「ほほう……。いつのタイミングで解った?」
サラリーマンはポケットに入っていた右手を引き抜いた。
その右手は確かに、しっかりとコンパイルキューブを手にしていた。
「普通に考えて当然だろう? 先ず、サラリーマンはこのような時間にたった独りで居ることなんてしない。するかもしれないが、その可能性は限りなくゼロに近い……そう言っていいくらいだ。そもそもここは通勤の人間はあまり通らないんだ。だから直ぐに解るよ。だが、その時は未だ疑念を抱いただけに過ぎなかった」
「ならば、何故?」
「疑念が確信に変わったのは、出そうとしない右手と、魔力の流れだ。『彼女』程では無いが、僕もそれを見ることが出来てね……。魔力の濃度くらいは可視化することくらい容易なんだよ」
「そしてその濃度が一番高かったのが私の右ポケット……か。成る程、鋭い考察だよ。完璧と言ってもいい」
手を疎らに叩きながら、男は言った。
「だが、終わりだよ。気付かなければ、楽に死ぬことが出来たというのに。本当に馬鹿だ」
「馬鹿かどうかはこれから決めれば良いことだ。戦いが終わった頃には、屈服しているかもしれないぞ?」
「果たしてどうかな」
そして。
衝突が、起きた。
◇◇◇
その頃、病院でも小さな爆発があった。
病室で話をしていた二人は振動と爆発音でそれに気付いたが、直ぐに動くことはしなかった。先ずすることと言えば、安全確保になる。
「いったい何があったの……!?」
果は慌ててポケットに入っている携帯を取り出す。同じフロアに居るかどうか解らないので、同僚と連絡を取るためだ。
「電話は出来ないよ」
背後から声が聞こえた。
そこに立っていたのは白衣を着た小さい少年だった。
白衣の似合わない少年――背格好に対して白衣の大きさが合致しない。まるで誰かの白衣を奪ったようにも見える――は一歩近づいて、言った。
「今日は二人が離れて行動するという話を井坂から聞いた時は正直信じられなかったが、彼の話も当たるものだね。最近はイマイチだから、ダメだと思っていたよ」
「あなたは……いったい?」
果の質問に答えることなく、白衣を着た少年はポケットから何かを取り出し、囁いた。
それを見て果は直ぐに理解した。
「避けて!!」
春歌を守るように彼女の身体を押し出した。彼女は小さく悲鳴をあげて倒れ込んだ。
それと炎が彼女たちの居た場所に襲いかかったのはほぼ同時のことだった。
「コンパイルキューブ……あなた、魔術師ね?」
少年は微笑む。
「ご明察。まさか魔術師を知っている人間が居るとは思わなかったよ。魔術師ではない、普通の人間しか居ないはずだったのに」
「魔術師以外でもコンパイルキューブの存在を知っているのは、たくさんいるわ。私みたいに、魔術師を家族に持つ人間ならばなおさら」
「うるさい!」
言葉を聞かずに、再び言葉――基本コードをコンパイルキューブへと吹き込む少年。
「どうして、火に油を注ぐようなことをしたんですか!」
「まあ、見てなさい」
このような状態においても、果は冷静だった。状況を判断していた。
だから春歌も果に従うしかなかった。
「人間が魔術師に勝つことは出来ない! なぜなら魔術に対抗する術がないからだ! 見縊るなよ、人間! 魔術師を敵に回すことの恐ろしさを、思い知るがいい!」
そして。
今度こそ二人に火の玉が命中し、天井からコンクリート片が落下した。
◇◇◇
魔術師と魔術師の戦い。
その優劣を判断するのは魔術の技量である。魔術の技量が高ければ高い程相手に強いダメージを与えることが出来る。
これは覆すことなど容易ではない、きわめてシンプルな優劣の付け方ともいえるだろう。
柊木香月と、その魔術師。
二人は戦っていた。
周りから見れば、手のひらサイズの立方体(コンパイルキューブ)に何か語り掛けることで火炎や水流、或いは氷柱が生み出されているだけだ。
魔術に疎い人間から見れば、それだけで済まされる。
しかし、視点を変更して。
魔術師からその戦いを見ると、一般人の視点とは違うことが見えてくる。
たとえば用いている魔術。
相手は高度な魔術を多用している。高度な魔術、というのは単純に言って難しい魔術のことを言う。その『難しさ』には発音の有無は問わない。発音が難しくとも、テニスボール程の火の玉を一つ生み出すだけならば、それは簡単な魔術と分類されるのだ。
魔術の難易度を規定するにはいくつかの条件が存在する。
一つは、その構成。
魔術の基本コードは主語、述語、述語修飾、対象、オプションの五つから構成されている。この五つはそれぞれ単語及びその合成により成り立っており、基本的にはこれらを満たせば魔術は実現される。
ここで注目するべきところは『オプション』だ。飛行魔術なら場所を、攻撃魔術なら範囲や強度などを指定することが出来、比較的自由に設定することが出来る。
裏を返せば。
ここを活用することでテクニカルな魔術を行使することが可能となる。
たとえば針の孔程の大きさの火の玉を作り上げるとか。
たとえばギリギリ殺さない程度に相手を痛めつけるとか。
使い方によってはどんなことだって可能になる。それが魔術の基本コードにおけるオプションだ。
相手の魔術師はそれを行使しているため、非常に高度な魔術が実現されている。
しかし、柊木香月は違う。
非常に基本的なオプションしか用いていないのだ。
火炎魔術ならば『強く』しか使わないように。
防御魔術ならば『自分の近く』しか使わないように。
自分の魔術を――信頼しているようにも見えた。
行使している魔術が高度であっても、劣勢と感じられるならばその魔術師は二流と言われている。
行使している魔術が容易なものばかりだとしても、優勢ならばその魔術師は一流と言われる。
それが柊木香月と敵の違いだった。
「……つまらないね」
「はあ?」
防御魔術を行使したことで形成された緑色の薄膜を通して、香月は言った。
サラリーマンを模した敵の魔術師はその言葉を聞き捨てならないと思いながら、見つめる。香月はそれを気にせず、話を続ける。
「おそらく『ホワイトエビル』が送ってきた相手だろうから、もう少し骨のある奴かと思っていたけれど……僕の実力を測る為なのか、至極つまらない戦いだ。高度な魔術ばかり極めようとして、このありさま。しかも極めれば極めたでいいのだが、中途半端なクオリティになってしまっているから、ダメージが削ぎ落とされている。この魔術なら、本当はこのシールドくらい十秒もかからずに破壊されてもおかしくない。にもかかわらず破壊されないということは……もうこれ以上は言わなくても解るよね?」
「言わせておけば……! ff・ff・ff!!」
コンパイルキューブにコードを通す。
それは単純に魔術を強くするためのオプション。
それを聞いた香月はぽつり、小さく呟いた。
「ej・ei・fr・et・tfac」
それだけだった。
コンパイルキューブを通して、魔術は放たれた。
その炎は、彼が放った魔術とまったく変わらなかった。一般的に魔術師の中では有名な魔術の一つでもあった。
にもかかわらず。
それは彼の放った炎よりも格段強く、轟々と燃え盛り、何しろ――綺麗だった。
「チェックメイト。これでおしまいだ」
そして。
魔術師はその炎の中に飲み込まれていった――。