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第7話 皇太子の朝支度

「……起きたくない」

「ヨルン、頼む」

「お任せ下さい~シグルド様~」

「ぁああぁぁぁいやぁぁぁあぁ」

 日が昇るとリューグ皇太子殿下の寝室から悲鳴があがるのはいつものことです。

 殿下が起きる前から控えているメイドのヨルンとシグルド近衛騎士団長は、朝に弱い殿下の泣き言なんかは当然無視してベッドから引きずり出しますので遅刻はしないのですが、殿下は毎朝毎朝起きるのが憂鬱でたまりませんでした。

 今日なんかは、朝からあのディルアンディア姫たちとの朝食会があるのです。

 ただでさえ朝ご飯は「また新しい日がやってきてしまった……」と気が重いというのに、さらに今日は客人が居るのですから皇太子殿下がベッドから出たがらないのも無理はありません。

 ヨルンもシグルド団長もそんな殿下の憂鬱は理解していますが、それはそれ、これはこれです。

 リューグ殿下は皇太子ですし、何よりこの砦の最高責任者なのですからして頂かなければならないお仕事は沢山あるのです。

 この朝食会もまた、殿下に参加していただかないといけない大事なお仕事の一環ですので、参加していただかなくてはなりません。

 遅刻なんて以ての外です。

 姫たちの所にはエルベラが行っているはずですから、彼女たちも遅刻はしてこないでしょう。

 姫君とその御母上のためのドレスは、時折この砦を拠点にしてビナギアへのパーティへ参加される殿下の養母様と姉上のものをお貸しいたしました。お二人共驚くでしょうが、怒るお方々ではありません。

 同じメイドの立場であった少女と、乳母だという女性にはエルベラが良く計らってくれることでしょう。

 後の問題はこのウジウジしてスライムのようになっている皇太子殿下だけです。

 ヨルンによってベッドから引きずり出されたものの、ぐんにゃりしたままブルーラビットの毛で作られた毛布にくるまっている殿下はまだグズグズと言っています。

 鼻をすすっているのは寒さからくるものではないでしょうし、これは面倒くさい、とヨルンとシグルドは即座に思いました。

 たまにある、殿下の「面倒くさい期」がよりによってこの瞬間に来てしまったのだと、付き合いの長い2人にはすぐに分かったのです。

 リューグ皇太子殿下の面倒くさい期。それは、殿下のなけなしの矜持と自信がベッキベキに折られて心のゴミ捨て場に捨てられた上で誰も気付かれずに踏まれて終わっているような、そんな時期なのです。

 具体的に言うと、「心から自分に自信がなくなってしまっている期」とでも言うのでしょうか。

 ただでさえ幼い頃の経験から自己肯定感と自信と強さのないポンコツ皇太子ですから、一度そうなってしまうとなかなか立ち直る事が出来ません。

 そういう時には大体放置しておいたり、皇太子が一番心を開いているシグルドがつきっきりで相手をしたり、尊敬しているベルキュエル皇帝と兄王子にさんざっぱら褒め倒されて心を回復するリューグ皇太子ですが、今はそんな時間はありません。

 そもそも、そういう回復をするにも数日間かかるようなお方なのです。流石に数日間、姫君たちを待たせるわけにはいきません。

「仕方がない……今回ばかりは無理矢理いきますよ、殿下」

「なになになに怖い怖いシグの目が怖いのだが!!」

「重いものはーヨルンにー任せて下さいー」

「あああああやめてこのまま溶けて水になりたい!!」

「人間は溶けても腐敗した元人間になるだけです!!」

「ゾンビって臭いんですよー殿下ー」

「いやだやめろゾンビ怖いゾンビ怖い!!」

 貴重なブルーラビットの毛布を掴んで引きずり回して皇太子殿下を放りだしたヨルンは、そのまま殿下の足を掴んで引きずってドレッサーの前に座らせます。勿論無理矢理です。その間殿下がかつて戦場で遭遇したゾンビを思い出してベソベソに泣いていても、ヨルンの笑顔は少しも歪みません。

 その殿下の顔を凄い速度で拭ったシグルド団長は、これ以上殿下が泣かないようにスパッと殿下の意識を奪って気絶させます。

 それはそれは見事な手腕に、ヨルンは「おー!」と感動しながら拍手をしました。これからのヨルンのお仕事は、意識を失ってぐんにゃりした殿下を真っ直ぐに支えておく事です。

 そう、この殿下と来たら戦砦に来ると一人で眠るのが怖くって夜にメソメソ泣いてしまうことがよくあるのです。もう成人したいい大人がです。

 そのため朝起きると目元が真っ赤になっている事なんかは頻繁にあり、シグルド団長やエルベラはそれを誤魔化すための「皇太子メイク」の手腕がメキメキと上がったのでした。

 最初こそ「化粧なぞ女のするものだ!」と泣いて拒否っていた殿下でしたが、こうして眠らせてしまえばあとは簡単です。

 目元の赤みを誤魔化す白粉に肌隠し、濡れた睫毛たちはきちっと拭ってそれでも仄かに色気が帯びるように完全には拭い取りません。頬の赤みは、目元のそれを隠す代わりに仄かに色づけます。本当にちょっとだけ。皇族御用達の化粧品ブランドが皇太子のために作ってくれた化粧品は、とってもよく皇太子の肌に馴染みました。

「ヨルン! 服だっ!」

「鎧はどうしますですか!」

「今はいい! とにかく服と……手当たり次第なんか殿下がカッコよく見えそうな装飾を持ってきてくれっ」

「かしこまりました!!」

 執事長のハンネスが朝の紅茶を用意して持ってきた時には、ぐんにゃりとソファに寝転がっている皇太子殿下にヨルンとシグルド団長が服を着せ付けているところでした。

 あっちこっちに転がされるせいで髪はもうモサモサですが、一番手間のかかる化粧だけは守られるように顔に白い布がかぶせてあるのでなんだかこう……朝一番に見るには適さない何かを見ているような気持ちになります。

 ハンネスは邪魔にならない位置に紅茶のトレーを置くと、

「お手伝いは私にお任せ下さい」

「「執事長~!!」」

 ふんっ、とハンネスが腕に力を入れると、少し余剰を残して専用に作られた執事服の中にもりもりの執事長筋肉が出現します。

 これは彼の【特殊能力】であるわけではありませんが、執事歴50年の経験が彼にもたらした素晴らしい財産なのです。

 その筋肉をもってすれば、皇太子殿下を抱えあげるなど樹齢800年程の樹木の枝を抱えているのよりもずっと軽いこと。

 ハンネスは殿下の脇に手を入れるとヒョイと持ち上げ、その間にシグルド団長が殿下のズボンを整えヨルンがブーツを履かせていきます。

 皇太子スタイルには、手抜きは許されません。

 毎回「ジャラジャラうるさいよぉ」と殿下が半泣きになる装飾や「首がチクチクするよぉ」とメソるふかふかのファーのついたマント。「顔が隠れないよぉ」と泣き言を言う後ろに流された髪型に、「首が苦しいよぉ」とうるさい皇族にしか与えられない大きな宝石のブローチ。

 そこまでやってようやく準備が整ったと見たハンネスが、抱えあげていた殿下をゆっくりと床に下ろし――背中を強く叩いて喝を入れました。

「ぐっは!!」

「おはようございます、殿下」

「2回目のおはようございます殿下~」

「あ、あぁ!? また!この髪型!! やられた!!」

 グッと胸部を押し出された殿下は肺に入っていた息を全部吐き出しながら目を覚まし、にこやかに立たせてくれるハンネスに「アイツラ酷い!」と縋りました。

 殿下はとにかく、顔が全部見えてしまうこの髪型が大嫌いなのです。

 この髪は嫌いだ、と半泣きになる殿下は化粧のことなんかは意識の外です。ここで泣かれては折角の化粧が無駄になってしまいます。

 あっ、とヨルンはその事に気付き化粧を心配しましたが、しかし流石シグルド団長は違います。

「殿下、これを」

「こ、これは……っ!」

 泣きそうな殿下の前に、シグルド団長が胸元に隠していたものをスッと差し出します。

 それを見て殿下の顔色はすぐに明るくなり、受け取るや否やイソイソと自分からドレッサーに向かいました。

 シグルド団長の秘策……それは、「なんか皇太子殿下の好きそうな地味でシンプルだけど物語の中の登場人物が装備していそうななんかやけにカッチョイー仮面」を殿下にお渡しする事です。

 実は過去、すでに何回か殿下はこれに誤魔化されてパーティに出席をしています。

 その結果「仮面の悪魔」と呼ばれて恐れられている、なんて所はありますが、そんな事は本人は知りませんしシグルド団長やハンネスも本人に教えようとは思いません。

 何しろ皇太子殿下は悪魔ではありません。

 あんな悪魔が居てたまるか、と、朝から己よりも長身の男の着替えをさせられた近衛騎士はちょっと思います。

「それがあれば大丈夫です。さぁ、参りましょう殿下」

「よし、任せろっ」


 まぁぶっちゃけ昨日の夜すでに湯上がりの姿を見せているので今更仮面なんぞかぶってもなーーんの意味もないという事は、とりあえずは騎士とメイドと執事長の胸の奥にしまっておくことに、なりました。

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