ユウの部屋の後ろにあった会議室。
そこには香月、ユウ、果、春歌が一同に会していた。
「……さて、それじゃ報告会と洒落込もうか」
ユウはワイングラスを片手にそう言った。とてもじゃないが、会議の緊張感など皆無だ。
もともとユウはそういう人間だった――と言えばいいかもしれない。香月とユウの付き合いは長い――それはユウと果の付き合いに比べれば短いものかもしれないが――しかしながら、未だ彼女の凡てというものは理解できていない。
それどころか。
彼女の日常を知る人間など、そう居ないのである。少なくとも彼女とは仕事上の付き合いをする人間ばかりなのは殆どである。香月もその一人だ。
だからこそ、恐ろしいのだ。
香月は、このユウという女性が、恐ろしかった。
それはボスと部下という主従関係によるものではない。
ユウ・ルーチンハーグと柊木香月、その個人関係でのことだ。
ユウ・ルーチンハーグという人間にはブラックボックスがあまりにも多い。いや、ユウ・ルーチンハーグという人間そのものがブラックボックスなのかもしれない。
ユウが外界に出ることは殆ど無い。ヘテロダインの業務は一般的に香月のような普通の魔術師によって行われる。
普通に考えればそれは正しいことだ。ユウ程の実力をもった魔術師が、そう易々と外に出てしまえば、命を狙われるのは確実だ。
力を隠している、と言えばいいかもしれないが、実際には隠れることで安寧を得ていると言ってもいいだろう。
それを知っている魔術師からすれば、ユウを『女王』と呼ぶ魔術師も居る。それはヘテロダインの態勢を羨んでいるのか蔑んでいるのか、その何れかだ。
「先ずは香月クンから頼むよ。君の情報を聞いておくことで、『深海の民』について理解も深まるということだ」
「そうだったな」
そう言って香月はスマートフォンを取り出した。
スマートフォンのロックを解除し、メモ帳アプリを起動する。メモ帳アプリに書かれている内容を、そのまま読み上げていく。
「図書館で調べたことなのだが、事故と『深海の民』出現には何らかの因果関係があると考えられる。だが、その因果関係までは解明できていない。残念なことではあるが」
「因果関係がある……それだけ? 香月クン、今日一日使って見つかった情報がそれだけだというの?」
「仕方ないだろ! こっちだって時間が無かったんだよ。それに、急いで伝えようとは思ったが、ホワイトエビルの刺客が現れたし……。まったく、こっちの身にもなってくれよ」
「それは解らないよ。顧客は君を選んだのだから。君が選ばれた以上、君はその仕事をやり遂げなくてはいけないのだよ。それくらい、充分に理解しているつもりだと思うけれど?」
「それは理解しているよ。寧ろ、理解していなかったら、僕はとっくに魔術師なんて仕事をやっちゃいない」
ユウはワイングラスを傾けて、中身の赤い液体を口の中に流し込む。
「まあ、それは置いておくとして。問題はホワイトエビルだね。まさかこちらにやってくるとは思わなかった。もしかしてこちらの行動を常に監視でもしているのかな? それとも、君がスパイの目に見つかったとか?」
「僕はそんなスパイに見つかったことなどないよ。それくらい情報セキュリティはきちんとしているから」
「そうだろうね、そうだと思ったよ」
「……ホワイトエビルは、もともと魔術師組織の中ではどれくらいの実力だったんですか」
訊ねたのは春歌だった。この中では一番魔術師の情勢についての知識が乏しい。だから、その質問が降りかかってくるのはもはや当然のことでもあった。
質問に答えたのは果だった。
「ホワイトエビルは古参の魔術師組織だよ。コンパイルキューブが開発されてからすぐ、魔術師が組織を作った。そしてその魔術師組織が、ホワイトエビルの起源であると言われている。私もそこに所属していたことがあるからね、それくらいは有名なことだ」
「因みに私も、だよ。春歌クン。私と果たんは、その組織……名前はなんて言ったかな。忘れてしまったよ、何せ随分と昔のことだし」
「そうねぇ。確かに昔のことね。あの頃はやんちゃだったものだよ。何せ魔術師が組織を組んで、組織と組織で争う時代では無かったからね。組織と、特定の個人が戦うものばかりだったよ。無論、全戦全勝だったがね」
「あれはいい時代だったよ」
果の話に入ってきたのはユウだった。お酒が入ったからか、もしくはそもそもそういう性格なのか、早口でまくし立てるように言った。
「そもそもホワイトエビルと他の組織は元を|糺(ただ)せば同じ組織だった。何が違うかと言えば、その根源にある考え方くらいだろうね」
「……対立した、ってことですか?」
春歌の言葉にユウは頷く。
「コンパイルキューブがいつ生み出されたのか、それがどのような仕組みで動いているのかは未だ解明されていない。コンパイルキューブ自体、ブラックボックスなところが多いのだよ。だから初めは手探りだった。親切にもそこには『説明書』があったがね」
「説明書?」
「コンパイルキューブの説明書だよ。そもそも、コンパイルキューブというのは現代の人間が開発したものではない。かつて魔術師と呼ばれていた存在が作り上げて、我々の時代に託したオーパーツ的なものがある。それが発見されたのは……確かどこかの遺跡だったか? 魔術の行使に生涯を費やし、遂にはコンパイルキューブを発見し利用した……我々魔術師からすれば『神』のような存在が居た。残念なことに、もう亡くなってしまったがね。彼の弟子たちがその意志を引き継ぎ、コンパイルキューブの量産化に成功した。ブラックボックスをブラックボックスのままにするという、致命的なミスを残したまま……」