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第3話

「では、手始めに、私を探ってみるのはどうだろう?」


いつのまにやら、入り口の引戸は開かれ、その扉にもたれ掛かり男が立っていた。


線の細い整った風貌は、どこか、華蓮に似ており、立ち姿からは高貴な人物であると分かり得る気品が漂っている。


「あら、兄上、また、お出かけでしたの?」


「おや、お前、どうして、兄の行いがわかるのだね?さすがは、宮中一の切れ者だ」


まったく、と、華蓮は、息をつく。


軽口を叩く男、華蓮の兄であり、即ち、王の嫡男──王太子、斉令さいれいは、そんな呆れ顔の妹に目を細めた。


木綿の衣に、革の長沓ちょうぐつ姿ということは、また、馬に乗り、市井まちへ繰り出していたのだろう。いわゆる、お忍びというやつだ。


父、斉龍が、まつりごとの鬼とすれば、この斉令は、祭り事の達人と言える。


事あるごとに、宮を抜け出し、遊興に励んでいるのだ。


外の世界では、神出鬼没の宮と、揶揄されているらしく、また、どうしたことか、本人も、その通り名が気に入っているようで、民の期待を裏切ってはならないと、宮殿を抜け出す言い訳の一つにしているのだった。


「また、外の遊び場へ、ですか?何やら、白粉の香りがいたしますが?」


おそらく、朝まで、遊里で羽を伸ばしていたのだろう。


宮殿の堅苦しさ、そして、置かれている立場からの重圧。息抜きをしたくなるのは、華蓮にも、理解できるが、しかし、出かける先が、いただけない。


統制のとれた宮殿の女の園──、後宮でも、厄介事が日々多発している。それが、市井となれば……。斉令の立場が危うくなる事が起こり得るだろうし、なにより、その身が狙われやすくもなる。


「少しは、ご自分のお立場を……いえ、それなら、妃か、側室の所へお運びなされば良いでしょうに」


兄の身を心配する妹に、


「なんだい?華蓮、どこぞの、女官のような事を言って」


兄は、何処吹く風で、からかう様な事を言う。


「もう!それで?何のご用ですか?まさか、立ち聞きしていただけでは、ないのでしょ?」


「あー、そうそう、暫く、ナスラを借りようと思ってね」


斉令の一言で、女達の瞳の奥に嫉妬の炎が燃え上がった。


結束はしているが、やはり、そこは女。男が絡むと、話は変わる。それも、相手が、宮殿一とも言われている美貌の持ち主、そうして、次期王の座を約束されている男、とくれば、尚更の事。


異変を読み取った華蓮は、場を納めるべく、兄に目配せする。


斉令──、やはり、女が絡むと、誰よりも強い。華蓮の思いを読み取ったようで、


「あー、ドブラーイだったかな?」


何やら聞き慣れない言葉を発した。


「いいえ、 Добрый день ドーブライ ヂェン です。これではまだ暫く、お側に控えなければならないようですわねぇ」


ナスラが、呟く。


斉令は、父王を支える為に、他国からの使者が訪問して来た時に備え、様々な国の言葉を覚えようとしているらしい。


相手国の言葉で挨拶をし、意表を突いて、上位に立つのだとか──。


「あー、そういう訳だから、誤解しないでおくれよ。私は、諸国の言葉に触れているだけなのだ。もちろん、ナスラの国の挨拶を覚えたら、他の者達の所へ、足を運ぶつもりだよ?」


実に甘い言葉を投げ掛けられて、一同は、一気に顔をほころばせる。そうして、淡い思いを胸に秘めつつ、しっかり、頭を下げた。無論、その心の内では、次は自分だと、他者を蹴落とすことを考えて……。


「じゃあ、そうゆうことで」


立ち去る斉令に続くナスラへ、華蓮は、頷きかける。


その合図を理解したかのように、ナスラも頷き返した。

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