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第19話

 ハインリヒの法則を聞いたことはあるだろうか。

 簡単に言えば、一つの大きな事件や事故に隠れて三十或いは三百の小さな事件事故が隠れていることである。

 香月は図書館であの事故について調べ、ふとその法則が頭に浮かんだ。



 ――ハインリヒの法則にあの事故が当てはまっているとしたら?



 それは、はっきり言って最悪の結果ともいえるだろう。ただし、その結果が正しければ……話は全く真逆になる。


「考えたくは無い」


 彼はぽつり呟いた。


「だが可能性も考慮せねばならない。どんなに小さなリスクであっても、それは確認し、排除する必要がある」


 それが柊木香月の考え方。

 それが一番簡単で単純な取捨選択。


「……だとして、だ。問題はここからだよな……」


 ここで考えは原点に戻る。

 ホワイトエビルは、ほんとうにハインリヒの法則を適用させていたのか?

 適用させていたとしたら、何を隠そうとしていたのか?


「解らんな……。とにかく、先ずは病院に戻って、彼女を助けるしかない」


 彼女を助けなくては、任務失敗となる。

 任務を失敗すれば、魔術師の信頼にかかわる問題になる。

 だから彼は走る。

 彼女を救うために。





 香月が病院に着いたのはそれから十分後のことであった。


「……静かだな」


 やけに静かだった。

 人の気配が無い――と言えばいいだろうか。


「おかしいな。これほどまでに、この時間に静かなわけがない」


 病院の中に入り、階段で上に登っていく。

 人の気配は、やはり無かった。




 そして、ある病室。

 その病室だけ電気が点いていた。それを見て香月は少し安心した。この病室も人の気配が無ければ、それこそ大変なことだと思ったからだ。組織に報告して、判断を仰がなければならない。


「……果さん? 居ますか」

「はいはい、いますよ。まったく、骨が折れたよ。あんな軟弱な魔術師を相手にするとはね」

「復活戦だと思えばいいじゃないですか。……それにしても、戦ったんですか。魔術で」

「ああ、久しぶりにね」


 果の右手にはコンパイルキューブが握られていた。

 それを見て香月は溜息を吐く。


「戦うとは思っていましたけれど……、これ程までに早いとは思いませんでしたよ」

「私の性格を知っていて、言っていることなのかな?」


 頷く香月。

 それを見て笑みを浮かべる果。次いで、コンパイルキューブをポケットの中に仕舞った。


「ところで、君の元にも来たのかな? ……ホワイトエビルの使いが」

「ああ。そうだよ。ホワイトエビルは冷酷だよ。ホワイトエビルの使いは簡単に退くことは出来たが……。きっとまた来るだろうね。こちらにも。恐らくあちらの狙いは、彼女だろうからね」

「彼女……城山春歌の事だね。確かにそうだね。『凡て』を見ることが出来るのならば、それを狙うのは当然の事。そして、その当然を突いて、魔術師に仕立てあげるのが、香月クンの目的だったね?」

「クン付けは止してくれよ……。まあ、そうだ。その通りだ。正しいことだよ」


 香月は病室を見わたす。

 瓦礫の山の隣に、春歌が腰掛けていた。

 春歌の元に近付くと、春歌はそれに気が付いて顔を上げた。


「無事か、春歌」

「ええ。何とか。……果さんが、魔術師なんて知らなかった」

「正確には魔術師『だった』かな。僕が生まれて少ししてから、果さんは魔術師を引退したから。だから、その証拠に、ほら」


 コンパイルキューブを取り出す香月。


「僕のコンパイルキューブと、果さんのコンパイルキューブ。見比べて何か違いが見えてこないかい?」


 言われた春歌は、香月と果のコンパイルキューブを見比べる。


「うーん……なんというか、香月クンのコンパイルキューブは、果さんのものに比べて小さいような気がする……」

「そう、その通りだ。大きさの違いだよ。果さんが利用しているコンパイルキューブは、簡単に言えば旧式のものになっている。対して、僕が持っているものは新しいヴァージョンだ。別に新しいほうがいいというわけでもないが……」

「新しい方が使い勝手もいいでしょ。それに、処理速度も速いんじゃない?」


 果が補足する。

 香月は頷きながら、さらに話を続ける。


「確かに新式の方が処理能力は高いと言われていますね。僕は旧式で訓練したこともありますけど、全然処理速度が速いとか遅いとか解らないですけれど」

「訓練じゃ解らないよ。実際に戦ってみないとね。戦闘中に魔術をコンパイルするときに、その処理速度が実感できると思うよ」

「戦闘中、ですか……。それはそうかもしれないですね。実際に魔術師同士の戦闘では、新式のコンパイルキューブでしか戦闘したことがありませんから」

「あ、あのー?」


 話が若干どころかまったくついていけていない春歌が、何とか二人の会話に割り入ろうと声をかけた。

 それを聞いた香月が春歌の方を見て頭を下げる。


「ああ、申し訳ない。つい話が盛り上がってしまって。君が悪いわけではないのだけれど」

「つい魔術の話になると、盛り上がってしまうんだよね。特に、私の場合はもう十年近く最前線から身を退いているわけだから、現時点で最前線に居る香月クンの話はかなりタメになるのだよ」

「成る程」


 専門家の話というのは専門家だけしか盛り上がることが出来ない。

 それは春歌も聞いたことがあった。だから、自然にその流れには納得することが出来た。


「まあ、細かい話は本部に向かってからにしよう。そこならば、少なくとも安全は保障される。ほかの魔術師も暮しているし、常に魔術師が居るからね。果さん、いいですよね?」

「私も来ていいということかい?」

「そりゃもちろん。来ていただくと、百人力ですよ」


 それを聞いて果は頷く。


「だったらついていくことにするかね。私も、魔術師だし。当事者になってしまったようなものだからね……」


 果の了解を得たところで、香月はスマートフォンに操作してある場所へと電話を掛ける。

 短い通話ののち、電話を切る。


「了解は取れた。急いで向かうことにするよ。先ずは体制の取り直しだ」


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