。


「お前の助けた人間じゃが、は私の孫でな」

「そうでしたか」

「ほう、驚かんのか」


 ……驚いたほうが良かったか。

 ミレイ卿の前では、一挙手一投足がいちいち試されているように思えてならない。

 僕は自分の動きのぎこちなさを絶えず自分で気にするという、奇妙な状態に陥っていた。


「いえ。お助けした時、フードに刺繍が見えたもので」

「ふむ、そうであろうな。おぬしが孫を教会に運んだ時、司祭に対し貴族の血を使って神聖術をかけるよう伝えたそうではないか。その機転には感心したぞ」

「お褒めいただき、恐縮です」


 当たり前だ。

 貴族の治療に平民の血を使ったと知れたら、後で何を言われることか。

 感謝どころか責められ、不敬のかどで罰せられることさえ有りうるのだから。


 ミレイ卿はこちらをジロジロと、まるで見定めするような視線を向けてくる。

 が、しばらくしてようやく口を開いた。


「ふむ、気に入ったぞ。どんな奴が来るかと思ったが、それなりに頭は回るようだな。やたらと己の功をひけらかすような男でもない。まさににはうってつけじゃ」

「あの、ミレイ卿。申し訳ありません。私には何のことだか」


 彼が何のことについて話しているのか、話がよく見えない。

 功をひけらかさないのは、僕が利口だからではない。その必要がないからだ。


「ああ、そうじゃったな。やたらとコトを急ぎすぎるのが、儂の良くないところよ。おい、入ってきなさい!」


 そういってミレイ卿は手を叩いた。

 パンという乾いた音と共に応接間の扉が開かれ、一人の少女が入ってくる。

 肩までかかる透き通った黄金こがねの長髪に、星霜せいそうより深いあおに染まった瞳を持つ少女。


 自分でも気づかないうちに、美しいという言葉が喉元まで出かかる。

 すんでのところで、僕はそれを理性によって抑えこんだ。


「さあクルシカ、挨拶なさい」


 ミレイ卿は彼女の立ち姿に満面の笑みを浮かべながらそう言った。

 僕はその少女の顔をよく知っている。半年前、僕が救ったフードの少女だ。


「久方ぶりでございます、ヘンリク様。先日私を救っていただいたこと、感謝いたします」


 こちらに向かって彼女は丁寧に礼をする。

 その立ち振舞いからは、隠しきれない品性がにじみ出ていた。


「ミレイ卿、これは……」

「ふむ、改めて紹介しよう。ワシの大切な孫娘、クルシカじゃ」


 いや、違う。この娘がミレイ卿の孫娘であることは分かっていた。

 問題はそこではない。

 冒険者に、貴族である当事者が直接出てきて感謝を告げる? 

 どうにも猛烈に嫌な予感がした。


「それで頼みというのは他でもない。お主、クルシカと結婚せんか?」

「は……?」


 その唐突な提案に、僕は思わず素っ頓狂すっとんきょうな声を出して固まってしまった。

 結婚? つまり縁を結ぶってことか、ミレイ卿の孫娘と?

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