香月と春歌、夢実は廊下を走っていた。
横一直線に並んでいるのではなく、香月を先頭にして走っている――ということになる。香月、春歌、夢実の順だ。実際コンパイルキューブを持っているのは夢実だけなので、夢実を先頭に走らせるべきだという意見が彼女自身から出たが、後ろを見張りながら走った方がいいという香月の意見を尊重してこういう順番になった次第である。
「夢実、後ろは大丈夫か?」
「はい、お兄ちゃん」
背後を確認しながら答える夢実。
「……夢実さんはずっとスパイをしていたのですか?」
訊ねたのは春歌だ。それを聞いた夢実は首を横に振る。
「そんなことはありませんよ。だってスパイって第三者に得た情報を横流しするような……そういう感じでしょう? けれど私はスパイではない。裏切った、と言えばいいかもしれない。孤軍奮闘で活動してきた。けれど、それを実際にしたのはつい最近……。お兄ちゃんを魔術師で活動していることを知ってから。お兄ちゃんが魔術師になっているのならば、ホワイトエビルを倒す可能性が僅かでも高まると思った。だから、」
「僕を待った……ということか。ヘテロダインに逃げ込むことだって、考えられなかったのか?」
「ホワイトエビルは規律に厳しくてね。そういかなかったの。実際問題、ホワイトエビルのアジトはけっこう監視カメラが多い。きっと逃げる人が多いと増山も判断していたのでしょうね。だから逃げるのを監視するためにカメラを多く配置した――。だから不満を抱いていても、逆らうことも逃げることもしなかったのよ。魔術師最大勢力ホワイトエビルを強固なものにするために、帝国のような何かを作ろうとしたのではないかしら」
「帝国、ねえ……。自分が帝王にでもなれると思えていたのかねえ?」
「或いはなるべくして今まで活動していたのかも。そして、ホワイトエビルはその道中にある『過程』に過ぎないのかもしれない。あ、着いたよ」
そこにあったのは扉だった。
そして、その目の前には一人の少女が立っていた。
薄いブルーのショートカットをした少女は妖艶な笑みを浮かべていた。
「ようこそ、柊木香月。そして、裏切り者もこんにちは。まさかあなたが裏切るとは思いもしなかったわ……。まあ、きっとボスは想定していたのでしょうけれど。何せ、あの柊木夫婦の子供なのだから」
「エレーヌ……!」
「上司の名前は、『さん』付けで呼ぶと習わなかったのかしら?」
白いコンパイルキューブに口づけして、詠唱する。
刹那、彼女の身体が浮かび上がる。
「飛行……魔術!」
「柊木香月。ほんとうは魔術を使って魔術戦をしたかったけれど、コンパイルキューブを奪われているのならば仕方ない。それもボスの戦略だからね。まあ、別に問題も無いでしょう? コンパイルキューブを奪われても戦うのが、魔術師としても優秀なのだから」
「果たしてどうかなあ? さすがに魔術師としても、これはつらいと思うぜ。コンパイルキューブを奪ってもいいのか?」
「奪えるものならね」
そして、それぞれが走り出す。
「お兄ちゃん!」
夢実はコンパイルキューブに詠唱を行い、結界を張る。ただし先ほどのように魔術のみを弾くのではない。物理的なものですら弾く物理結界を築いた。
「まさか――!」
「私を部下だと思って甘く見ていたようですね、エレーヌ? 私はこんな上位魔術だって使えますよ、普段使っていないだけでね」
「貴様……」
物理結界が立方体に作られていく。それはまるで彼女を包み込むように。
彼女の敗因を言うならば、飛行魔術を使ったことだろう。飛行魔術を使い、地から離れた――それによって、物理結界での囲い込みが成功した。
これはある種の賭けでもあった。成功するとは思わなかった。寧ろ失敗すると考えていた。だからこそ、これは夢実にとって理想的な結末だった。
「く……!」
「無駄です。その物理結界は私が意識下に置く限り存在し続けます。ですから、諦めたほうがいいと思いますよ」
物理結界の中が、白い煙で満たされていく。
「ああ、忘れていました。暴れてもらうのも困るので、催涙作用のある薬を蒔きました。それでゆっくり眠られると思いますよ。最近寝不足なのではないですか? 目の下に隈が出来ていますよ?」
「く……そ……!」
そして――エレーヌの意識が遠のいていった。
「思ったより楽に行けたな……。それにしても助かったよ、夢実。まさかこれほどまでの力を持っているとは」
香月は夢実の頭を撫でる。
夢実は笑顔になり、頬を赤くする。
「ありがとうございます♪ 嬉しいです。お兄ちゃんの役に早くたちたかったから!」
「そうか。……よし、あとはここに入ればいいんだな」
香月は頷き、ドアノブに手をかける。
そして、彼らは中へ入っていった。