「はあい、お兄ちゃん」
牢獄の扉にある仕切り窓がスライドしたのは、ちょうどその時だった。
窓の向こうには夢実の顔が見えた。どうやら窓に顔を寄せて話をしているらしい。
「何が『お兄ちゃん』だ。お前のお兄ちゃんじゃない。第一、夢実はあの事故で……」
「ほんとうに私が死んだとでも思っているの? だとしたら殊勝なこと。目の前に生き別れの妹が居るというのにお兄ちゃんったらまったく……」
そう言って溜息を吐く夢実。
香月は話を続ける。
「そういう皮肉を言いに来るために、わざわざここまでやってきたのか? だとしたらそれこそ殊勝じゃないか。あぁ、嬉しいことだ。こんなに愛されているのだからね!」
皮肉しか込められていない香月の発言を聞いて、夢実は小さく舌打ちする。
その瞬間、一気に空気が変わった。
「……ほんと、お兄ちゃんって変わらないよね。人の言うことを聞かないというか、理解しないというか、理解したがらないというか」
「そのどれもが間違っているよ。僕は理解しないのでもしたがらないのでもない。『したくない』だけだ」
「……したくない?」
夢実は香月の言葉を反芻する。
「そう。したくないだけだ。それはただのエゴに過ぎないかもしれないけれどね。僕自身が理解するかしないか、判断するわけだよ。そして後者に入ったものはいかなる情報でもシャットアウトする。……それが『したくない』の答えだ」
「お兄ちゃん。それがあなたの選択?」
「ああ。これが僕の選択だ。まったく、間違っていないと言えるだろうよ」
それを聞いた夢実は舌なめずり一つ。
「ふうん、別に間違っていないかもね。それも一つの選択だと思うよ。けれどね、それは今の状況では間違っているんだよ。それを理解してほしいなあ。それとも、理解しているけれどその選択をしないだけ? だとしたら、お兄ちゃんはおかしいよ」
「そんなわけはないよ。僕はその選択をした。ただそれだけのことだ。それだけのことなのに、それに口出しをして欲しくないね。それが『妹』なのかい?」
「……私はお兄ちゃんのことを心配して、言っているのよ。お兄ちゃん、ヘテロダインなんて野良組織捨てて、こっちに来ない?」
「こっち、とは『ホワイトエビル』のことか?」
頷く夢実。
その言葉に鼻で笑う香月。
「……どうして、どうして鼻で笑うのよ! そっちのほうがお兄ちゃんだっていいに決まっている! お兄ちゃんのその魔術師としての才能も、こっちで生かすことが出来る! こっちなら、お兄ちゃんのことを全面でバックアップすることが出来る! だから……」
「そうだとしても、僕がホワイトエビルに抱いている感情を無碍にすることは出来ないよ」
「お兄ちゃん。あなたが抱いている感情は、別に間違っていない。けれど、今はアウト。アウトなんだよ。間違っていると言ってもいい」
それを聞いた香月は笑みを浮かべる。
そんなことは有り得ない――とでも言いたいのかもしれない。
「解った。取り敢えず考えておくことにしておこう。でも、僕はまだあきらめない。自分を曲げたくないからね。間違った方向に進むくらいなら、自分自身でこれを打ち切ってしまっても構わない」
「……ほんとう、お兄ちゃんって昔から強情だったよね」
「別にいいだろ、それくらい。話はそれだけか?」
「うん。それだけ。お兄ちゃんと、そこの『目』に対する判断はまだ下されていないから。時間の問題だとは思うけれどね」
それだけを言い残して、夢実は去って行った。
◇◇◇
「あいつは何を言いに来たんだ。ほんとうに面倒な奴だ。……だが、あれで確信した。信じたくはないけれど、間違いだと思いたいけれど、そっくりな別人だと思いたいけれど、間違いなく夢実だ。僕の妹に間違いない」
夢実が去って直ぐ、香月はぽつりぽつりと言葉を紡いだ。
「……だとしたら、どうして彼女はホワイトエビルに居るのですか? 実際問題、彼女が香月クンの両親が亡くなった事故を忘れているようにも見えませんでしたし……」
「問題なのはそこだ」
香月は春歌を指差して言った。
「どうして夢実がホワイトエビルに対して何も思っていないのか。いや、もっと言うなら、どうして彼女が魔術師としてホワイトエビルに所属しているのか? おかしい点が多すぎて頭がパンクしそうだよ」
彼が言うのも当然のことだ。
夢実の行動には疑問ばかりが残る。
寧ろ正当性がまったく見えないと言ってもいい。どうしてこのようなことをしているのか――普通に見て有り得ないところばかりだ。
「普通に考えてみれば……ホワイトエビルが事故を起こしたとは知らないのではないのでしょうか?」
「いや、それは有り得ないな。僕との問答を思い出してみろ」
春歌はそれを聞いて思い返す。
「あ――」
そう。
彼女はこう言ったのだ。
――あなたが抱いている感情は、別に間違っていない。
それは即ち、『あの事故をホワイトエビルが起こした』ということを理解しているのだ。そうでなければその解答は出来ない。
「おかしな話とは言わない。けれど、変な話だと言われれば当然のように答えることが出来る。矛盾とは言わない。だが、おかしいんだよ。彼女がここにいる理由が、まったくもって理解できない」
「一先ず、コンパイルキューブをどうにかしないといけないんですよね……」
「ん? ああ、まあ、そうだが。今はそれを話している場合では……」
「いや、何か変な気配がしてふと思ったんですけれど……」
春歌は指を差した。
その先にあったのは――先ほど夢実が見せた窓である。
「窓か? この窓がどうかしたか」
「この窓、意外と広いですよね……。ここから手を伸ばしてどうにか出来ないかな、とか思ったんですけれど」
「馬鹿か。だったらとっくにやっている。見てみろ。あの窓の大きさ、僕が腕を出しても肩まで入るか解らない。仮に入ったとしても、その先に何があるか不明瞭な状況だぞ。そんな場所に進んで手を出そうなんてことはしたくないね」