講義も順調に進んでいた。
夜は明け、空は白んでいく。
「……そろそろ、今日の講義は終わりにしよう。ところで、城山」
「春歌でいいよ。そのほうが呼びやすいでしょう?」
「……ああ、そうだな。春歌。今日は学校か?」
「まあ、そういうことになるね。学生だよ。あなたは?」
「香月でいい。僕も学生だ。学生は学校に行って授業を受けるという義務がある。義務教育というものだね。義務教育を受けるのは大変だが、仕方のないことだ」
「……あなた、中学生だったの?」
「まあ、そういうことになる」
香月は頷く。
「中学生、なの……? ほんとうに?」
「嘘を吐いてどうする。本当だ。だが、それをクラスメイトに話したことは無いけれどね。話したところで、胡散臭い話と思われるのがオチだ」
それは確かに、と春歌は小さく頷いた。
柊木香月は紛れも無い、中学生である。
仕方がない、と思いつつ彼は生徒手帳を彼女に見せた。
それを見て驚く春歌。
「……あなた、木崎一中だったの?」
「まあ、そういうことになるね。木崎一中は僕のホームグラウンドといっても過言ではない。だからこそ、あのような動きが出来たわけであって」
「木崎一中は……私も通っているのよ」
へえ、と答える香月。
まるで興味も無さそうな表情をしている。
朝日を見つめながら、彼は言った。
「取り敢えず、ここから出よう。急がないと、学生に見られてしまう。そのような事態はさすがにまずいだろう?」
それを聞いて、彼女は小さく頷いた。
◇◇◇
柊木香月の家はマンションの五階にあった。
しかしながら、先ほどの事件で破壊されており、朝から警察が実況見分を行っていた。
「はっきり言って、あの状況は不味いな。……まあ、おそらくヘテロダインが何とかしてくれるだろうけれど。先ずは、制服をどうにかせねばなるまい」
「そういうとおもっていたよ」
声を聞いて香月は横を見る。
そこにあったのは一台のバイクだった。バイクに乗り込んでいたのは、豊満な胸を備えたセンパイ系女子だった。正確に言えば、そのセンパイというのは学校の先輩ではなく、組織の先輩ということになるのだが。
「風花さん、ですか?」
「ええ、そうよ。何でも部屋が爆発したと聞いたから、替えの洋服及び制服を持ってきたのよ。組織には保存しているから、もっていってほしい、とね」
そうですか、と言って渡された鞄を見る香月。
その中身は制服と数日分のジャージだった。
「……下着とかあると嬉しかったのですが。まあ、それは仕方ないでしょう」
「残念だったわね! そのパンツ、私がかぶっているわ!」
……残念だったのは、風花の頭だったようだ。そう思うと、香月は溜息を吐いた。別にこれが今に始まったことではないので、別にどうでもよかった。
橘風花は香月を弟のように可愛がっている。組織でもそれは認定されており、よくしているのだが、最近それがブラザーコンプレックス(ブラコン)なのではないかと危惧されている。
そもそも、風花には弟が居ない。一人暮らしである。かつては両親と暮らしていたらしいが、諸般の都合により今は一人で暮らしているとのことだ。
その理由は、彼も知っていた。
――突然種魔術師。
魔術師とは普通、魔術師から生まれるものである。魔術を放つために必要な『魔力』が、大抵は遺伝によるものだからである。しかしながら、奇跡的な確率でそれが遺伝しない或いは魔術師ではない両親から魔力を持った子供が生まれることがある。後者のことを『突然種』と呼ぶ。
突然種の発生確率は一億分の一。即ち日本人の男女比率が等価であるとしたとき、その全員が二人子供を生んで、ようやく一人突然種が生まれるかどうか――という程だ。
それ程に、突然種が生まれることは難しい。
そして、それゆえに、魔術が近くにない環境で生まれる魔術師というのは――許容されないものである。
「……どうしたの、香月くん?」
風花の声を聞いて、我に返る香月。
香月の顔を見て心配してくれたらしい。
「あ、問題ないですよ。大丈夫です。少し、考え事をしていただけなので」
「ああ、この間保護した『彼女』のこと? どうやら魔術師にしようとしているんですって? なんというか、君らしいよ」
「僕らしい?」
「だって、そんなことするのは君しかいないでしょう? 別に君の行動を卑下するつもりは無いけれどさ。だとしても、おかしいよ。彼女は赤の他人なのだよ? 普通なら見捨ててもおかしくは無い。けれど、君は見捨てなかった。それってすごいことだよ。私だったらお金が絡まないのであれば、見捨てるけれどね」
「仕事じゃなければ動かない、ってことですよね。何というか、風花さんらしい」
「それって褒めているのかー? それとも貶しているのかー?」
「どっちだと思います?」
これ以上やり取りを続けていては、学校に遅刻してしまう。
そう思った彼は強引に会話を切り、その場から立ち去った。
◇◇◇
木崎第一中学校。
二年四組。
「うーい」
教室に入ると何人かの男子生徒が適当な挨拶を交わしてくれる。彼の友人でもある。挨拶を交わした後は、窓際の列の後ろから二番目の席へ。それが彼の定位置だった。
「本当に、香月殿は素晴らしい位置に座っておりますな。私ならば一番にそこを狙うのに!」
すぐに後ろに座っている亀戸から声がかかった。亀戸はアニメに詳しい。だから、時折アニメの知識を言ってくるのだが、あいにく香月には解らなかった。
「その……席がいいのかどうかわからないが、別にいいだろう。ここならば、最悪眠っていてもばれることはない」
「それっていいのでしょうか……? 悪い風にも見えてしまうのですが……」
確かにそうかもしれないが、そんなこと彼には関係ない。
夜は仕事、昼は学生。
その任務を果たすためには、そういうことも大事なのである。
◇◇◇
三時間目の社会が終わると、昼休み。
学生にとっての、一番のイベントである昼食の時間である。
普通学生は数名のグループで席を取り囲み、話題を持ちながら昼食という時間を楽しんでいる。
しかしながら、柊木香月はそのようなことをしない。
コンビニで購入したサンドイッチを頬張りながら、スマートフォンを操作するだけだ。スマートフォンで見ているのは大抵ニュースサイトとなっている。ニュースサイトを見ることで、そのニュースに『魔術師が絡んでいるかどうか』が解る。絡んでいる事案ならば、ヘテロダインを経由してすぐに依頼が入る。依頼を受けなければ彼は学校へ通うことも一日の食事にありつけることも出来ないのだ。
少なくとも、暫くは家も崩壊しているのだから、その代わりが見つかるまでをどうにか工面しなくてはいけないのだが。
「柊木香月はここかしら」
それを聞いて、教室がしんと静まった。
香月はその言葉を聞いて、振り返った。
二年四組の入り口に、一人の女子生徒が立っていた。
その女子生徒は紛れも無い、城山春歌だった。
「一人で食事をしているなんて、さみしいとは思わない? だから、私と一緒に食事でもどうかしら?」
満足そうに、誇らしげに語る春歌。
対して香月はそれを聞いて顔を引き攣らせながら、頷いた。