柊木香月は空を見ていた。
漆黒の夜、雲一つない空を見て、彼は小さく溜息を吐いた。
黒いパーカー、ただし帽子の部分はネイビーブルーとなっている、は彼が『任務』の時にしか着ることのない服装である。これを着ることで、気合が出るというわけではないが、どこか普段とは違う――ここが自分の『世界』なのだ――ということを実感させられる。
すう、と息を吸う。
世界はとても大きくて、自分という存在がとても小さいことを実感させられる。
「そこでモノローグに浸っている少年魔術師サン? ちょいと宜しいかしら」
そう言って、香月の隣に腰掛ける女性。
ここで、場所を確認しよう。
木崎市中心部にあるとある高層ビル、その屋上。そこに香月と女性は居た。香月は屹立し、女性は腰掛けている。お互い、その場所が屋上だとは思わせない。
「誰かと思えば優花ではないか。どうした?」
優花、と呼ばれた和服姿の女性は小さく溜息を吐くと、持っていた紙束を手渡す。
「あなたに依頼よ、ランキング七位のあなたに、うってつけの任務ではないかしら」
ランキング。
魔術師のレベルを決める唯一の指標である。その基準は様々で、とくに一番基準とされているのは実行することが出来る命令である。
魔術師の命令はいずれも魔術を行使出来る『コンパイラ』によって行われる。魔術師の編み出す魔術はその魔術師にしか使えないようにコピーガードという形で暗号化されているのが大半である。そのコピーガードを外し、魔術詠唱の形に直すのがコンパイラの役目ともいえる。
そのランキングで十位以内ともなれば、世界から称賛されるのが大半である。それとは別に称賛されることなく、むしろその手法が批判されている魔術師も居るのだが。
「任務、ねえ」
香月は紙を捲り、内容を確認していく。
魔術師は
魔術師の仕事――任務は組織を通じて、その組織の『任務番』が直々に伝える。
彼女、予野優花は香月の所属する組織『ヘテロダイン』の任務番、その一人だ。
任務の内容はいたってシンプルであることを理解し、その紙束を優花に返す。優花はそれを受け取ると笑みを浮かべる。
「どう? やってくれるかしら」
「やってくれるか、くれないかではなくて。やらなくてはいけないのだろう? もう何年もヘテロダインに所属しているのだから、それくらい理解しているよ」
「そう……。ならいいのだけれど」
優花は立ち上がる。風が吹き、彼女の髪が乱れる。
それを香月は見つめていた。見惚れていた、というわけではない。監視している、というのが正解だ。
香月はもう何年も組織に入っているが、それはあくまでも魔術師として食べていくためだけのこと。齢十四歳の少年が一人で生きていくためにはこのような一般社会とは外れた生き方をしないといけないのである。
「さて、と……。それじゃ、早速やっていただけるかしら。もちろん、あなたのような優秀な魔術師に行ってもらえるのだから、報酬もそれなりに弾んでくれるはず」
「そうでなくては困るけれどね」
そう言って、香月はあるものを取り出す。
それは魔術師ならば誰もが持っているもの――コンパイラ。
しかし魔術師は敢えて、それをこう呼ぶ。
――
魔術師が用いることでその効果を発揮する、手のひら大の立方体である。普通の人間が持つだけでは何の効果も発揮しない。寧ろ必要ない存在といえるだろう。しかし魔術師が持つことによって、それは魔術を詠唱するために必要不可欠な存在へと昇華し得るのだ。
香月は目を瞑り呟く。
「ej・yf・sy・em・va・nu・hscj」
日本語でも英語でも無い、発音。それこそが魔術師の詠唱――その基礎コードであった。
基礎コードがコンパイルキューブに通される。
そして、魔術の完成。詠唱が完了し、彼の身体がふわりと浮かび上がる。
「それじゃ、行ってくるよ」
「……どこまで?」
優花の言葉に、知っているはずだろ、とだけ言って彼は手を振ることも無く、その場所へと飛んでいった。
その姿が消えるまで、優花は見つめるだけだった。