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第13話 皇太子殿下は泣くのを必死に我慢する

 リューグ皇太子殿下は、今目の前で何が起きているのかさっぱり理解出来ないまま硬直してしまっておりました。

 皇太子殿下の乗る馬ですので、愛馬も冷静沈着。驚いて声を上げている市民たちの悲鳴も声援もなんのそのでその場に鎮座しています。

 そうなれば、愛馬の上から動けなくなっている皇太子殿下も「流石は殿下。この騒動にも動じないとは」なんていうフィルターがかけられてしまうものですが、現実はまったく違うものでした。

 皇太子殿下は、【ゲート】を抜けてすぐにふっかけられた喧嘩の意味を、その際に叫ばれた言葉の意味を、一瞬理解したように見せかけて即座に理解を放棄して考えない事にしました。

 だって実際に意味が分からないのですから、考えた所で答えが浮かんでくるわけもありません。

 門の守護者ゲートキーパーのダフネとは、皇族は実に古い付き合いになります。

 その源流は皇族と同じとも言われ代々【ゲート】を守り続けているフィンツィ一族は、継承者が生まれるたびに皇帝陛下に報告しに来るので皇太子殿下も幼い時に数回彼女に会ったことがありました。

 しかし正直、いい思い出というものは一切ありません。

 一体何が彼女を刺激してしまったのか、宮殿に来るたびに追いかけ回してくる彼女がリューグ殿下はとても苦手でしたし、大人になってからは毎度凱旋のたびにパレードを強制してくる彼女を出来るだけ避けたいとも思っています。

 ダフネがどんな目的で追いかけて来ているのかは分からなかった殿下でしたが、追いかけっこをしているのが子供というだけで誰かが助けてくれる事もなく微笑ましく見守られ、彼女が帰宅した後に一人部屋で泣きじゃくった回数はもう両手では数えられません。

 ある程度の年齢になってからあの追いかけっこが好意からくるものと知りましたが、産まれてすぐに母を亡くし「愛情」というものと縁薄かった殿下にとっては誰も助けてくれるわけでもない追いかけっこは恐ろしいばかりだったのです。

 勿論彼女本人にそんな事が言えるわけもなく、出来るだけ距離をとったり間にシグルドやヨルンを挟んだりしているわけですが、今回はもうなんというか、理解するという挙動を脳が完全に放棄しておりました。


「皇太子殿下をかけて! 勝負です!!」


 丸い眼鏡にキラーンと陽光を反射させながらそう宣言したダフネの手には、彼女が得意とする魔術槌が握られていました。

 本来は【ゲート】から力を預かり、【ゲート】を襲撃してくる魔物や人間を撃退するために使われる門の守護者ゲートキーパーたちに代々伝わる特殊な武具があの魔術槌です。

 魔術、とついてはいるものの、あの武器の本体は槌部分。それも、魔力の操作によって重さの変わるかなり威力のある槌なのです。

 当然襲撃者ではない人間に対しては使ってはいけないと厳命されているものですので、今のダフネは一族の決まりを破っているという事になるのですが、そんなことよりも皇太子殿下はそのダフネを前に堂々と腕を組んで立ち塞がっている女性の姿にようやく目眩が追いついてきました。

 ディルアンディア姫。本来こんな場面に一番引き摺り出しては行けない女性が、自ら馬車を降りてダフネと相対しているのです。

 しかも一体何をどうしてか物凄く自信満々な表情で、腕を組んでまるで一国の王のような立ち姿の姫君にクラリと目眩のした殿下は、即座に背後に回って支えたシグルドに声もなく姫を指さして訴えました。

 止めてくれと言いたいのか、どうにかしてくれと言いたいのか、殿下も最早自分ではわからなくなっています。

 しかしシグルドもまたどこか遠い目をしてゆっくりと首を左右に振りました。諦めろと、そう言いたいのだろうという事はわかります。

 わかるのですが、それを受け入れてはいけないような気がして仕方がないのも事実です。

「隣国の姫とダフネを戦わせろと!?」

「そうではありませんが……どうやって止めろと?」

「ダフネの魔力槌の威力は知っているだろう! とにかく、なんとか……」


「その勝負! お受けいたしますわ!!」


「なんとか止めろ!」

 シグルドとヒソヒソやっていた殿下は、声高に挑戦を受ける姫君の声に涙腺が崩壊しそうになっておりました。

 国民の視線はもうパレードを迎える行列を崩し【ゲート】の前を囲んで女性二人の勝負に大盛りあがりです。当然彼女たちとともに帰還した殿下たちも注目を集めまくっており、兜を深々とかぶっている殿下ももう逃げたくて逃げたくてたまりません。

 今はまだギリギリ我慢しておりますが、あとちょっと何かあれば目から涙が溢れてしまいそうです。

 兜の下で泣いていても国民たちには気付かれないでしょうが、プルプル震えてしまえばすぐ近くにいる国民には気付かれてしまうかもしれません。

 しかしシグルドとしても「そんな事言われても」としか言えません。

 ディルアンディア姫は隣国の姫君ですし、ダフネと喧嘩になるのは騎士としては出来れば避けたい所なのです。

 何しろダフネの機嫌を損ねれば皇帝陛下か皇太子殿下が直接出てこない限り【ゲート】を開かない、という拗ね方が出来てしまうのです。流石に魔物の襲撃があれば開けないわけにはいかないでしょうが、この拗ね方は結構本気で困ってしまうものなのです。

 しかしディルアンディア姫は武器なんか持っていないのにどうやって戦おうというのでしょうか。

 模擬剣だけでも用意しておこうかと少しばかり現実逃避をし始めたシグルドは、不意にディルアンディア姫と目が合ってなんだかとても、とても、嫌な予感がしてしまいました。

 姫は、「ニヤリ」としか表現出来ないような表情で笑ったのです。

 アレは明らかにシグルドを見ての笑みでした。

 その表情がどうにも、今とても美しいカーテンシーを披露している今の姫君の姿と重ならなくて、違和感を覚えて、シグルドはどうにもこうにも「なんかやばいかもしれない」という予感で胸がグルグルし始めました。

 今日までの数日間で、シグルドは彼女が「無駄な事はしない」人であると何となく理解しておりました。

 だからこそ、ダフネの勝負を受けたこともあの笑顔も、何か意味があるようにしか思えなくって背筋にじっとりとした汗がへばりつきます。

「わたくし、ビナギア王国の大将軍ベルホルトの娘ディルアンディア・ルーナルア・ラ・エンデアと申します」

「あ、これはどうも。私は【ゲート】を守護するフィンツィ家のダフネといいます」

「ふふ。フィンツィ家の名声はビナギアでもよく耳にしておりますわ。特殊なお力で国防を担っておられると。でも……」

 スッ、とスカートを整え直して、ディルアンディア姫は殿下に向けて深々と頭を下げました。

 まるでこれから殿下に対して申し訳ない事をしようかという頭の下げ方に、シグルドとリューグ殿下は顔を見合わせてしまいます。

「ですが、我がエンデア家も王家より賜りし能力にて国防を担い続けておりますの」

「! まさか貴方も……っ」

「はい。父は何故か能力の訓練はさせてくれませんでしたが、最小限の能力はきちんと所持しておりますの」

 にっこりと微笑みながら、ディルアンディア姫は靴を脱いで裸足でダフネに向けて歩き出しました。

 唐突にヒールを脱いだ姫君に、国民たちから小さなざわめきが上がります。ダフネもドレスに隠されているとはいえ裸足になった事に気付いたのか、彼女の足元を注視しながら魔力槌でガードを固めるように固めます。

 しかしディルアンディア姫はそんな事は気にせずにゆっくりゆっくり、ダフネへの距離を詰めていきます。

 ダフネは魔力槌を構えながらジッと姫が近付いてくるのを待ち構えておりますが、しかし徐々にその顔色を変えていきました。

 その光景を見てシグルドもハッと息を呑み、殿下がその場に座り込みそうだった所をどこからともなく現れたハンネスが支えます。

 一歩、また一歩と前に進むディルアンディア姫の姿は、一歩進むたびに大きくなっておりました。

 オーラだとか、存在感ですとか、そういうものとはまるで違います。

 物理的に、本当に、大きくなっていたのです。

 そう。ディルアンディア姫が王家の血に受け継いだ【能力】は、なんとも可憐な姫君には見合わぬ【巨大化】という能力だったのです。


「まだ修練が足りなくて靴までは一緒に大きくなれませんの。お恥ずかしいですわ」


 あっという間に馬車よりも身長の高くなった姫に、もしかしたら馬車の中ではルーナルア夫人が頭痛を覚えていたかもしれません。

 ですが、ディルアンディア姫は3メートルほどになったその姿で実に美しく、泰然と笑ったのでした。

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