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第10話 ディルアンディアの恋?

 ディルアンディアは王国一美しい姫君ではありましたが、反対に恋愛経験というものはまったくありません。

 彼女自身が恋愛に興味がなかったというのもありますが、彼女の父や国王陛下が「我々の目の黒いうちは」と、生半可な男性を許しはしなかったからです。

 結果的にディルアンディアは、口約束ではありましたが王太子妃と内定したようなものでした。

 勿論王太子妃になるつもりはなかったディルアンディアでしたが、かと言って現状に大きく問題を言うような娘でもなかったのです。

 それだけ王国に居る時のディルアンディアは満たされていましたし、王国のことも家族のことも愛しておりました。

 ただ、王太子殿下との婚姻は「血が近すぎるのでは」と感じて正直乗り気ではなかったりは、したものです。

 代々王族にだけ伝わる【特殊能力】。これらを大臣たちが大事に思い、出来るだけ外に出さないようにと王国内に囲い込もうとしているのは知っておりましたが、相手の選択肢がないのは流石のディルアンディアも嫌だったのです。

 王妃と側妃の子ども同士では勿論血が近すぎるので婚姻は許されません。だから、じゃあディルアンディアを、という婚姻はどうしても嫌だった、というのもあります。

 国王陛下が自分を愛して下さっているのは重々承知でしたしディルアンディア自身も陛下を愛しておりましたが、それと王太子との婚姻は話が別です。

 かといって当時の姫君は自分が婚姻をするのに他に相応しい人を知りませんでしたので、段々と重なっていく己の年齢と両親たちの「早く結婚して安心させてくれ」という圧に少しばかり焦りがあったのは誤魔化しきれません。

 ですが、まさかこんな形で素敵な殿方に出会うだなんて、姫君は思ってもいませんでした。

 凛とした佇まい、感情が昂っていても自己を律する事のできる声色、人間を一刀のもとに斬り伏せる事の出来る力――そして何より色気のある喉から胸元にかけてのラインと風呂上がりの少し火照った白い肌に鳥の羽根のように不思議な色合いを見せる濡れた黒い髪、そして少女小説の主人公のような仮面がどストライクでした。

 何故か仮面をつけた皇太子殿下が朝食会に登場した時、ディルアンディアはうっかり叫び出さなかった自分を褒めてあげたいとさえ思ったほどです。

 皇太子殿下ときたら食事会のときなんかにはしっかりと装飾のある衣装を身につけておられますが騎士との訓練の最中であったり執務中なんかはあまりゴテゴテした衣装は好まないのか案外ラフに過ごされているらしいのです。

 これはユルグフェラー帝国側のメイドたちから聞いた話ですが、白いシャツに黒いパンツという実にラフな格好でソファで寝落ちている事もしばしばあるのだとか。

 ビナギア王国からの客であると認識されているディルアンディアたちに対してはまだ礼を尽くして下さる皇太子殿下ですが、一度身内判定した方にはよくそのようなラフな姿をお見せとの事で、ディルアンディアはメイドたちが羨ましくて仕方がありません。

 メイドの中では特に、あの侍女長様の娘であるヨルン嬢が専属メイドとして皇太子殿下にお仕えしており、執事長や侍女長、近衛騎士団長なんかとは夜通し同じ部屋で過ごす事もあるほどなのだとか。

 その話を聞いた時、ディルアンディアは「ユルグフェラーのメイドは求人を出してらっしゃるかしら」なんてうっかり聞きそうになってしまいました。

 そんな事を聞いてしまえば母が蒼い顔をして卒倒してしまいそうなので我慢しましたが、あの湯上がりのお姿を毎日見る事が出来るなんて事……そんなこと……羨ましすぎて胸が痛くなってしまいそうです。

 弟たちと共に運動をしてきた結果でしょうか、あまり豊かには育たなかったディルアンディアの胸ですが、そういう時には流石に痛むものなのだなと初めて実感をしています。

 これを恋だとするのならば、ディルアンディアの恋は子供の頃から数えれば二度目のことです。

 初めての恋はまだ5歳になったばかりのお誕生日パーティの時、どこかの貴族の令息がやはり皇太子殿下と同じような真っ黒な髪をなさっていてその色がとても綺麗で大好きになった、というのは覚えているのです。

 その結果その男の子がエンデア家に滞在している間構い倒し髪を触らせてもらい倒して嫌がられて泣かせてしまい、彼とは二度と会うことは出来ませんでした。

 母ルーナルアは「大好きだったのね」と娘を抱きしめながらフォローをしてくれましたが、その時のディルアンディアにはまだ恋心というのはよくわからなくって、今にして思い出すと「あぁあれは恋だったのかも」とふんわり思い出す程度です。

 少なくとも、ディルアンディアの黒髪好きはあの時の経験から来ていると見て間違いがないでしょう。

 それはともかく、そんな幼い頃の小さな恋を思い出させる美しい髪色の男性がこんなに近くに居て、ディルアンディアガときめかないわけがなかったのです。

 そういえば王太子殿下は茶色に近い金髪でしたのでディルアンディアの好みには一切あっていませんでした。なのできっと最初かわワンチャンすらなかったのでしょう。残念な話です。


「長旅に向く楽な服を用意させました。馬車にはヒールも向かないので、靴も出来るだけ楽なものを用意してあります」


 そんなこんなでしたのでディルアンディアはユルグフェラーの戦砦に来てから実に充実した日々を送っていたと言っても過言ではありません。

 しかし、お食事の際に殿下に聞いた「今回の反乱の首謀者はユルグフェラー帝国に国王暗殺の罪を押し付けようとしている」という事実に未だに怒りが収まりません。

 過去のビナギア王国の歴史を紐解くと、最初はユルグフェラーに反旗を翻しての独立。そして王族というものが固着化していない段階での玉座争いは暗殺を伴い、中々に血みどろの歴史であったというのを姫君は知っています。

 しかしディルアンディアの祖母の代では見事にユルグフェラーとの融和を果たし、今後はそんなことは絶対に起きないと、そう信じていたというのに、これです。

 これでは、ビナギアの歴史にこびりついている「裏切り者の国」という汚名を雪ぐことなんかは到底出来ないでしょう。

 それどころか、今回のことを考えれば余計に根深くこびりついてしまうに違いありません。

「殿下、出発はいつ……?」

「明日の朝には。どうやらビナギアからの密偵がこちらの城下にも入り込んだようなので、あぶり出すためにも早めが良いかと」

「まぁ……まぁ……」

 ビナギアの密偵、という言葉にルーナルア夫人が真っ青な顔をして言葉を失います。

 ビナギアからユルグフェラーに密偵が送られたということは、ビナギア側がディルアンディアたちを探しているということであり、同時にユルグフェラーの穴を探しているということでもあります。

 どうやらビナギアは本格的に、ユルグフェラーに汚名を擦り付けて戦争でも起こそうとしているようで、ディルアンディアもため息を吐いてしまいました。

 こんなことは国王陛下や王太子殿下、そして大将軍が生きていればありえないことです。

 つまりは、もう3人は生きていないのでしょう。

 王太子殿下は生かされている可能性もありますが、彼に発言権があるとは思えません。

 首謀者と目されているのが現状2人の妃のうちのどちらかでありますので、もしも彼が生きていたとしても妃たちに声を上げるなんてことはきっと、出来ないでしょう。

「……わたくしは、恥ずかしいですわ。殿下」

「……思う所はあると思うが、まずは身の安全を考えよ。これからは貴女方にも護衛を付けさせて頂く」

「護衛、ですか」

「姫君はこちらの騎士を気に入ったようなので、何人か見繕いましょう。いいなシグルド」

「はっ」

「え! あ、あの、いえそれは……」

「しばらくは不便だろうが、何かあればヨルンに声をかけて使って構いません。ヨルン」

「はい~! 頑張りますでっす! よろしくお願いいたします!」

「……はい」

 違う、違うのです。

 騎士が気に入ったのではなく、騎士たちを手伝うことで皇太子殿下の情報を少しでも得ることが出来ればと言う下心バチバチで近付いただけのことだったのですが、皇太子殿下は素直に受け取ってしまったようでした。

 確かにユルグフェラーの騎士たちは亜人も多く素敵な筋肉をされている方も多いので見ていてとても目の保養にはなりましたが、それは皇太子殿下のそれとはまるで違うものです。

 しかしまさかそんな事を言うわけにもいかず、ディルアンディアはヨルンの元気な挨拶に頷くしかなく黙り込みました。


 その様子を見ていたシグルド騎士団長がジーッと自分を観察していたのにも、ディルアンディアは気付いていません。

 気付いていたヨルンとルーナルア夫人だけがちょっとだけじわっと冷や汗をかいていたのにも、当然姫君が気付くことはありませんでした。

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